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16歳少女と42歳医師が分かち合ったものは?生き延びた者の傷ついた魂に触れる「この世界に残されて」

水上賢治映画ライター
映画「この世界に残されて」より

残された人間の傷ついた魂の行方を描く映画「この世界に残されて」

 この1年を振り返る機会も多くなる年の瀬。親しい人や肉親との別れを経験したことを思い起こす人は多いのではないだろうか?

 愛する人の死を人はどう受け入れ、乗り越えるのか?いいようのない孤独と喪失感とどう向き合い、そこからどう立ち直るのか?

 ある意味、人にとっての永遠のテーマに向き合った1作が、現在公開中の映画「この世界に残されて」だ。

 世界各国で大反響を呼んだ本作は、ホロコーストを生き延びたものの、すべての家族を失い、「なぜ自分は生き残ったのか」と自問自答を繰り返し、答えを見出せない少女と中年医師の再生を丹念に描き出す。

 手掛けたのは現在43歳、ハンガリーの新鋭、バルナバーシュ・トート監督。その若さで、これだけさまざまな歴史的背景や入り組んだ事情をもった戦争に関する映画を作り上げたことにまず驚かされる。

「歴史や戦争については興味があって。関連する本をよく手にしていました。

 中でも第二次大戦は興味深いといいますか。この戦争は、比較的、コントラストが明確で、白黒がはっきりしている。たとえば、アメリカ軍をはじめとする連合軍=正義、ハンガリー、ドイツ、日本=悪といったように責任や立場が明確にされている。

 ホロコーストや独裁政治といった起きた事象も、正しいことか、誤りか区分けされていることが多い。

 そうした立場が明確になったところに立った人たちの心について関心があって。戦争関連の本などをよく読んでいました」

インタビューに答えてくれたバルナバーシュ・トート監督
インタビューに答えてくれたバルナバーシュ・トート監督

当時、いくつもあった企画から唯一実現したのがこの作品

 実は、以前にも戦争に関する作品を発表。今回の「この世界に残されて」につながっていると明かす。

「2017年に発表した短編『Operation Stone』はそうです。1949年のハンガリーが舞台。当時の共産主義政権が不法移民を取り締まるため、偽のアメリカ軍基地を作ったという事実に基づいています。

 ここでの経験は大きくて、今回の『この世界に残されて』とほぼ同時代で衣装や美術といったことの参考になりました。ある意味、予習のような形になった作品で、『この世界に残されて』につながった作品といっていいでしょう」

 ただ、必ずしも映画化を強く望んでいたわけではなかったとか。

「ご存知かもしれませんが、ハンガリーでは、国立フィルム・インスティチュートが出資する映画を決めるんです。ですから、作家が作りたいものが必ずしも通るわけではない。

 今回の作品でいえば、僕は原作がすばらしい物語だと思ったし、そこに『映画』を見出しました。もちろん映画化できればとの思いはありました。

 ただ、実際は複数の企画を国立フィルム・インスティチュートに提出していて、その中で、『この世界に残されて』が最上位にランクする映画化を希望する作品ではなかった。

 だから、『どうしても映画化したい』というパッションがあったわけではありません。ほんとうは『この作品をつくらなければいけない』とか、いいたいんですけどね(笑)」

「この世界に残されて」より
「この世界に残されて」より

 でも、不思議な縁に導かれて作ったところがあるという。

「よく考えると、数ある自分の企画の中から、この作品だけが立ち上がったというのはある意味、奇跡で。今振り返ると、このタイミングでこのいろいろと難しい問題をはらむ題材に向き合うことができてよかったと思っています」

生還したが、残されたクララとアルドの関係性について深く語りたかった

 作品は、ホロコーストを生き延び、残された者として生きる16歳のクララと42歳のアルドが主人公。どちらもホロコーストで愛する家族をすべて失い、ほかの人にはいいようのない孤独と悲しみを背負っている。終戦からすでに数年が経っているが、二人の孤独な魂が癒されることはない。

 そんな年齢差はあるが同じ境遇にいる二人が出会い、周囲の偏見や誤解を乗り越えて、自らの人生を取り戻す姿が描かれる。

「もちろんホロコーストや共産主義政権といった歴史の側面を軽視したわけではないのですが、私はクララとアルドの関係性について深く語りたいと思いました。

 アルドは天使のような男で、自分も深い哀しみを抱えていながら、少女のクララに手を差し伸べる。やがて、そのことが彼自身の痛手も癒すことになる

 誰かを悼む気持ち、誰かに思いをはせ理解すること、他者に手を差し伸べること、こうした人間の良心や誠意が、どんな状況でも失われないことに目を向けたかった

 なので、歴史ドラマではあるのですが、私としては人が人を思うことや愛情、人と別れることの悲しみや喪失といった普遍的な人間ドラマとして届けられたと思いました」

「この世界に残されて」より 
「この世界に残されて」より 

 そう監督が語る通り、作品は、丹念に二人の魂の行方を描き、見ごたえあるヒューマン・ドラマに仕上がる。もう一方で、結末に関することなので詳細は控えるが、本作は「Birth(誕生)」と「Rebirth(生まれ変わり)」の物語でもある。

