原石発掘。2018年は「2019年以降」への旅も真剣に。【ラグビー雑記帳】
日本代表になるかどうかは、「まだ決めていません!」。いま通っている大阪の菫中学校を卒業したらニュージーランドへ行くから、そのまま滞在し続ければ世界ランク1位の同国代表の資格だって得られるのだ。
「(ラグビーは)身体を当てあう部分もありますが、僕は相手に触られないようにプレーしたいと思っていて。色々と考えてプレーできるところが、好きです」
小村真也。サイドの髪を刈り上げた身長179センチ、体重77キロの中学3年生は、3歳で始めたラグビーで人生を拓こうとしている。司令塔のスタンドオフを主戦場にするこの人の得意技は、防御を引き付けながらのパスや絶妙な位置へ落とす強い弾道のキック。当の本人は「個人的にはキックが好きなので、練習してきた。パスは、できるだけ仲間が走りやすいコースに投げたいと思っています」と、得意気だ。
「上を目指すのなら、ここへ」
2017年12月29日からの3日間、全国ジュニア・ラグビーフットボール大会(全国ジュニア)が兵庫・ユニバーシアード公園でおこなわれた。
各地域の中学校のラグビー部、またはラグビースクールの選抜チーム計16チームが集まり、初戦の勝敗を問わず1日1試合、3連戦をおこなえる形式のトーナメントを実施した。
ここで光った才能の1人が、大阪府中学校代表のキャプテンである小村だった。
第1ブロックの決勝では、大男たちの揃う神奈川ラグビースクール代表に21―14で勝利。キックで陣地を稼ぎ、敵陣で攻撃権を得れば自在に周りのランナーを走らせた。
実は『スクール★ウォーズ』のモデルでお馴染み、元伏見工業高校監督の山口良治氏を祖父に持っている。同じ畑で著名な血縁者と比べられることなどについても、「そこは、気にせんとプレーしています」。自分は自分。その気持ちの延長線上に、兄も渡ったニュージーランド、ハミルトンボーイズハイスクールへの留学がある。
「ハミルトンは今年の春に2週間、寮にも入れさせていただいて。ラグビーに対する考え方、環境がとてもよかったので決めました。もっと上を目指すのなら、ここへ行くべきだと思いました」
「仲間も頑張っているので、自分も頑張らなきゃ」
敗れた神奈川県ラグビースクール代表にも、関係者注目の怪物候補がいた。
横浜ラグビースクール所属の佐藤健次だ。澄んだ瞳、身長177センチ、体重95キロという立派な体格、縦への推進力に加え、ハードワーカーの気質も持つ。
この日も大阪風中学選抜に攻め込まれるなか、防御の裏を献身的にカバー。肉弾戦やランナーに強烈なぶちかましを食らわせ、すぐに起き、次の戦地へ身を投げた。
「仲間も頑張っているので、自分も頑張らなきゃいけないと思っていました。ノーサイドの精神はラグビーの魅力だと思いますし、ひとつ、ひとつの接点は、楽しい」
この大会ではウイングへ入っていたが、卒業後に進む桐蔭学園高校ではサイズを活かしたポジションへコンバートしそう。負けて悔しがりながらも「世界のどんな相手にも通用する選手になりたい」と、こちらも明るい未来を想像する。
U17の精度を
この大会では、昨年度からの新たな試みが本格化した。それは、日本ラグビー協会(日本協会)の技術委員による優秀選手の選考だ。過去にもなされていたが、「それまで和気あいあいと選んでいたのが、去年からは体系化して選んでいます」とは「技術委員会 ユース戦略室 リソースコーチ」の野澤武史氏だ。
CSスポーツ専門チャンネル「J SPORTS」のラグビー中継解説でもおなじみの元日本代表フランカーは、中竹竜二コーチングディレクターの指令を受け大会の昨年度から視察を開始。今年も野澤氏を含めた3名の技術委員が会場を回り、「3日間を通してパフォーマンスを高かった選手を」との観点から原石を見た。
「波がなく頑張っている子がいるな、と。縁の下の力持ちみたいな」
今年から17歳以下(U17)日本代表のコーチも務めているとあって、今回の全国ジュニアでの活動の意義をこう見ている。
「まずはU17の精度を上げたいと思っています。色々な選手に少しずつチャンスを与えのも大事ですが、早期発掘によって(特定の選手の)重点的な強化ができたら面白いかな…と」
U17の候補となる高校2年生は、所属先でのレギュラーポジションを掴んでいない場合も多い。そんななか各選手の中学3年生のころのパフォーマンスや資質を先んじてチェックしていれば、確かにスムーズなセレクションができるかもしれない。野澤氏は続ける。
「U17は絶対に『あの時のアイツ』という風に選びやすくなる。彼らは絶対、再来年に(前線に)出てくるので。これは、1年間やって終わりでは意味がない。ただ5年、10年やっていけば…。僕がやらないにしても、これを継続する人が協会のなかから出てくればと思います」
「継続」を
4年に1度あるワールドカップのイングランド大会で日本代表が南アフリカ代表を下してから、もう2年以上が経っている。競技人口の微増に繋がっていそうな当時のブームが収束したなか、次回の日本大会は2年後に迫っている。それは、日本ラグビー界が間もなく自国開催の成功という大目標を失うことも意味する。
そこで注視される動きのひとつが、国産選手の強化システムの醸成だ。2020年以降、他国代表歴のない海外出身選手が代表資格を得られるまでの国内居住期間は、3年から5年に延びる。国内最高峰のトップリーグはその領域を目指せる選手を試合に出すための「特別枠」を増やすと決めたが、その一方で、自国の金の卵たちへ段階的に国際経験を積ませたいところだ。
実は、野澤氏の言う「継続」とは、日本協会が苦手としてきた領域だ。2007年に発足された若手育成プロジェクトであるATQはすっかり聞かれなくなり、いまは20歳以下日本代表の強化システムと同化しているジュニア・ジャパンも、若手選手を平日に集めて日本代表に準じたトレーニングをするという2012年発足時の指針は立ち消えになった。
そんななか、ジュニア世代からの視察プログラムは、従来から代表チームのマネージメントや大会の運営に批判の多い日本協会における光源となり得る。野澤氏の言葉通り「継続」が求められる。
ちなみに中長期的な才能の育成とそのための原石発掘は、草の根活動のようだと野澤氏は言う。各地域の確たるインフォメーションを得るには、その場、その場の指導者たちとの人間関係構築が欠かせないからだ。
「汗をかかないと、良質な情報は得られませんから」
この言葉は期せずして、報道の自由度ランキング72位という国のラグビー記者の背筋を伸ばした。