高校野球黄金時代を振り返る!   第4章  旋風を巻き起こしたチーム(その1)

旋風を巻き起こしたチームの存在は、甲子園を盛り上げることにつながる(筆者撮影)

 甲子園の魅力は、「スタートラインが同じ」ことだと思う。わかりやすく言うと、センバツなら21世紀枠のチームが、いきなり優勝候補と当たることもある。昨夏の決勝に進出した履正社(大阪)と星稜(石川)は、センバツの初日にも当たっている。つまり、平等に行われる抽選に、さまざまなドラマを生み出す要素が隠されているということだ。(文中敬称略)

「旋風」は「最優秀助演」

 これまでの甲子園では、数々の「旋風」を巻き起こしたチームが、大会を盛り上げた。記憶に新しいところでは、一昨年夏の金足農(秋田)の準優勝。13年前の夏に逆転満塁弾で優勝した佐賀北は、「がばい旋風」と呼ばれた。この2校は明らかに大会の主役級であったが、この章で紹介するチームは、甲子園を大いに盛り上げた。映画なら、「最優秀助演賞」ということになろうか。

「旋風」の定義

 読者それぞれに「旋風」校のイメージをお持ちだと察する。筆者が考える甲子園の「旋風」とは?

1、その大会が初めての出場、あるいはそれに近い、いわゆる「地方の公立校」であること

2、強豪を相手に、劇的な試合をいくつも演じたこと

3、筆者が直接、取材していること

「旋風」と言うからには、優勝候補が該当することはない。また「3」の直接取材は、実際に体験した「空気感」によるものであり、多少の主観が入ることはご容赦いただきたい。

3年目のチームが快進撃

 筆者が入社1年目の1985(昭和60)年夏は、前章の「KK」最後の夏に当たり、最も華やかな大会のひとつに数えられる。この大会で4強に進出した甲西(滋賀=タイトル写真は18年夏)は、開校わずか3年目の新鋭だった。

滋賀県南部にある県立甲西高校。開校3年目での旋風は長くファンの記憶に残る(筆者撮影)
滋賀県南部にある県立甲西高校。開校3年目での旋風は長くファンの記憶に残る(筆者撮影)

 初戦(2回戦)で、伝統の県岐阜商を7-5で破って初陣を飾ると、3回戦では久留米商(福岡)と、白熱の投手戦を演じる。甲西のエース・金岡康宏(中京大)は、速球が武器の本格派。久留米商の秋吉章史(日産自動車九州)は、横手から繰り出す速球に威力があり、両校ゼロ行進で延長にもつれ込んだ。11回、疲れの見え始めた金岡がついに先制を許す。しかし甲西も粘り、その裏2死1、2塁で、主将の4番・石躍(いしおどり)雄成(早大)が、執念のひと振り。秋吉の速球に詰まったが、これが幸いして打球が緩く右前に転がり、間一髪の生還につながった。そして次打者の時、石躍が果敢にスタート。捕手の送球が中堅に抜けてしまい、あっという間の逆転サヨナラで8強に進んだ。

大魔神・佐々木から大金星

 準々決勝は東北(宮城)が相手で、エースは佐々木主浩(元横浜ほか)。「大魔神」の愛称で知られる球界ナンバーワンの抑え投手だ。この大敵にも、甲西は無欲で挑んだ。序盤から2年生の3番打者・奥村伸一(近大~プリンスホテル、元甲西監督)の活躍で佐々木を攻略し、優位に立つ。金岡に抑えられていた東北も、中盤以降は少ない好機を点に結びつける試合巧者ぶりを発揮し、8回を終わって4-4の同点で最終回に突入した。9回、東北は2死2塁で、当たり損ねの1塁ゴロ。甲西の連携がもたつく間に、走者が一気に生還する(記録は適時打)抜け目のなさでこの試合、初めてリードした。それでも甲西は1死から奥村が安打で出塁すると、初球にすかさず盗塁を決める。「佐々木君のクセがわかっていたんで」と、のちに奥村源太郎監督(79)から聞いたが、この試合で甲西は盗塁を5回試みて、すべて成功させている。とても3年目のチームとは思えない。そして、石躍の当たりは強烈な1塁ゴロ。一塁手の葛西稔(元阪神)が後逸する間に、奥村が生還して土壇場で追いついた。股間を抜けたため記録は失策だが、打球の勢いが強く、葛西が反応できなかったように見えた。さらに甲西は2死2塁から、2年生の6番・安富秀樹が右翼線を抜くサヨナラ打を放って、佐々木の東北を倒す大金星を挙げた。

「普段の生活をしっかりと」

 「2試合連続逆転サヨナラ」。その勢いはPL学園(大阪)には通じず、2-15で大敗したが、連日、アルプススタンドは超満員となり、入りきれない人が、内外野のスタンドを埋めた。

左から石躍さん、奥村源太郎監督(撮影時甲西校長)、奥村伸一さん。伸一さんは昨春まで甲西の監督で、長男の展征(24=ヤクルト)と弟の真大(京都・龍谷大平安3年)も活躍中(平成12年筆者撮影)
左から石躍さん、奥村源太郎監督(撮影時甲西校長)、奥村伸一さん。伸一さんは昨春まで甲西の監督で、長男の展征(24=ヤクルト)と弟の真大(京都・龍谷大平安3年)も活躍中(平成12年筆者撮影)

 奥村源太郎監督が甲西の校長時代、取材に訪れたことがある。ちょうど20年前になるが、1期生として入学した石躍ら当時の3年生は、校舎の敷地が造成地だったこともあり、最初はグラウンドの石ころ拾いばかりしていた。大きな石が出てきて、練習を中断することもたびたびあったようだ。石躍は、「最初のうちは(練習試合の)相手をしてくれるところもなかった」と回想する。奥村監督は、「甲子園で勝ったときに石躍が、『普段の生活をしっかりしていたので勝てました』と話したのが一番、嬉しかった」と、教育者としての喜びを話していた。これこそが、「高校野球の原点」なのだろう。

35年前の記憶は現在にも

 翌年の夏も連続出場した甲西は、開幕戦で奥村が大会1号を放って三沢商(青森)に快勝したが、2回戦で敗退。その後、甲子園出場はない。35年前の夏に、甲西が残した甲子園の記憶は、全国的な休校が長引く現在にも通じる。甲西の1期生たちは、試合はもちろん、練習すらままならない日が長かった。当時を振り返って、「一日一日を大切にしていた」と話す石躍の言葉は、現役の球児たちにも当てはまる。全国の高校生たちには、夏の舞台があることを信じ、日々を有意義に過ごしてほしいと願っている。