「そう感じてもらえるのもまたうれしいです。

 オープニングとエンディングについては原作にはなくて、僕が考えて新たに設定したシーンになります。一度は死にかけた魂の再生といいますか。人は新たに立ち上がることができる。そういう思いを込めています」

アメリカのアカデミー賞国際長編映画賞ショートリスト選出など世界で反響

 作品は、ハンガリー映画批評家賞3部門受賞など国内ではもとより、2020年のアメリカのアカデミー賞国際長編映画賞ショートリストに選出されるなど、国内外の映画祭で大きな反響を得た。世界に届いた要因を監督自身はこう分析する。

「うれしいことにさまざまな国で上映される機会を得ました。個人的には、それぞれの国で違う反応があったことがとても興味深かったです。

 たとえば北米エリアでは主に、悲しみや喪失ついての感想が多かった。イラクで9年を過ごした兵士がこんな感想を私に伝えてくれました。『この映画は自分に必要なものだった。観たことでほとんど壊れ、ボロボロだった自分の魂が和らいだ』と。

 韓国の釜山では主にクララとアルドの関係性についての感想が多かったです。二人をつないだ信頼や芽生えた愛情といったことに言及する感想が多く寄せられました。二人の心模様が観客のみなさんにエモーショナルなレベルで心に響き、届いている感触を得る機会になりました。

 母国であるハンガリーでやはり歴史的な事実についての反応が多かった印象です。共産主義政権やホロコーストについて改めて考える機会になったところがあると思います」

「この世界に残されて」より
「この世界に残されて」より

コロナ終息後は映画を見に行く楽しみ、演劇を見る楽しみを再び感じたい

 この作品で描かれることは、たとえばいわれのない誹謗中傷やコミュニケーションの欠如といった現在のコロナ禍にも多々当てはまることがある。監督自身は、今回のコロナ禍で、どのようなことを考えたのだろう?

「ブダペストは寒く、風が強く、雨のような灰色の日々が続いています。(コロナにおいて)春はまだ遠いように感じる日々を送っています。ニュースではワクチンの心配をしていますが(※人口の30%が接種するとのこと)、高齢者、低所得者、孤独な人に支援しなければならない時期になってきて、今、社会全体が非常にネガティブなムード、悲観的な気持ちになっているような気がします。

 COVID-19はハンガリーの映画作りにも多大な影響を与えました。映画館は閉鎖され、多くの映画が公開を延期しなければなりませんでした。

 制作が遅れ、完成した映画でも上映終了になってしまったり、公開が再び延期になったりしてしまいました。許可を得て撮影を開始しても、スタッフは毎日全員を(感染)テストしなければならず、費用も時間もかかります。もし陽性の場合は、数日待たなければなりません。

 誰もがマスクをしなければならず(俳優もリハーサル中はマスクをしなくてはいけない決まり)、相手が怒っているのか、冗談を言っているのか、何を感じているのか、顔が見えないので、誰にもわかりません。カメラの周りには大体4、5人の人がいて、誰かが何か言っても誰もそれが誰なのかわからないという状況のようです。

 私自身は、このコロナ禍では、脚本を書くことと、インスピレーションを得ることに集中しました。例えば、シュテファン・ツヴァイク(オーストリアのユダヤ系作家)の短編小説をベースにしたプロジェクトを準備しているので、彼の短編小説を全て読みました。また、1950年代を舞台にしているので、その時代の映画を見たり、その時代の写真を見たりしています。

 コロナが終息したら、映画を見に行く楽しみ、劇場で演劇を見る楽しみを再び感じたいですし、環境に配慮して、いろいろな消費量を減らしていきたいと考えています。スマートフォンからもっと頻繁に距離を置いて、毒のあるニュースを遠ざけ、少なくする必要性も感じています」

「この世界に残されて」より
「この世界に残されて」より

母校で現在進行形で起きている政治介入について

 どの国でもエンターテインメントをめぐる苦境が叫ばれる。そんな中で、ハンガリーでは、ブダペスト演劇映画大学の学生たちが政府の政治介入に対し、デモを起こす事態が起きている。この映画の主演のアビゲール・セーケも同大学に通う学生で、連帯を示している。

「実は私の母校でもあって、心を痛めています。コロナ禍とかはまったく直接関係ないのですが、こんなたいへんな時期に、政治介入がありました。

 学生たちにきちんと信頼を得ているトップが政府によりすべて変えられる事態が起きたんです。これに対し、学生たちは70日間、学校に居続けて抗議活動をし続けました。

 コロナ禍で学校での抗議が続けられない状況になってからは、ネットに移行してまだ抗議活動を続けています。

 僕は彼らに同意見で、学問の言論の自由は守られるべきだし、多様性であり多文化を認めたい。だから、権威をちらつかせて、自分たちの都合のいいようにしようとする政府の姿勢には同意できない。

 ただ、ハンガリーでは僕のようなリベラルな意見を持つ人間が半分いる一方で、政権及び権力に同調する人が半分を占める。いまのアメリカと同じように分断されているといっていいでしょう。なので、なかなか着地が難しい状況になっています。好転することを願うばかりです」

「この世界に残されて」より
「この世界に残されて」より

「この世界に残されて」

監督:バルナバーシュ・トート

出演:カーロイ・ハイデュク、アビゲール・セーケほか

シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

写真はすべて(C)Inforg-M&M Film 2019

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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