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日本代表、南アフリカ代表に歴史的勝利! 試合後、出場選手は何を話したか【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
歓喜の瞬間。「直後は一生に一度のことなので喜んだ。でも…」とスタンドオフ小野。(写真:アフロ)

試合が終わるや、37歳の大野均はぶっとい指を目のあたりに添えた。

「そうですね。自然と…出てきました」

こんな時に何を思っていたかなんて、正直、わからないものだ。それでも大野は、聞かれたから言葉を絞った。

「ずっとワールドカップで勝ちたいと思っていて、それが南ア戦で達成できて…。両方の喜びですね。ワールドカップで勝てたことと、南アに勝てたことの」

無名の日大工学部郡山キャンパスで競技を始め、あれよという間にキャップ数(国同士の真剣勝負への出場数)は95を数えた。昨年5月から国内歴代最多記録を更新中だ。ただ、この午後を「南アに勝った。これ以上の試合はない」と振り返るのは必然だった。

「最後まで南アに勝つと信じ続けられた。ずっと宮崎でキツい合宿(4月から断続的に続いた猛練習の日々)をやっていたから。2007年、11年に皆さんをがっかりさせた。そういう方と一緒に喜ぶことができて、それが嬉しかったですね」

2015年9月19日。イングランドはブライトンコミュニティースタジアム。4年に1度のラグビーワールドカップの予選プールB初戦。過去、24年間勝利のなかったジャパンが、1995、2007年大会優勝国の南アフリカ代表に34-32で勝った。相手の得意なモールなどで失点こそ喫したが、敵陣22メートル以内でのピンチを何度、防いだか。縁の下を支えるロックとして過去3大会出場の大野も、必死に抗った。

ロッカールームへ戻り、殺風景なミックスゾーンへ現れたフィフティーンの声は、それぞれの色彩を放っていた。大野と同じく3大会連続出場となる60キャップ目の34歳のロック、トンプソン ルークも「ゴメンナサイ、疲れて、日本語、出てけえへん」と第2言語の関西弁で話し、「私の仕事はチョップタックル(相手の足元へ低く刺さる)。そしてラック(密集での仕事)。それだけだよ」と続けた。

相手のロックには、124キャップのヴィクター・マットフィールドがいた。「マットフィールドに勝ったね」との問いに、刺身が好きな愛称「トモさん」は言葉を絞った。

「まだ、信じられへんね」

16-19と3点リードを追う後半9分ごろ。南アフリカ代表が攻める。縦。縦。ピンチを防いだのは、2人がかりのダブルタックル。片方はトンプソンだった。

もうひとりは、田中史朗だった。接点際で球をさばくスクラムハーフとして50キャップを取得した30歳。何より南半球最高峰スーパーラグビーの日本人第1号として、今季は所属先のハイランダーズの優勝も経験していた。

キックオフ直前の様子を「緊張はしていましたけど、スーパーラグビーの決勝と似たような感覚ではありました」と振り返った田中は、「勝因はディフェンス。相手は強い。でも、それ以上にウチの選手が頑張っていた。1人ひとりの判断が光ったと思います」。事実、相手の簡潔で強いランナーにあおられれば、ジャパンはそちらへ吸い寄せられた。しかし、次の局面、数的不利守らねばならぬ折、山田章仁と松島幸太朗の両ウイングらが「判断」を示していた。グラウンドの「外」から「内」へ駆け込んでパスコースを防いだり、相手の走路を先回りしたり…。

ちなみに山田は、ウォーミングアップの際に芝の状況を確認して「ちょっと滑りやすいな…」と試合直前に足裏のいぼの長いスパイクに履き替えていた。慶応義塾大学を出てからずっと職業選手だった14キャップ目の30歳は、「アンダーアーマーさんに感謝ですね」と用具提供メーカーの名前を挙げつつ、「なかなかボールも回ってこなかったんで、タックルは、行こうかな」と自己を俯瞰した表現で気持ちを明かした。

