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東京公開が連日満席に!8時間超えドキュメンタリー『死霊魂』、反響の理由

水上賢治映画ライター
映画「死霊魂」より

 現在映画館は感染対策を徹底して席数も限定して映画を上映している。「映画館は実は換気もよく、大声で話したりしないので感染リスクは低い」ということが徐々に周知されてきてはいるが、それでも現状は厳しく、なかなかお客さんが戻っていないのが現状だ。少ない席数でも連日満席という作品はなかなか出ていない。

 その中で先月8月1日から東京のシアター・イメージフォーラムでの2週間の特別公開がはじまると、連日満席と盛況が続いたドキュメンタリー映画がある。中国の巨匠、ワン・ビン監督の8時間を超える大作『死霊魂』だ。

 現在の悪条件を考えると、決して一般的に見れば注目度が高いとはいえない中国の、しかも8時間を超えるドキュメンタリーが限られた席数とはいえ全日完売というのはひとつの快挙。そして、東京での劇場公開を経て(※すでにシアター・イメージフォーラムでの再上映も決定!)、9月5日(土)から上映が始まった神奈川・横浜シネマリンを皮切りに全国順次公開も始まった。

 もちろん作品に力があることは間違いないのだが、本作の何が人々を惹き付け、どんな反響を得ているのか。『死霊魂』を配給した会社「ムヴィオラ」の武井みゆき代表に話を訊いた。

「死霊魂」をあえて我慢してしばらく見ないでいた理由とは??

 まずはじめに「ムヴィオラ」は、『無言歌』『三姉妹 雲南の子』『収容病棟』など、これまでワン・ビン監督の作品を数多く配給し、日本に紹介してきた。ただ、今回の『死霊魂』に関しては、最初から配給を決めていたわけではないそうだ。その理由を武井代表はこう明かす。

「ワン・ビンから『死霊魂』の構想については2011年にすでに聞いていました。その時点では、15時間ぐらいの作品になると。いまのバージョンの倍の時間ですよね(苦笑)。

 『無言歌』のときに取材した映像がたっぷり残っていて、『15時間のドキュメンタリーにして、これを僕の集大成にしたい』というような主旨のことを言っていた。そのときは、『おぉ、それはすごい。楽しみに待っています』といつ届くのかと期待していました。

 ただ、そのあと、ちょっと事情が変わったというか(苦笑)。

 『死霊魂』の構想を聞いた2011年に日本で公開した『無言歌』からわが社は、ワン・ビン監督の作品を配給し始めるんですけど、2013年の『三姉妹 雲南の子』はおかげさまで大ヒットして、従来のワン・ビン作品のファンだけではなく、多くの方が足を運んでくださいました。ただ、正直なことをいうと、そのあとの『収容病棟』『苦い銭』は興行的に成功したとは言いにくい。作品に力があることはもちろんなんですけど、結果はそうなった。そのとき、ワン・ビンのような作家性の強い監督の作品というのは、作品を重ねるにつれてちょっと興行が難しくなるところがあって、そろそろなにかやり方を考えないといけない時期にきたのかなと思ったんですね。

映画「死霊魂」より 右がワン・ビン監督
映画「死霊魂」より 右がワン・ビン監督

 そんなことを考えていたときに、連絡がきたんです。まだ完成手前、カンヌに出す前の『死霊魂』のラフのカットを送るから見てほしいと。でも、ちょっと考えたくて見ないでおいたんです。

 裏を明かすと、会社も数字が上がらない作品が続いて苦しい時期で余裕がなかった。15時間の作品とも聞いていたし、いまはちょっとなと(苦笑)。見るとたぶん配給したくなってしまうから、あえて我慢して見なかったんです。

 そのあと、映画はカンヌ国際映画祭に出品されて、すごい評判だという情報が届いた。しかも、15時間と思っていたら、8時間になっていた。見たい気持ちはやまやまだったんですけど、それでも心を鬼にして、ワン・ビンの海外のセールス会社が、完成版を送ってくれたんですけど、それも我慢して見ないでいたんです。

