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結婚、介護、仕事、追い詰められる40代女性を描く「女たち」。内田伸輝監督「厳しい現実の先に希望を」

水上賢治映画ライター
「女たち」 内田伸輝監督 筆者撮影

 現在公開中の映画「女たち」は、現代を生きる女性ならば誰しもがいつ直面してもおかしくない現実を逃げずに見据える。

 舞台は、美しい緑に囲まれた田舎町。一見するとのどかで田舎暮らしに憧れる人が理想としそうな場所だ。

 ただ、実はこうした近所すべてが顔見知りのようなところにこそ女性を抑圧する日本の古い体質が潜んでいることを本作は物語る。

「一歩間違えばわたしも主演の篠原ゆき子が演じる美咲と同じようになっていたかもしれない」。

 そんな反響の声が寄せられる「女たち」について、手掛けた内田伸輝監督に訊く。(全二回)

奥山和由プロデューサーからの突然の連絡

 はじめに本作の経緯を内田監督はこう明かす。

「奥山(和由)プロデューサーからご連絡をいただいたのがはじまりです。

 奥山さんが篠原さんに会った際に、僕(内田)とまた一緒にやってみたいようなことを言ってくださったみたいで。

 たぶん、『おだやかな日常』のあと、僕が篠原さんを想定しての脚本をいくつか考えていることを伝えていたので、それを覚えていてくださっていたんだと思います。

 それを篠原さんが奥山さんに伝えて、僕のところにお話がきた。

 そこで、篠原さん主演で40代の女性を主人公にした映画の企画を考えることになりました」

真っ先に頭に浮かんだのは就職氷河期世代ということ

 40代の女性が主人公という設定で、ひとつピンときたことがあったという。

「40代の女性を主人公にとなったとき、僕の中で真っ先に頭に浮かんだのは、就職氷河期世代ということだったんですよね。

 僕も同じ世代なのでわかるのですが、就職すること、正社員として働くことが厳しい状況だった。まずこれは外せないと思いました」

「女たち」メイキングより
「女たち」メイキングより

コロナ禍で映画業界も厳しい状況が続く中で、

僕自身が映画で救われたいと思ったんです

 一方で、2017年に公開された前作に当たる「ぼくらの亡命」を経て、次回作を考えたとき、こんな思いを抱いていたという。

「『ぼくらの亡命』はかなり愛着のある映画で、自分で言うのもなんなんですけど、すごく気に入っている作品なんですよ。

 でも、ひとつ心残りがあるというわけではないんですけど、ひとことで言うならば『救いのない』ドラマでした。

 自らホームレスとして生きる男が主人公ですけど、彼の愛や生き方が最後に報われるわけではない。

 なにかどん底に突き落とし過ぎてしまったのではないかと思ったんです。

 なので次回は厳しい現実を突きつけながらも、なにか一縷の望みのあるようなものにしたいなと。

 この世の中にある現実の残酷さや悲惨さを徹底的に見せるのも重要。

 でも、そういう悲惨な現実がある中で、どうにかして立ち上がった人もいるはずですし、あるひと言によって救われる人もいるはず。

 たったひと言で人って救われたりすることもあれば、奈落の底にも落ちることもある。そうした中でも絶望ではなく、希望を見い出したかった。

 そのようなことを考えていたら、新型コロナウイルスの感染拡大によるコロナ禍となって、社会全体が閉そく感がただよう事態になってしまった。

 その中で、こういう時代だからこそ、安易に楽観論には走らないけど、苦しみの先になにか光をみつけるようなことを描きたいと思いました。

 なによりコロナ禍で映画業界も厳しい状況が続く中で、僕自身が映画で救われたいと思ったんですよね。

 そこでいまだからこそ、厳しい現実があったとしても、最後に手をさしのべてくれるような映画をとりたいと考えました」

ミツバチのように個々の生き方プラス他者との関わり合いを考えてみたかった

 ここにもうひとつ加えたいことが思い浮かんだ。

「まあ実は、今回は撮影監督を務めている斎藤文さんの友人が養蜂園を経営していて、養蜂の作業を何度かみていたんです。

その光景が実に僕の中では映画的に思えて、ずっと映画にとりこみたい気持ちがあった。

 それで後付けというわけではないんですけど、ミツバチが蜜をためる養蜂の箱って1箱、だいたい5万匹のミツバチが棲んでいる。

 それぞれ同じところに棲みながら、それぞれが蜜を作るための役割を担っている。

 このミツバチのように今回は個々の生き方プラス他者との関わり合いを考えてみたかった。

