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「この街には共通言語がないんです」。世界が注視する新鋭監督が語る多言語・多文化共生都市の魅力

水上賢治映画ライター
「ゴースト・トロピック」より

 意外と自分の身近なところに、人の温もりや優しさ、愛おしさを感じる瞬間があるのではないか。

 目を凝らしてみると気づいていないだけですぐそばに、心に癒しを与えてくれる存在がいるのではないか。

 そんな気持ちにさせられるのが、ベルギーの新鋭、バス・ドゥヴォス監督の作品といっていいかもしれない。

 多言語・多文化共生都市として知られるベルギーのブリュッセルを舞台に、ムスリムの女性清掃作業員のある一夜の出来事を描いた「ゴースト・トロピック」、偶然の出会いから植物学者の女性と移民労働者の男性が心を通わす「Here」、いずれもなにか特別なことが起きるわけではない。

 だが、どこかにいる市井の人々のありふれた営みを慈しみの目をもって優しく肯定する作品は、不思議とこちらの心を落ち着かせ、安らぎを与えるとともに幸せな気持ちで満たしてくれる。

 世界から注目を集めつつある彼に訊く。全四回。

バス・ドゥヴォス監督  提供:サニーフィルム
バス・ドゥヴォス監督  提供:サニーフィルム

「苔」に興味をもったきっかけは?

 前回(第三回はこちら)から、長編第四作「Here」についての話に入った。

 本作は、ルーマニアに帰国するか悩んでいる移民労働者のシュテファンと、苔類の研究者であるシュシュの偶然の出会いから結びついていく様が、よく見ると繊細で多様な世界が広がっている苔をはじめとした自然界の営みとともに描かれる。

 「苔」に着目した理由をこう明かす。

「自然に目を向けようと考えてから、生物学者の著書や、植物や花について書かれた本などを手にして目を通すようになりました。

 その過程の中で、ロビン・ウォール・キマラーの著書『コケの自然史|Gathering Moss』という本を手にしました。

 この本が、苔愛に満ちた本だったんです。苔への愛が僕に伝わってきました。そこで苔に興味を持ちました」

「Here」より
「Here」より

蘚苔学者のゲルト・ライマッカーズとの出会い

 そこで単に興味をもったで終わらないのがバス・ドゥヴォス監督。すぐに専門家の話をききたいとブリュッセル大学の生物学のラボの門を叩いたという。

「てっきり苔の研究をしている教授がいるだろうと思って、大学に問い合わせたんです。『専門家か研究者に話をきけないか』と。

 そうしたら、『苔』はかなりレアな学問で専門家がブリュッセル大学にはいないことが判明しました。

 ただ、苔のエキスパートがブリュッセルにいますよということで教えてもらったのが、蘚苔学者のゲルト・ライマッカーズでした。

 そこですぐに彼にコンタクトをとりました」

いまも彼とは二カ月に1回ぐらいのペースで、苔探索をしています

 こうして知り合うと、彼と共に定期的に拡大鏡を片手にブリュッセルのあちこちを散歩して苔をみてまわったという。

 まさに劇中のシュテファンとシュシュのように植物と苔の観察をしていたという。

「ひと言で『苔』といっても、一つではなくて、いろいろな種類があって、いろいろな子がいるんです(笑)。

 ゲルト・ライマッカーズにいろいろと教えてもらい、わたしにとっては未知の世界に誘われ、毎回なにかしらの発見のあるすばらしい時間になりました。

 書物でみるのと、実際に見るのとでは印象もかわってくるので、ほんとうに楽しいひと時でした。

 この体験は、『Here』にも大きく反映されていると思います。

 以来、もう苔の世界にはまってしまって、実はいまも彼とは二カ月に1回ぐらいのペースで一緒に散歩に出て、苔探索をしています」

「ゴースト・トロピック」より
「ゴースト・トロピック」より

ブリュッセルという街の魅力

 では、最後に自身の作品の舞台にしているブリュッセルは、自身にとってどういう街なのだろうか?

「そうですね。2001年に引っ越してきたので、もうブリュッセルに住み始めて23年になります。自分の人生の中で一番長い時間を過ごした街になります。

 ただ、ここが『自分のホームタウンだ』と思えるようになるには時間がかかりました。

 この街は多様で誰でも受け入れてくれる。でも、多様であるがゆえに複雑でもあって、手なずけるのに少々手を焼くというか。なじむのに少し時間がかかるんです。

 マジョリティがいなくて、マイノリティがいっぱい存在して成り立っているような街なんです。

 たとえば、それこそ『ゴースト・トロピック』で焦点を当てたムスリムの女性だけではなく、ほかにもいろいろな国から来た移民がいっぱい存在している。そういった少数者がいっぱい集まってひとつの社会が構成されている。

 だから、僕も住み始めたときは、ちょっと移民のような感じで新天地に来たという感覚がありました。

 で、ブリュッセルはベルギーの街ではあるんですけど、ベルギーじゃないといいますか(笑)。

 ブリュッセルに住む人には、自分はブリュッセル人といった感覚があるんです。

 みんなそれぞれに普段は、わたしだったらベルギー人、たとえばフランスから来ていたら自分はフランス人と意識しているのだけれど、ブリュッセルに住んでいるとなったら、自分たちは同じブリュッセル人だね、といった共通意識がある。

 それぐらい暮らしている人たちが多様なんです。いろいろな人がいる。

 だから、住み始めたころというのは、僕はまだベルギー人でブリュッセルとはちょっと距離があった。

 でも、だんだんと自分の居場所みたいなところを見つけることができて、この街の心地良さを実感できるようになりました。

 基本的に人々はオープンマインドだし、美しい自然に囲まれている。

 振り返ると、時間をかけながら、わたしはこの街に恋をしていた気がします。

 中でも、わたしがブリュッセルで素敵だなと思うところは言語なんです。

 ブリュッセルには、人々を結びつける共通言語がないんです。

 パリだったらフランス語、ベルリンだったらドイツ語、アムステルダムだったらオランダ語といったように共通言語がある。でも、ブリュッセルはそれぞれの人がいろいろな言語を操ってコミュニケーションをとる。街ではいろいろな言語が飛び交っている。だから、最初に出会ったときに、みんなこう言うんです。『自分の言っていることがわかるかい?』と(笑)。

 そこから始まって、関係を深めていく。このようななにかひとつにしばられない、自由でおおらかなところがブリュッセルという町を生き生きとさせているんじゃないかなとわたしは思っています」

(※本編インタビュー終了)

【バス・ドゥヴォス監督インタビュー第一回はこちら】

【バス・ドゥヴォス監督インタビュー第二回はこちら】

【バス・ドゥヴォス監督インタビュー第三回はこちら】

「Here」ポスタービジュアル
「Here」ポスタービジュアル

「Here」

監督・脚本:バス・ドゥヴォス

撮影監督:グリム・ヴァンデケルクホフ

音楽:ブレヒト・アミール

出演:シュテファン・ゴタ、リヨ・ゴン、セドリック・ルヴエゾ、テオドール・コルバン、サーディア・ベンタイブほか

「ゴースト・トロピック」

監督・脚本:バス・ドゥヴォス

撮影監督:グリム・ヴァンデケルクホフ

音楽:ブレヒト・アミール

出演:サーディア・ベンタイブ、マイケ・ネーヴィレ、シュテファン・ゴタ、セドリック・ルヴエゾ、ウィリー・トマ、ノーラ・ダリほか

公式サイト https://www.sunny-film.com/basdevos

全国順次公開中

「Here」の写真は(C)Quetzalcoatl

「ゴースト・トロピック」の写真は(C)Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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