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通訳を夢見て海外留学、リリー・フランキーの付き人経験も。ユニークな道を歩む俳優、森優作の目指す先

水上賢治映画ライター
「ある殺人、落葉のころに」に出演した森優作 筆者撮影

 日本にある旧態依然とした社会を鋭く問う、異色の湘南映画として話題を呼ぶ映画「ある殺人、落葉のころに」。その作品世界に迫る主要キャストのひとり、森優作へのインタビューの後編へ。

 前回は主に本作への出演の経緯、作品世界について訊いた。ここからは作品から少し離れ、現在に至るまでのキャリアを振り返ってもらった。

フローラン・ダバディさんに憧れ通訳者を目指す

 はじめに、彼はもともと俳優を目指していたわけではない。実は通訳者になることを目指していたという。

「中学2年生のときに、日韓ワールドカップがあって、当時の日本代表の監督はフランスのフィリップ・トルシエで。そのときトルシエ監督の通訳を務められていたフローラン・ダバディさんに憧れたんです。

 外国の方なのに日本語も流暢で、トルシエ監督が身振り手振りを入れて話すと、ダバディさんも同じように身振り手振りを入れながら話される。

 通訳の方ってなんか監督が熱く語っているのに、淡々と冷静に訳す方がほとんどじゃないですか。対して、ダバディさんは真逆で監督の語り口まで真似たように訳されていてものすごい衝撃を受けました。それで、『わあ、こうなりたい』と思ったのが通訳者を目指したきっかけです(笑)。

 あと、自分の子ども時代はまだ携帯電話がそこまで普及していない。だから、友だちと遊びたいときは、自分で電話をして誘うか、もしくは学校で約束することになる。

 でも、僕はそういうのが苦手で、遊びたくても自分から『遊ぼう』と言い出せない。家から電話しようとしても、相手の親に出られたりするとうまく話す自信がなくてできない。

 相手に自分の意思を言葉で伝えることがすごく苦手だったんです。だから、たぶん、逆説的にその人の言葉を受けて、それを自分が介して、別の人に伝えるということに興味を持って、『やってみたい』と思ったんだと思います」

通訳者を目指してイギリス留学へ

 その気持ちは消えることなく、通訳になるために海外留学をしている。

「17歳から20歳ぐらいまで、イギリスに行って、通訳になるための勉強をしていました。

 ダバディさんの影響は大で、サッカーの同時通訳者とかにすごい憧れてましたね。

 ダバディさんはたしか5か国語ぐらいしゃべれたと思うんですけど、だから、英語だけしゃべれてもダメだなと思っていて。

 イギリスでは大学に通っていたんですけど、授業は英語で、外国語としてフランス語を専攻していました。それで、『あと3カ国語しゃべれたら通訳になれるかな?』とか考えてましたね(笑)」

アメリカの大学の日本校への編入から期せずして上京へ

 それがなぜ、役者の道に進むことになったのだろう?

「イギリスの大学は3年間で卒業だったんですけど、ちょうど2年が終わったぐらいですか。自分は言語心理学科という、言葉の心理学みたいなことを専攻してたんですけど、同じ学科の僕以外の生徒はほぼ全員が一度社会人を経験していたんです。全員、一回社会に出て自分の力で自費で学びにきている人たちだった。

 それで、他の人の論文とか読ませてもらうと、ちょっと教養や物事の見方といったところのレベルが自分とは比べものにならないぐらい高い。そのことに気づいて、同じ大学のもっと基礎的な一般教養を学べるところに移ろうとおもって、教授に相談したら、『いろいろなところがあるので、うちの大学だけではなく少し調べてみては』と。

 で、調べた結果、アメリカの大学の日本校に編入することになって、それが東京だったので、なんか期せずして上京することになったんです。

 そこから、基礎教養を学び直したんですけど、休みの日はずっと映画を見るような生活になって(笑)。もともと母親が映画が好きで、僕も見てはいたんですけど、そうこうするうちに自然と俳優という職業に興味を持ち始めていた。

 ただ、興味をもった理由は自分では通訳を目指したこととつながっていて。通訳は言葉が主体にあるわけですけど、役者って言葉はもとより全身で伝えることだから、だから興味をもった気がします

