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多言語・多文化共生都市の日常を見つめて。共に生きる社会の思いやりと優しさについて考える

水上賢治映画ライター
「Here」より

 毎日のように目にして、同じように映る風景の中に、実は見過ごしている、美や心を動かす感動があるのではないか。

 意外と自分の身近なところに、人の温もりや優しさ、愛おしさを感じる瞬間があるのではないか。

 目を凝らしてみると気づいていないだけですぐそばに、心に癒しを与えてくれる存在がいるのではないか。

 そんな気持ちにさせられるのが、ベルギーの新鋭、バス・ドゥヴォス監督の作品といっていいかもしれない。

 多言語・多文化共生都市として知られるベルギーのブリュッセルを舞台に、ムスリムの女性清掃作業員のある一夜の出来事を描いた「ゴースト・トロピック」、偶然の出会いから植物学者の女性と移民労働者の男性が心を通わす「Here」、いずれもなにか特別なことが起きるわけではない。

 だが、どこかにいる市井の人々のありふれた営みを慈しみの目をもって優しく肯定する作品は、不思議とこちらの心を落ち着かせ、安らぎを与えるとともに幸せな気持ちで満たしてくれる。

 世界から注目を集めつつある彼に訊く。全四回。

バス・ドゥヴォス監督  提供:サニーフィルム
バス・ドゥヴォス監督  提供:サニーフィルム

2016年、ホームタウンのブリュッセルで起きたテロ事件。

しばらくはなにも手がつかなかった

 はじめに触れておくと、今回公開される「ゴースト・トロピック」と「Here」は、彼にとって長編第3作と第4作になる。

 実のところ、第3作「ゴースト・トロピック」の前に、監督の中で、ひとつ大きな心境の変化があったという。

「ひと言では言い尽くせないのですが、長編第1作の『Violet』と第2作の『Hellhole』は、資金調達をはじめいろいろな困難があって、製作にかなりの忍耐と時間が必要とされました。

 とりわけ第2作の『Hellhole』は、かなり苦労しました。

 というのも、脚本を書いている段階の2016年3月22日に、ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、わたしのホームタウンであるブリュッセルでイスラム過激派による連続テロ事件が起きました。

 この作品は、もともとブリュッセルで生きる多様な人々を大きなテーマにしようと考えていました。

 その下準備では、移民の若者たちと多くの時間を共有して、彼らと対話を重ねました。

 その中にはムスリムの若者もいましたし、『ゴースト・トロピック』の主人公のようなイスラム教徒の女性にも出会っていました。

 ブリュッセルというのは、それぐらい多様な言語が飛び交い、多様な人々が共生している都市なのです。

 ですから、ひじょうにテロ事件はショックで、はっきり言うと、しばらくはなにも手がつかなくなってしまいました。

 少し心を落ち着かせてから改めて脚本の執筆にとりかかったんですけど、なかなか心の整理がつかなくて、まったく先に進むことができなかった。

 考えがなかなかまとまらなくて、脚本を書き終えることができなかったんです。

 で、どうにかこうにか脚本を書き終えることができたんですけど、次に資金の問題が発生して……。

 いろいろなことを考え合わせると、けっこうバジェットが必要なことがわかって、資金調達のためにベルギーだけではなくて、他国にも足を運んで協力をお願いすることに奔走することになりました。

 だから、映画を完成させたときは、もう疲れ果ててしまいました」

「ゴースト・トロピック」より
「ゴースト・トロピック」より

シンプルな映画をシンプルに作りたかった

 そこで、次はある意味、気軽に映画を作りたいという気持ちがわいてきたという。

「そうですね。

 次は、バジェットも撮影日数もあまりかけることなく、ささっと映画を作りたいといいますか。

 あまり込み入ったことはなしにして、たとえばある人のある1日を必要最低限の要素でシンプルに描くといったことができればなと。

 そういう考えを念頭に置きながら、予算もあまりかからない(笑)、軽やかでシンプルなストーリーを意識して脚本を書き始めました」

 そこにはこんな思いもあったという。

「次は、純粋に映画作りに情熱を注ぎこみたい気持ちもありました。

 さきほどもお話ししたように資金調達は映画を作る上で重要かつ大切なことです。予算がなければ企画は成立しませんから。

 でも、作り手としては悩まされるところで。

 あまりそちらにばかり時間をとられてしまうと、肝心の作る方に集中できないことになってしまう。

 そういう煩わしさから解放されて、シンプルに映画作りに情熱を注ぎたい。

 短時間で集中的に制作を進めることで、映画作りに打ち込みたい。

 そういう気持ちもありました」

第三作「ゴースト・トロピック」の出発点は?

 「ゴースト・トロピック」は、ブリュッセルを舞台に、掃除婦として働くムスリムの女性・カディジャのある一夜の物語。

 終電で寝過ごして目的駅で下車できなかった彼女は、諸事情あって歩いて家に帰ることに。

 真夜中の街を一人歩きだした彼女のちょっとした帰路の旅路が描かれる。

「さきほど、触れましたが、『Hellhole』の脚本執筆時、わたしは下準備で移民の若者たちと時間をともにしていました。

 その中で、わたしは、ある地区の団地で暮らす住民たちに関心を抱いて、話す機会をもつようになりました。

 その多くが移民の若者の母親であるイスラム教徒の女性たちでした。

 彼女たちとの対話で、わたしは彼らの実際の暮らしや貧困の現実といったことをはじめて知りました。

 そのとき思ったんです。ブリュッセルという都市で、ふだん目にしていながら、最も見たことのないのは彼女たちの存在と生活ではないかと。

 彼女たちの多くは移民 1世か 2世。多くが掃除婦や家政婦として働いている。

 そこで、彼女たちに焦点を当てたストーリーを書こうと思いました」

(※第二回に続く)

「Here」ポスタービジュアル
「Here」ポスタービジュアル

「Here」

監督・脚本:バス・ドゥヴォス

撮影監督:グリム・ヴァンデケルクホフ

音楽:ブレヒト・アミール

出演:シュテファン・ゴタ、リヨ・ゴン、セドリック・ルヴエゾ、テオドール・コルバン、サーディア・ベンタイブほか

「ゴースト・トロピック」

監督・脚本:バス・ドゥヴォス

撮影監督:グリム・ヴァンデケルクホフ

音楽:ブレヒト・アミール

出演:サーディア・ベンタイブ、マイケ・ネーヴィレ、シュテファン・ゴタ、セドリック・ルヴエゾ、ウィリー・トマ、ノーラ・ダリほか

公式サイト https://www.sunny-film.com/basdevos

Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下ほか全国順次公開中

「Here」の写真は(C)Quetzalcoatl

「ゴースト・トロピック」の写真は(C)Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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