「まだ、終わってない。これが次につながるといいですね」

後半38分ごろ、場内アナウンスでマン・オブ・ザ・マッチが発表される。

<フミアキ、タナカ>

「全然、聞いてなかったです」

後半26分にお役御免となった、田中本人の実感である。視線の先では、逆転勝利につながる最後の攻撃が繰り広げられていた。「フミさん」はそこに夢中だった。ベンチのメンバーは皆、総立ちだった。

南アフリカ代表の一時退場処分と相まって、8対7で組み込むスクラムをぐいと押し、右、左と球を散らす。最後は、直前の合宿で仲間とつかみ合いになっていたウイングのカーン・ヘスケスが飛び込んだ。交代出場直後の、大仕事。代わりに退いていた山田は、「誰が出ても、レベルは落ちませんし」と苦笑した。

その時と同じように皆、破顔していたシーンがある。後半28分。敵陣22メートル線手前左のラインアウトから、用意された動きでトライを決めたシーンだ。五郎丸がトライとコンバージョンを一気に決め、29―29と同点に追いついている。

きっかけとなるパスを放ったのは、25歳で40キャップ目の立川理道だった。練習回数が制限される切り札、クレイグ・ウィングの「ふくらはぎの問題」のために急きょ、リザーブ予定から先発に回ったセンターだ。正直なこの人は言った。

「練習では、僕が(主力組に)入っていた。急きょ入ったからどうこうというより、自分のことをやろう、と。焦ることはなかったです。(試合開始前は)割と、落ち着いていましたね。スタジアムでは(演出上)炎がボン! と上がったりして、テレビで観ていたワールドカップ。そこに、自分がいるんだ、と。楽しみだな、という気持ちが強かったですね」

昨季はスーパーラグビーのブランビーズへ留学も、公式戦での出番はなかった。日本代表でのパフォーマンスにも支障が出て、エディー・ジョーンズヘッドコーチにはたびたび叱責された。4年前から代表の常連だったが、常連でい続ける間に辛苦はあった。

ひとつのゲームに力を込める。その心なら、イングランドへ来る前に再確認していた。その延長線上にタックルの雨あられがあった。

「歴史、変えたんじゃないですかねぇ。でもまぁ、本当に前半からジャパンの仕事をすればイケるという思いはあった。簡単にトライを取られる時はありましたけど(後半にタックルミスから2トライを喫した)、その後もエリアを取ったり…。もう1回チャンスが来る、来る、と思ってやっていた。個人個人、本当に気持ちの入ったタックルができた。自分たちはフィットネス(持久力)に自信があるとわかっていた。むしろ向こうの方が僕らの低いタックルを嫌がっていた。しつこく行って、リロードして。続けていれば簡単にトライを取られないとわかっていた。しんどい宮崎合宿を自信にして、できた」

ノーサイドの直後こそ家族、ファンとはしゃいでいた選手たちだったが、ロッカールームへ戻り、その後のミックスゾーンに現れた頃には皆、落ち着いてきた。

中3日開けての21日にはグロスターで、スコットランド代表との予選プール第2戦がある。チームの目標である準々決勝進出へは、あと、もう1、2勝は必要。次戦以降も「苦戦必至」が大会前の評判で、もう、南アフリカ代表ほど迷っている相手は出てこないはずだ。「ロッカーに帰ったら、皆からはクォーターファイナルという言葉が出ていた」とは、試合運びにおける無形の力を発揮するスタンドオフ小野晃征だ。

そもそも、この勝利は現代表チームの力の証であって、日本ラグビー界の進化の証とは言い切れない。日本代表の勝利には持てる力のすべてを捧げているであろうジョーンズヘッドコーチとて、若年層の強化や競技の普及などといった国のベースについては、あるタイミングから「私の仕事ではない」と断言している。

そして、そうした諸問題にかなり辛辣な意見を発信してきたのが、この国でパイオニアと謳われる田中だった。もっとも南アフリカ代表戦後は、そういう話題は上がらない。ただただ、いまのチームの凄味を語るのみである。

「嬉しさ、しかなかった。その後はよく、わからないです。最近は練習でも本当に意識が高くて…。日本は前回のワールドカップで申し訳ない思いをさせてしまったんですけど…きょうは、よかったです」

歴史的な白星を掴んだからこそ、注目度は上がる。関わる人たちの地金が見える時だ。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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