古厩智之監督のワークショップで演技初挑戦。そして映画初出演へ

 こうしてまずワークショップに参加することになる。

「でも、ワークショップの意味をあまりわかっていなかったんですよ。

 事前になんの情報も入れていなくて『映画のワークショップ』があるということだけ聞いて、映画監督に会えるだろうと思って参加したんです。

 一番最初に参加したのが古厩(智之)さんのワークショップで。そのワークショップがものすごくおもしろかった。

 確か『衝突』というテーマで、自分の経験した衝突を書いてみてくださいというお題が出された。で、書いて、自分は本人役で、もうひとりは参加者になってもらって、二人で一緒に演じるというものでした。

 それがものすごくおもしろくて。『お芝居ってこんなにおもしろいものなのか』と魅了されてしまった。

 そうしたら、打ち上げの席で、古厩さんに『森君、高校生に見えるね』と言われて。たぶん当時、22か23歳だったと思うんですけど(笑)。

 『直近で新作を撮るんだけど、森君、来る?』と言われて(笑)、行ってみたら、高校生役でひとことセリフももらえたというのが、最初の出演作、2013年の映画『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』です」

「ある殺人、落葉のころに」に出演した森優作 筆者撮影
「ある殺人、落葉のころに」に出演した森優作 筆者撮影

 そして、塚本晋也監督の『野火』への出演へつながっていく。

「ほんとうに自分が無知だったんですけど、『野火』のオーディションを受けにいったとき、塚本監督のこと詳しく知らなくて。

 で、実は塚本監督、『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』に役者として出ている。

 だから、最初のオーディションにいって塚本監督の顔をみたとき、『あっ、一緒の作品に出てた人だ』と思った(笑)。

 調べてみたら、『有名な監督だ』と思って。

 で次のオーディションのときは、ちゃんと調べていったら、塚本監督が、『あれ? 同じ作品に出てるね』と言ってくれて。それでというわけではないと思いますけど、『野火』への出演が決まりました」

大学時代、舞台から逃げ出した苦い経験が、役者になる原動力に

 大学時代に味わった苦い経験も役者の道に自分を進めた理由かもしれないという。

「あんまり言いたくないんですけど、日本に帰って大学に通い始めてしばらくしたときから、通訳ではなく役者の道に傾き始めていた気がします。

 大学は自分の専攻単位とは別の単位も取れるじゃないですか。で、僕はシアター、つまり演劇をとったんです。友人が専攻するとのことで一緒に受けた。

 そうしたら発表会があったんです。とりあえず各グループ3人で芝居をやらなければいけない。ちゃんとしたホールで、実際に芝居をすることになった。

 僕らが選んだのは古典の戯曲で。2人の男が1人の女性をとりあうような内容で、僕は男性1でした。

 セリフも完璧に覚えていざ当日だったんですけど、本番がはじまったら全部飛んでしまった。なにも出てこない。

 で、もう最低最悪なんですけど、恥ずかしさとか、みんなにみられている視線とか、いろいろ相まって耐えきれず、『あっ、駄目だ』と思って、僕はそのままはけちゃったんですよ(笑)。逃げ出してしまった。

 後ろでスタンバイしていた次のグループの人たちも『おい!おまえ、駄目じゃないか』と引き戻そうとしてくれたんですけど、『ちょっと駄目だ』と戻らなかった。

 その後、僕以外の二人が何となくうまくつないでくれて、最後にちょっとだけ戻って芝居はおわったんですけど、いずれにしろ僕は逃げ出してしまった。

 それがすごい心に残ってて、いまだに悔しさとふがいなさが自分の中に残っている。

 あの失敗があって繰り返したくないから、俳優の道に飛び込んでみようと思ってワークショップに行ったところはあります。あのとき普通につつがなくやれていたら、この道に進んでいなかったかもしれない」

『野火』の経験はモノづくりの原点を教えられた

 そういう思いを抱えて始まった俳優の道。ここまで前編のインタビューで触れたように、いい人の役から今回の「ある殺人、落葉のころに」のようなダークな役まで、両面でいい存在感を発揮できる役者になっている。