 いままではどちらかというと僕の映画は、個人がどう生きるかに特化していたところがある。それから連帯=依存のような形にとらえることが多かった。

 でも、今回は連帯=協力という流れで考えてみたかった。

 そういうことを含めて、養蜂を取り入れたい気持ちがありました」

「女たち」メイキングより
「女たち」メイキングより

男性をここまで不在にした物語は考えていなかった

 このような考えのもとはじまった脚本作りは、斎藤文と篠原ゆき子も参加して練り上げられ、女たちのドラマへとなっていく。

「最初のころは、男性をここまで不在にした物語は考えていなかったんですよ。

 そもそも僕の中にはあまり男性とか女性とかで分けて脚本を考えることがないんです。わりとフラットなところから人間同士のやりとりを考えていく。

 今回の場合は、40代の女性を主人公と据えたところがあったので、そこから考えていったんですけど、初期段階は女性同士の友情のようなことを考えていました。

 そういったことを熟考する中で、人と人の結びつきに特化してきっちりと描きたいとなったとき、恋愛としての結びつきはできれば除きたいと思ったんです。

 あくまで人間同士の結びつきに重きを置きたい。ただ、男性を登場させるとどうしても恋愛が絡んできてしまう。

 それで、完全に女性のみに焦点が定まっていったんですよね。

 恋愛を抜きにしたところで、女性がどう人とむすびついてどう生きていくかを描きたいと思ったんです」

僕は田舎という村社会に以前から興味がある

 作品の主人公・美咲は、40歳を目前にした独身女性。

 東京の大学を卒業したものの、就職氷河期世代で希望通りの仕事に就くことが叶わなかった彼女は、恋愛も結婚もここまでままならないできている。

 いまは、地域の学童保育所で働きながら、時々友人の香織が営む養蜂園も手伝っている。

 自宅で体の不自由な母と二人暮らし。娘の人生を否定し続ける毒親である母に反発を覚えながらも、美咲は介護し続ける。

 こんな逃げ場のない現実の中を生きるしかない女性の心情が丹念に見つめられていく。

 その舞台をなぜ田舎町にしたのだろうか?

「まず養蜂のこともあって、自然の中で撮りたい気持ちがあったのは確かです。

 そのことがありつつも、田舎を舞台にしたい気持ちが当初からありました。

 というのも、田舎には本来の人間の営みがきちんとなされているところがあるというか。

 息苦しさにつながる面もありますけど、隣近所はみんな顔見知りだったり、顔を合わせれば少しは立ち話のひとつもする。

 人同士のコミュニケーションがまだある。それがないと生活が成り立たないところがあると思うんですよね。

 一方、都会だと、情報も物量も多いので、特に誰かとかかわることなくすべてを処理できてしまう。

 個人ですべてが自己完結できるところがあると思うんです。

 それで、田舎を舞台にしたいなと思いました。

 また、風景としても今回の作品は田舎の方がしっくりくるというか。

 都会の人工的な風景というのはどこか機械的で、人間の営みを掻き消してしまうところがあると思うんです。

 でも、田舎のたとえば森の風景とかって、そういう邪魔にならずに、その中に溶け込みながらも、人とそのものの営みが見えてくるところがある。

 混じりっけなしの女性の生き方そのもの、生活そのもの、感情そのものを際立たせるためにも、この物語は田舎がいいのではないかと思いました。

 あともうひとつ、僕は田舎という村社会に以前から興味があるんです。

 僕も地方出身なんでわかるんですけど、田舎って傍から見ると牧歌的に映るかもしれないけど、内側にいるとかなりドメスティックな独自ルールがあって、それを破るとそれこそ村八分にされてしまうこともある。

 建て前が強い分、それが外されたとき、オブラートに包まれない、むきだしの感情が露わになる。

 都会だと曖昧に終わらせられるものが、とことんいくところまでいくところがある。

 そこに人間の本性みたいなものが見え隠れする気がして、田舎を舞台にしたいなと思ったんです」

(※第二回に続く)

「女たち」ポスタービジュアル
「女たち」ポスタービジュアル

「女たち」

監督:内田伸輝監督

出演:篠原ゆき子、倉科カナ、高畑淳子、サヘル・ローズ、筒井茄奈子、窪塚俊介

全国順次公開中

場面写真およびポスタービジュアルは(C)「女たち」制作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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