 で、そのあとなのですが、会社の状況が好転しまして(笑)、心に余裕ができたとき、昨年の10月ですけど、山形国際ドキュメンタリー映画祭で字幕付きで上映されることになって、『せっかく字幕付きで見られるのだから、やるやらないはともかく、これは観ないと』と。

 もう観たら、両手をあげて降参、『参りました』といった気分で、すぐに配給することを心に決めました

観終わったときは、『ここまで観ないできてごめんなさい』

 『死霊魂』は、中国史の闇と言われる「反右派闘争」が主題。この反右派闘争が起きたのは1950年代後半~60年代の初頭にかけて。中国共産党によって「右派」とみなされ弾圧された人々を追う。

 ある日突然、右派のレッテルを貼られた彼らは辺境にある再教育収容所に送りこまれた。しかも、そこで大飢饉が起き、多くの人々が餓死した。この凄惨な強制収容所生活から生還した人間はわずか10%だったという。ワン・ビンはこの収容所から生き延びた人々の証言にひたすら耳を傾ける。その生存者たちが語る凄惨な体験談には言葉を失う。

「一部は、強制収容所がどんな場所でどんな状況にあったのかという、いわばこの作品で語られる大枠が見えてくる。2部では、絶句するような、いまでは想像できないような飢餓の現実など、衝撃的な証言の数々が次々と飛び出る。それらが折り重なって、3部に突入すると、証言者たちの言葉から、その地で亡くなっていった人たちの方々の悲しみや怒りなどが立ち上がり、最後には亡くなった人自身の言葉や、その伴侶だった人の証言へと繋がる。心を激しく揺さぶられました。

 観終わったときは、『ここまで観ないできてごめんなさい』とワン・ビンに心の中で謝りました(笑)」

映画「死霊魂」より
映画「死霊魂」より

ワン・ビンが市井の人々へ向ける眼差しのすばらしさ

 ほんとうにこの生存者たちの証言には圧倒される。彼らのある意味、生きた証明ともいえる言葉の数々を一瞬たりとも見過ごさないでカメラを回し続け、受けとめ続けたワン・ビン監督の姿勢には敬服するしかない。

「ほんとうに、相手と向きあい、話をきく、ワン・ビンの姿勢には感動しますよね。

 2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加した際、わたしは彼に同行していたんですけど、Q&Aで『なぜそんなに被写体を自然なまま撮ることができるのか?たとえば1週間ぐらい一緒に時間を過ごして信頼関係を結んでから撮影するのですか?』といったような質問があったんです。

 それに対し、ワン・ビンは『誰がカメラをもっているかが重要です』と答えたんですよね。そのときは『なんて自信家なんだ、コイツ!』と思ったんですけど、映像をみるとまさにその通り。

 おそらく、彼は自分で確信しているというか。こういう市井の人々の声を聞くことにかけては、自分には誰にも負けない力があると信じているような気がします

 彼はほとんど自分から質問したり、問い詰めたりしない。ただ、じっと相手の言葉を聞く。でも、彼を前にすると、最初怒りをぶちまけているような人でも、いつか素直に気持ちを話し出してしまう。もしかしたら、なにか話したいことがある人を見極める力がワン・ビンにはあるのかもしれません

映画「死霊魂」より
映画「死霊魂」より

 ワン・ビン監督が反右派闘争というテーマに挑んだのは『鳳鳴 中国の記憶』『無言歌』に次いで3度目。このテーマについての集大成といわれている。

「2011年の時点で、『無言歌』のリサーチで出会った人々の証言をドキュメンタリーとして早く完成させたい思いが彼にはあった。でも、途中で病気をしたこともあってなかなかとりかかれない時期があって、完成できないできた。でも、その間も、ずっと『自分でどうしても完成させなければいけない作品』としてずっと『死霊魂』は存在してきたと思います。

 だから、集大成という言い方が適当かはわからないですけど、反右派闘争という大きなテーマに3作で向き合ってきた、ひとつの区切りを迎えた作品ではあると思います。

 でも、『死霊魂』では触れられなかった人々の証言を収めた映像がまだまだあるそうです。いつか、その証言の数々の居場所を、なにか別の自分の作品の中に見つけてあげたいともいっていました。

