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アマゾンに単身乗り込み、かつて首狩り族として恐れられた部族と行動を共に。僕が無謀な旅に出た理由

水上賢治映画ライター
「カナルタ 螺旋状の夢」の太田光海監督  筆者撮影

 インフラの整備された都市とはまったくの別世界。いわゆる原生林の中のような未開の地に縁もゆかりもないひとりの若者が足を踏み入れて、現地の人々と出会い、同じ時を過ごす。

 簡単に表すとこんな過程を辿って生まれたといっていいのが、現在公開中のドキュメンタリー映画「カナルタ 螺旋状の夢」だ。

 ある種、誰もの心のどこかにある見たことのない世界へのあくなき冒険心と探究心が結実している1作といってもいいかもしれない。

 単身でアマゾンに分け入り、1年に渡って現地の部族に密着して本作を作り上げた太田光海(あきみ)監督に訊く。(全三回)

マンチェスター大学で「映像人類学」を専攻

 本作は、太田監督にとって初めての監督作品。そこで、いきなりアマゾンにわたり、単独で現地に入った。しかも、はじまりは大学の卒業制作だったという。

 彼のプロフィールをのぞいてみると、

「神戸大学国際文化学部、フランス・パリ社会科学高等研究院(EHESS)人類学修士課程を経て、英国・マンチェスター学グラナダ映像人類学センターにて博士号を取得した。

パリ時代はモロッコやパリ郊外で人類学的調査を行いながら、共同通信パリ支局でカメラマン兼記者として活動した。この時期、映画の聖地シネマテーク・フランセーズに通いつめ、シャワーのように映像を浴びる。マンチェスター大学では文化人類学とドキュメンタリー映画を掛け合わせた先端手法を学ぶ」

 とユニークなキャリアを積んでの今回の初監督作品になる。

「マンチェスター大学で専攻したのは日本語に訳すと『映像人類学』という学問で、簡単に説明すると、文化人類学とドキュメンタリー映画を掛け合わせたようなことを学びました。

 メインとしてはどちらかというと映像制作そのものより、文化人類学の理論や先行研究を調べたりすることが中心。

 その中で映像人類学という学問の歴史の中に位置付けられるような映画、たとえば、ドキュメンタリー映画の父と呼ばれるロバート・フラハティの『極北のナヌーク』などのドキュメンタリー映画を見ながら、それについて論じたり、どういう手法をもちいているのかを考える。

 なかなか言葉では説明しずらいのですが、こうしたことを学んでいました」

マンチェスター大学に進学した時点で「映画を撮りたい」と思っていた

 そこからどうして、今回の試みに至ったのだろうか?

「マンチェスター大学に進学した時点で『映画を撮りたい』と思っていました。

 というか、むしろ『映画を撮りたい』から出発し、考えていったら、マンチェスター大学に進んでという選択になっていったところがあります(笑)。

 ふつうは人類学など専攻した場合、学者や研究者になるとか、博士号をとって大学の教授になるとかが目的ですよね。

 でも、僕はそういう将来を第一の目的として大学に行っていなかった。映画を撮りたくて、その見識を深めて、なにかみえてくるところがあるのではないかという一心で行っていたところがある。

 その先にある進路とかほぼ考えていませんでした。

 考えていたのは、どうやったら映画を撮れるのか、ということ。

 で、当然ですけど映画はいきなり思い立って作れるものではない。

 プロデューサーが必要だったり、自分で作るにしても資金が必要になってくる。

 当時の状況で、僕が監督して映画を作れる可能性があるとしたら、なにかしらの資金援助が必要で。

 ただ、特に自分に実績があるわけではないので、クラウドファンディングで資金を得たり、映画の助成金を得るのもなかなか難しいことが予想される。

 じゃあ、どうするとなったとき、マンチェスター大学に、研究の一環で1年ぐらいどこかに滞在してフィールドワークをして作品を発表するという奨学金のプログラムを見つけました。

 そこで、『これに応募して受かったら、映画を撮れる!』と思って(笑)。大学で映像と人類学を学びながら、映画が撮ることができたら、もう一石二鳥と思って、頑張ってどうにかこうにかこのプログラム参加の権利を手にして奨学金も得たことで、この作品の道が拓けました」

「カナルタ 螺旋状の夢」より
「カナルタ 螺旋状の夢」より

出発点は、 東日本大震災と福島の原発事故

 その中で、アマゾンの地を選んだ理由は、自身の土地に対する意識があったと明かす。

「一番の大きなきっかけは東日本大震災と福島の原発事故です。

 僕は都会育ちで、当時、パリに留学中だったんですけど、ものすごいショックであるとともに、そのとき、自然界、地球、土地というものと自分とのつながりをもう一度考え直しました。

 その中で、自分がいかに自らの住む土地との繋がりを失っていたかに気づかされた。

 そして、文化人類学という人間社会の成り立ちを深く問い直す学問に励んでいたのに、その根本といっていい土地については『当たり前』にあるような受け止め方になってしまっていたことを深く反省しました。

 そこで、土地と人間の営みの原点がみられるような場所をテーマにした研究をして作品として発表できないかと考えはじめました」

アマゾン、改めて目を向けるべき土地ではないか

 その中で、なぜアマゾンを選んだのだろう?

「いくつかの要因が絡んでのことなのですが、1番はアマゾンが場所としてホットというか。いわゆる人と自然との関係を考えて、いわゆる森に囲まれた生活を想像したときにまっさきにイメージとして浮かぶのはアマゾンだと思うんですね。

 手つかずの土地であり自然を考えると、アマゾンのジャングルが思い浮かぶ。そこで生きる人々と土地と向き合って、人と土地のつながりを考えてみたかった。

 一方で、アマゾンはいま手つかずの自然である森林が一番消え去っている場所でもある。自然破壊の問題でトップニュースに上がってきやすい場所でもある。

 そういう意味で、改めて目を向けるべき土地ではないかと思いました。

 また、歴史から考えると、新大陸発見からスペインに支配を受けたように、未開の地であると一番最初に征服された土地ともいえる。

 ヨーロッパの巨大な力によって、先住民たちが追いやられた歴史がある。

 あと、パリの大学で学んでいたときに、世界的に知られる社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの一番弟子という大学の教授がいたんです。

 その教授の研究テーマが、アマゾンで生きるエクアドルの先住民についてでした。

 彼の授業に出たり、彼の本を読んでいたことも影響していると思います。

 ここまであげたことが組み合わされて、僕の意識が『アマゾン』に向かっていったと思います」

いま、もう一回同じことをやれといわれたらたぶん無理です(苦笑)

 こうした経緯を経て、アマゾンへの取材を決め、リサーチをして現地に入ることになった。

「アマゾンに決めたのはいいんですけど、正直、なにからなにまで想像できない(笑)。

 南米すら行ったことはありませんでしたから、現地ではなにが主食でどういう家に住んでいるのかもわからない。

 そもそもアマゾンで暮らしている人々がどういう生活を送っているのかも、実際のところはまったくわからない。

 なので、最初は、自分がアマゾンを訪れることもイメージできなかったです。

 いま振り返ると、よくアマゾンに行こうと決めたなと思います。あまりにも無謀すぎる。

 よく最終的に、エクアドル南部にたどりついて、アマゾンの熱帯雨林に住むシュアール族に出会えたと思います。

 いま、もう一回同じことをやれといわれたらたぶん無理です(苦笑)」

(※第二回に続く)

「カナルタ 螺旋状の夢」

監督・撮影:太田光海

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

場面写真はすべて(c)Akimi Ota

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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