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サントリー移籍の田村煕が、1年在籍の東芝の仲間から受け取った言葉。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
日本代表強化を担うサンウルブズでも、台頭したい。(写真:アフロ)

サントリー入社3年目の森川由起乙は、2017年度から同僚となった1学年下の選手、田村煕の才能を再確認した。

6月3日、東京都町田市。敵地でおこなわれたキヤノンとの練習試合に揃って先発した時のことだ。左プロップの森川は、猛攻を重ねるなかで攻撃陣形の中央よりやや右端に位置取り。相手防御の死角をめがけて駆け込んだのだが、そこへ飛んできた田村のパスが想定していた以上に「どんぴしゃ」だった。

きれいな突破でチャンスを繋げた森川だったが、田村のパスを出すスピードとタイミングの良さに驚いてしまったのも確かだったようだ。

「あ、抜けちゃった、と。いいポジショニングは取っていたのですけど、まさか本当にここへ(パスが)飛んで来るとは…。さすが、煕はうまい。僕がそれをもっと理解して走っていたら、もっといいランができたと思います」

移籍後初の実戦

この日に努めた司令塔のスタンドオフなどの複数ポジションをこなせる田村は、昨季、東芝の新人選手として活躍していた。シーズン終了後の2月からはスーパーラグビー(国際リーグ)の日本チームであるサンウルブズへ加わり、同リーグ開幕後の3月31日、わずか1季での東芝退社を発表していた。

2日前の6月1日にサントリー入りを表明したばかりで、実戦は2月27日のサンウルブズの今季開幕節以来のことだった。持ち前のセンスを仲間へ伝えるには十分だったが、本人としては不満足だった。確かに、鋭いパスを受け手の後方へ飛ばすこともあった。

今回の67分間のプレーについて、直近の日本代表落選も踏まえてこう話す。

「よくなかったです。自分のスキルを高めないと、インターナショナルレベルでは戦えないと思います。(まだ周りと)合っていないと言っていられるのもあと何日間かで、それをカバーするのはコミュニケーションを含めた自分のスキルです。次はワラターズ戦もある。ここに照準を合わせ、サンウルブズの残りの試合へ呼んでもらえるくらいのパフォーマンスを出さないといけない」

そう。田村がいま見据えているのは、11日に秩父宮である一戦。スーパーラグビーのワラターズとの親善試合だ。ここで存在感をアピールしたい。

申し訳ないけど、感謝もしている

明治大学の主力バックスだった田村が東芝入りしたのは、いまから約1年前だ。小さくない獲得合戦の末のことだった。

当時の冨岡鉄平ヘッドコーチに将来性を買われ、オープニングゲームで背番号10をつけた。NECとの第2節では、日本代表のスタンドオフでもある兄の優とのきょうだい対決で話題を集めた。

しかし、季節を追うごとに強まったのは、将来への漠たる不安感だったか。東芝の門を叩いた時も覚悟を持っていたのだが、そもそも人の気持ちは不確実なものだ。

より大きな成長の機会を、外部に求めたい。

トップリーグのシーズンを6勝9敗で終えたのち、田村は東芝側へ思いを明かした。

「本格的に考えたのは、シーズンが終わってからです。来年以降に不安があることを伝えて…」

事はそう簡単に運ばない。自分の意見を伝えたのとほぼ同じタイミングで、サンウルブズの活動が始まった。タイトな日程が両者のコミュニケーション不足を生んでもおかしくない。本人も、後に経緯説明をする途中で「サンウルブズの合宿もあって、あまり直接話す機会がなく…」と言葉を添えている。

何より最初の東芝入社に向け、多くの社会人が動き、汗を流し、書面を取り交わしている。田村を採用したくてもできなかった、あるいは名乗り出ることさえ自重した企業はほかにもあったろう。これらの事象を踏まえれば、東芝の退社とサントリーへの入社との間にタイムラグが生じるのも自然だった。

「僕が東芝のスタッフの立場だったとしても…というものはありました。簡単には、送り出せない」

母校のイベントに出かけた4月某日、「無所属」となった田村は「迷惑をかけてしまったのは事実。それは、プレーで返したい」と言葉を選んでいた。晴れて移籍を発表してからも、贖罪の気持ちを明かしている。

「東芝には本当に申し訳ない形になりましたが、感謝もしています。これからも…関係が続けば」

結果を出さないと、恩返しはできない

過度な引き抜き行為をけん制する目的からか、国内のトップリーグには移籍に関する厳格な規定がある。

『第 93 条〔選手の移籍〕 1.前所属チーム(JRTL=筆者注・トップリーグ、加盟チームであるか否かを問わない)を退部し、JRTLに加入する他チームへ移籍した選手は、JRTLが届けを受理した日より1年間公式試合には出場できない。ただし、「選手離籍証明書」を所有し、移籍前1年間に亘り所属していた前チームから「選手移籍承諾書」を発行されている選手は所定の選手登録手続完了後、ただちに公式試合出場が認められる(以下略)』

すなわち、前所属先が「リリースレター」とも呼ばれる「選手移籍承諾書」を新所属先へ発行していない限り、田村はこのシーズンのトップリーグではプレーできない。自身もまだ、その点については「わからない」と話す。新天地を目指す過程でのトラブルにより「選手移籍承諾書」を受け取れなかった選手は、過去にもいた。プロ選手の増加に伴い一時は規定改正も叫ばれたが、その議論は宙に浮いたままのようだ。

もっとも田村は、コントロールできぬ事案には左右されない。東芝と同じく府中市にある新天地のグラウンドで、己の進化に専念するだけだ。昨季のトップリーグを制したサントリーには、同じスタンドオフに日本代表経験者の小野晃征がいる。切磋琢磨が期待できる。

「10番(スタンドオフ)として成長できる。簡単に出られないのはわかっていますけど、学べることがある。サンウルブズからこのチームに帰った時にも、自分のスタンダードを高めたいと思っています」

いま抱いているのは、「恩返し」への意志だ。

雌伏期間は、サンウルブズやナショナル・ディベロップメント・スコッド(日本代表候補の育成機関)のセッションで活動。それらがない時は、母校のトレーニングに参加した。丹羽政彦監督に練習環境がない旨を相談すると、快く受け入れてくれた。

「東芝の方、サントリーの方、明大の丹羽監督、いま伝えられなかった方も…。色んな人に迷惑をかけ、支えてもらってきた。ラグビー選手として結果を出さないと、恩返しはできない」

決断に際しては、東芝の元同僚へも報告した。日本代表でのキャプテン経験もあるリーチ マイケルらに一部始終を伝えると、何人かからはこんな返事が返ってきたという。

「そりゃ、行って欲しくはない。でも、成長してくれるのが一番いい」

誰よりも強くなりたいという人間の性は、アスリートなら共感しうるものだった。

人の行動原理を「自分がどうしたいか」「自分がどう見られたいか」に分類すれば、23歳だった田村は前者に基づき動いたこととなる。それが正解なのかどうかは、これからの「自分がどうするか」で明らかにする。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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