 そのキャリアの中では、やはり『野火』の経験が大きかったという。

「今振り返ると、ほんとうにぜいたくな経験をさせていただいたなと思うんです。

 当時まだ僕は20代前半で、俳優としての経験もほとんどない新人俳優で右も左もわからない。

 でも、塚本さんの組は、すべて全員がフラットで、ごはんのときはブルーシートに座ってみんなで食べるのが普通だった。なんか僕のような新人でも居場所のあって、仲間と思ってもらえるうれしさがあった。

 あと、俳優部、撮影部、照明部とか垣根を超えて一丸になって作品に向かっているエネルギーがあった。僕は俳優部でしたけど、撮影のない日は、死体作りを手伝ったりして、ほんとうにみんなで映画を作っている感覚があった。モノづくりに対するピュアなエネルギーが充満している現場で。塚本監督には、モノづくりの原点を教えられた気がします。

 だから、今見ると、自分の演技が『へたくそだな』と思うんですよ。でも、あの瞬間にしか自分が出せなかったことを塚本監督は記録してくれている。自分でも『もう2度とできないかもしれない』と思う瞬間もとらえられている。だから、後悔はないです。

 あと、余談になりますけど、『野火』がきっかけで、撮影後、一時期、僕、リリー(・フランキー)さんの付き人をやらせていただいた時期があるんですよ。

 だから、リリーさんはそんなこと思っていないと思うんですけど、僕の中では、まだなにか『野火』の中のリリーさん演じる安田と僕が演じた永松の上下関係が続いていて。いまだにリリーさんにお会いすると、背筋が伸びるところがある(笑)。

 リリーさんとは何度か作品でご一緒しているんですけど、共演したシーンはなかったんです。でも、この前、ちょっと初めて直接一緒になるシーンがあったんです。そのときも、付き人時代というか『野火』のときに戻って、シャキッとしました(苦笑)。

 そういう意味で、『野火』は自分が原点に帰れる大切な作品です」

優しい人のイメージで収まりたくない

 『野火』の後は、本人には失礼になるかもしれないが、その優しそうな顔立ちもあって、おだやかな青年の役が続き、朝ドラにも2度出演している。このいい人イメージはどう感じているのだろう?

「そういうイメージがつくことは別に気にしていないです。自分では自分がどうみえているのかわからないので、『ほっこりしたイメージがあるんだ』とか、『マイペースな人間にみえるんだ』とか、『自分にはそういう側面があるのかな』とか思って受け止めています。

 ただ、そのイメージで収まりたくないなとは常に思っています。やはりいろいろな役をやってみないと、俳優として成長しないと思うので、さまざまなタイプの役をやりたいです。

 だから、今回の『ある殺人、落葉のころに』で言うと、前でも触れましたけど、守谷君が演じた得体のしれない俊みたいな役に挑戦したいですね」

「ある殺人、落葉のころに」より
「ある殺人、落葉のころに」より

 30歳を超えたここからが勝負だと思っているという。

「おととしの夏に赤堀(雅秋)さんの舞台に出演させていただいたんですけど、本当にいろんな事を教えていただいた現場でした。

 ちょうど、29歳から30歳になるときで、もう、勢いだけでは通用しないというか。たとえば、この人を立てるのならば、どうすればいいか、そういったことを考えないといけない時期にきたことを教えていただいたんですね。

 そこから自分の意識もだいぶかわって、たぶん、20代のときは一生懸命ぶつかっていけば、受け入れてもらえてた。でも、30代になって、もっといろんな事を考えていかないと、と思うようになった。いろいろと緩急をつけて、さまざまなリズムを刻んで相手に合わせるときもあれば、相手をうまく乗せていくこともしないといけない。

 そのお芝居に全体のリズムがあったとしたら、そのリズムに合わせながらも、自分ならではのリズムをそこに乗せて、その芝居にさらなるグルーヴを生み出すぐらいなことが求められる。

 そういう俳優になれるよう、日々精進です(笑)」

「ある殺人、落葉のころに」より
「ある殺人、落葉のころに」より

「ある殺人、落葉のころに」

監督・脚本:三澤拓哉

出演:守屋光治 中崎 敏 森 優作 永嶋柊吾

堀 夏子 小篠恵奈 盧 鎮業 成嶋瞳子 大河原 恵

全国順次公開中

場面写真は(C)Takuya Misawa & Wong Fei Pang

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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