 あと、結局、コロナ禍で叶わなかったんですけど、ワン・ビン監督は今回はほんとうに日本に来て取材を受けたい気持ちが強かった。

 いつもは、来日を打診しても『わかりました』と応じる感じなんですけど、今回は『この映画では絶対に日本に行きたい』と言っていた。それほど、自分の口できちんと話して、直接伝えたいことがあったんだと思います」

連日満席は予想もしなかったこと。むしろ苦戦を覚悟していました

 その監督の思いも届いたのか、先に触れたように東京でのシアター・イメージフォーラムでの公開は上映終了日まで連日満席となった。

「作品のすごさはきっと伝わってくれると思っていました。

 でも、いまの日本の映画界の現状を踏まえると、これはコロナを抜きにしても、8時間半で中国のドキュメンタリー、どれだけ集客できるのか、とてもじゃないですけど楽観的にはなれませんでした。これは私たち配給サイドだけではなく、劇場サイドもそうだったと思います。

 イメージフォーラムさんでは昨年7時間を超える映画『サタンタンゴ』の上映があって話題を集め、興行的にも成功したのですが、あの作品はヨーロッパ映画で、劇映画。日本の映画観客の傾向を考えると、残念ながらアジア映画よりも欧米の映画、ドキュメンタリーより劇映画が集客力が高い

 そのうえ8時間を超える映画ということを考えると、かなり厳しいかもしれないと。それから、いまでこそ映画館の感染リスクの低さが周知されてきましたけど、最初に公開が延期された4月ころには、映画館の密室に長時間いるのは危険、というような世間の空気がありました。だから、最悪のことも頭をよぎりながらも、とにかく頑張れるだけ頑張ってやっていこうと。

 ところが、公開日が近づくと、事前予約制をとったんですけど、完売の連続で。最後の一週間は週初めにすべて売り切れてしまいました。ほんとうに予約できなかった方にはご迷惑をおかけしてしまったのですが、びっくりしました」

連日満席の好結果の理由は?

 この好結果をこう分析する。

「あくまでわたしの考えなのですが、いま、みなさん、コロナ禍で映画館に気軽に行くことができなくなってしまった。映画を観に行くことはすごく特別なことになっている。特別な機会だから、やはり本物と思えるような作品を観たい。だからこそ圧倒的な体験ができる本物の映画が求められているような気がしますそういう気持ちが『死霊魂』と結びついてくれたのかもしれないですね。

 また、『死霊魂』に登場するのは、政治や国に人生を翻弄された人々。このコロナ禍で、日本を含め、世界各国で政治に翻弄される事態が起きている。そういう意味で、『死霊魂』で語られることは、ひと昔前の中国で起きたことでは片付けられないところがある。いつ、どこでこういうことが起きてもおかしくない。実際、観てくれた方で、現代に繋がるものと感じる人も多い。そうしたことも作品への興味と繋がってくれた気がします」

 東京でのヒットを受け、公開劇場も増え、これから各地方をめぐり、シアター・イメージフォーラムでの再上映も決定した。

「これから各地方をめぐります。東京でも再上映されますし、ぜひ足をお運びいただければと思います。

 9月17日には、今年3月に全320ページに及ぶ『ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史』(ポット出版プラス)を刊行した中国文学者で専修大学教授の土屋昌明さんをお招きして、オンラインレクチャーを実施します。

 ワン・ビン作品のいろいろなお話がきけると思います。無料で観ることができるので、こちらもぜひご参加いただければと思います」

映画「死霊魂」より
映画「死霊魂」より

『死霊魂』

横浜シネマリンにて公開中。10/3(土)〜シアター・イメージフォーラム、10/16(金)~アップリンク吉祥寺、9/19(土)・20(日)名古屋シネマテークほか全国順次公開。

『死霊魂』ヒット記念!9/17(木)無料オンラインレクチャー

■日時:9月17日(木) 18:30~20:30 *終了時刻は多少前後する可能性あり

■登壇ゲスト:土屋 昌明(中国文学者/「ドキュメンタリー作家 王兵(ワン・ビン)現代中国の叛史」著者)

MC:武井みゆき(ムヴィオラ代表)

■参加方法:以下のURLよりお申し込みください。参加費は無料。

https://peatix.com/event/1615281/view

写真はすべて(C)LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINEMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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