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40年連れ添った妻の不倫に取り乱す昭和の男を演じて。「気づけばピンク映画からドラマまで出ていた」

水上賢治映画ライター
「なん・なんだ」で、主人公・三郎を演じた、下元史朗  筆者撮影

 結婚してもうすぐ40年になる妻の不貞を知った夫の怒りと困惑、やるせなさと諦めを描いた映画「なん・なんだ」。

 昨年公開された「テイクオーバーゾーン」では中学生の少女の心模様を描いた山嵜晋平監督が、一転して老いゆく男に眼差しを置いた本作は、同監督の「10 年ほど前、自殺しようとしていたおじいさんを止めた経験から、老いた人間の残された時間の生き方について、いつか描きたいと考えるようになった」という思いが結実した1作になる。

 主演を務めるのは、ピンク映画からVシネマ、一般映画からドラマまで数々の作品に出演してきた俳優、下元史朗。

 昨年公開された「痛くない死に方」で、余命僅かの老人役での渾身の演技がまだ記憶に新しい彼だが、今回もまた老いて複雑な状況に置かれるひとりの男を体現する。

 キャリア50年を超す彼に話を訊く(第一回第二回)。(全三回)

『ウエスト・サイド・ストーリー』とか200ステージぐらい裏方をやった

 第三回となる最終回は、これまでのキャリアを振り返っていただいた。

 俳優人生はすでに50年を超す。そのキャリアは舞台から始まっている。

「はじめは、舞台俳優を目指していて、劇団NLT(※三島由紀夫が結成した『NLT』が母体の劇団)に研究生として入ったんですけど、1年で追い出されたんですよ(笑)。

 僕は続けたかったんですけど、1年ぐらいで『もういいです』と追い出された。

 理由は授業に出ないから。とにかくお金がない。授業に出るとお金がかかるから、出なかった。そうしたら、『もういいです』と。

 授業に出ないで、劇団四季の裏方をずっとやってたんです。『ウエスト・サイド・ストーリー』とか200ステージぐらい裏方をやったんじゃないかな。

 それで、ほとんど劇団にいかなかった。で、最後の卒業公演で発表会があるんですけど、そのときも、授業に出てないから、あんまり仲間とも仲良くない。

 割と僕が年上のほうで。年上といってもまだ22~23歳だったけど、もう劇団からは追い出されました。

 ちなみに、そのころぐらいに、今回共演しているトバ(外波山文明)と知り合っています。

「なん・なんだ」より
「なん・なんだ」より

 まあ、その前から俳優を目指していて、それこそ、文学座の試験も受けました。

 僕が受けたときは800人くらい受験生がいて、で、ほとんどの受験生に先生が付いてるんですよ。

 僕はそんなの知らないから、ひとりで受けて、見事に一次で落とされました(笑)。

 で、最初は、サラリーマンをやりながら、どっかいい劇団があればと探していた。

 そうしたら、昔の知り合いから、今度芝居をやるんでちょっと出ないかって、電話かかってきた。

 断る理由もないから、出るよとなって。

 役者をやり始めると、無理してサラリーマンをやる必要もないだろうと思って入った劇団がNLTだった。1年で放り出されるんだけどね(苦笑)」

ピンク映画に数多く出演したのは、いろいろな監督が

間髪入れずにオファーをくれたから

 こうして舞台からキャリアははじまり、20代半ばぐらいからピンク映画への出演が相次ぐことになる。

「はじめは、小林(悟)監督の東活(※松竹系のピンク映画会社)に出演していたんだけど、ほとんど男の顔は映らない。

 そのうち下手をすると女優の顔も映さないような作品もあったりして、そうなると役者としてまだ若いころだし演じる意味を見出せない。

 そういう不満を抱えているとき、知り合っていた高橋(伴明)監督から、『若松プロの方でとるかも』ということで声がかかって、本格的にピンク映画に出演するようになった。

 ピンク映画に数多く出演したのは、高橋監督だけじゃなくて、渡辺護監督とか、ほんとうにいろいろな監督が間髪入れずにオファーをくれたから。

 それで気づけばってとこですよ。たとえば、滝田(洋次郎)が監督になったときに呼んでくれたりと、片岡修二(監督)が呼んでくれたりとか。

 そうこうしていたら、監督たちがほかでも活躍するようになって、一般映画だったり、テレビドラマにも出演できるようになっていた」

「なん・なんだ」より
「なん・なんだ」より

高橋(伴明)監督が、ずっとピンク映画を撮っていたら、

たぶん僕もずっとピンク映画に出演し続けていたんじゃないかな

 ピンク映画からVシネマ、一般の映画にテレビドラマなど、これだけ分け隔てなく出ている俳優もなかなかいないと思うが?

「いま考えると、たぶん高橋(伴明)監督が、『TATTOO<刺青>あり』(1982年)で初めて一般映画監督としてデビューしたころ、ピンク映画はもう下火になりはじめていた。

 それで作り手たちが、テレビやVシネマの方に活躍の場をうつしていって、しばらくしたら、Vシネマがはやりはじめた。

 そういう流れの中に、自分は俳優としていて、うまく監督たちが拾ってくれて起用してくれたということだと思います。

 それで気づけば、テレビ、映画、Vシネマなどいろいろと出ていた。

 たぶん、たとえば高橋(伴明)監督が、ずっとピンク映画を撮っていたら、たぶん僕もずっとピンク映画に出演し続けていたんじゃないかな」

僕と同世代が楽しんでもらえる作品を届けられたら

 個人的にはこれまでのイメージにあったキリっとしたヤクザや怖みのある幹部役員などもやってほしいが、これからは、今回の三郎や、「痛くない死に方」のような枯れつつある老人をはじめとした市井の人間役をもっとみてみたい気持ちがある。

 本人はこれからをどう考えているのだろうか?

「これまでぞんざいにしていたというわけではないのだけれど、これからはより演じる役のひとつひとつを大切にしたいと思っているんですよ。

 この年になってくると、同年代の俳優、もしくは少し下の俳優との別れというのが増えてくる。それは寂しいし、自分もどこまでやれるか考える瞬間がある。

 だから、悔いのないようにひとつひとつの役、ひとつひとつの作品を大切にしたい。

 そして、どうしてもいまの映画やドラマは、若者が楽しめるもの中心になってしまうけど、ひとつでも多く、今回の『なん・なんだ』みたいな僕と同世代が楽しんでもらえる作品を届けられたらと思っています」

『なん・なんだ』より
『なん・なんだ』より

『なん・なんだ』

企画・監督:山嵜晋平

プロデューサー:寺脇研

脚本:中野太 音楽:下社敦郎

助監督:冨田大策 撮影:山村卓也 照明:神野誉晃 録音:篠崎有矢

美術:三藤秀仁 衣装:米村和晃 メイク:木内香瑠

出演:下元史朗 烏丸せつこ

佐野和宏 和田光沙 吉岡睦雄 外波山文明

三島ゆり子

公式サイト:https://nan-nanda.jp/

新宿K’s cinemaほか全国順次公開中

場面写真は(C)なん・なんだ製作運動体

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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