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路上生活経験者たちで構成されたダンス集団。どん底を知る彼らの生きる舞をみよ!

水上賢治映画ライター
『ダンシングホームレス』 アオキ裕キ氏(左)と三浦渉監督(右)

 こういう言い方はよくないのかもしれないが、「ホームレス」「路上生活者」という言葉から、「希望」や「夢」、もしくは「可能性」を見い出す人はどれぐらいいるだろうか?ほとんどいないのではなかろうか。

 ドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』は、そのホームレスのイメージを覆したといっていいダンス集団を追っている。ダンス集団の名は、「新人Hソケリッサ!」。路上生活経験者だけで構成されたダンスグループだ。

アメリカ同時多発テロ事件が自らのダンスを考え直すきっかけに

 主宰を務めるアオキ裕キは、映画『嫌われ松子の一生』のダンスシーンや、L'Arc-en-Cielの「STAY AWAY」やチャットモンチーの「シャングリラ」など、数々のPVやCMの振付を担当エンターテインメント業界のど真ん中で活躍していた彼だが、あることがきっかけで路上生活者に「踊り」を見い出した

 まず、「新人Hソケリッサ!」誕生のきっかけについてこう明かす。

「僕はマイケル・ジャクソンを見て、踊りを始めたんです。簡単にいえば、商業的な踊りに憧れて、ニューヨークにダンス留学しました。でも、そこで9.11に遭遇した。青い空を飛んでいた飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込んで、赤い炎が立ち上がる。それは、強烈な悲しみや恨み、苦しみなど、さまざまな人間のあらゆる感情が砕け散るような光景に思えた。

 そのとき、何か自分はとても薄っぺらくて、ごくごく表面でしか世の中をみていなかったことに気づいたんです。自分の踊りは、形のカッコよさや見栄えばかりに気をとられていた。もっと人間の内面に目を向けて表現したり、その人の姿を正視してなにかを見い出したりすることが大切なんじゃないかと思いました。

 商業的なもの、流行のものが駄目というわけじゃない。でも、自分のモノの見方やとらえ方、アプローチというものを変える必要性を感じたんです。もっと、自分って何者なのだろうとか、日本人で、日本の踊りがあって、文化があって、そういうことを意識するというか。社会と向き合って、それを踊りで表現することが大切なんじゃないかと。そう思いつつも、何をしていいかわからない状況がしばらく続きましたけどね」

映画「ダンシングホームレス」より
映画「ダンシングホームレス」より

ホームレスの肉体に、踊りの想像力を掻き立てられる

 帰国後も途方に暮れたまま。そんな日々が続く2005年のこと、目に飛び込んできたのが路上生活者の肉体だった。

「ある時、ストリートでミュージシャンが歌っていて、それなりに人が集まっていたんですけど、その傍らにお尻を出して寝ているホームレスの方がいた。それを見たときに、自分にはまったくない感覚で『すごいな』とほんとうに思ったんです。次の瞬間、この人が歌う側に立ったら、どんな景色が生まれるんだろうと思って。そのおじさんと自分が一緒に人前で踊ったら、表現をしたらと、すごく想像力を掻き立てられた

 9.11を経験していたから、目がいったのかもしれないという。

「生身の人間と向き合いたい気持ちがどこかにあったんですよ。要するに、きちんとひとりの人間と向き合いたかった。あと、本物の生きる体って何だろう、とか考えてもいたんです。原始的な体というかな。たぶん便利なものに囲まれた中で生きているわたしたちの体と、そういうもののなかった時代の人の体とは違うところがたくさんある。たぶん身体のもつ能力、たとえば五感とかどんどん現代人は衰えていると思う。いま、ある意味、現代でもっともサバイバルしているのは、路上生活をしているこのおじさんかもしれない。なにか、このおじさんの体をみたときに、すべてを捨て去ったむきだしの肉体を感じたんです。それで目がいったと思います」

 すぐに、ホームレスの人々にダンスをやってみないかと声をかけはじめた。しかし、当然と言えば当然だが、最初はまったく相手にされなかったという。

「とりあえず、話しかけて、少し仲良くなったら、この人いけるかなと思って切り出すんですけど、『そんなことできるわけないだろう』と言われたり、会う約束をして、そこにいくとすでにその場所を去っていたりして、ほんとうにみつからなかったですね。

 徒労を重ねていたら、知人がビッグ・イシューのことを教えてくれて、代表の方に話をしにいったんです。そこで販売している場所のマップを教えてもらって、直接出向いて販売員の方たちを口説いた。でも、それでも通じなくて、最後はやはりまずは自分が見せないとダメだと思って、『この日、この場所で踊るから、とりあえず見に来てください』とお願いした。で、足を運んでくれた5~6人が、その僕の踊りを見て、『やる』と言ってくれたんです」

 そのときのダンスは緊張して、いまでもよく覚えているという。

「自分という人間を見定められそうな雰囲気ですし。そもそも、口説く踊りだから、引きつけなくてはいけないし、『一緒にやってみよう』と納得してもらわなければいけない。必死でしたよ(苦笑)」

なにもない0から、ホームレスのおじさんたちとダンス集団をスタート

 アオキが主宰し、ホームレスたちと“生きる舞”を表現するダンス集団「新人Hソケリッサ!」は、ここからスタート。まずは見て、知ってもらうことから始まった。

「ほんとうに0からのスタートで、なにもないところからはじまりました。でも、自分は、絶対にこれはみてもらえると信じていた。

 作品の内容は来てくれた人を中心に考えるようにしました。1番最初は、振りを教えてもどんどん忘れる。だから、もう人間の進化にしようと、猿から人間へ進化していく過程を表現したりとか。2つ目は、歌が好きなんですけど、歯がないからうまく歌えないというので、そのいい加減な歌をお題にしたものにしました。

 基本としては『こういうことをやりたいから、おじさんたちをこう踊らせる』じゃなくて、『この人たちとなにができるか』にしたかった。ひとりひとりの肉体の良さをどうやって引き出すか、そこが自分は一番大事だと思うし、同時にそれを踊りとして表現することに興味があるのでこの人たち、いる人たちで何ができるか。ひとりひとりをピックアップして、その良さをどう形にするかというところが、1番、自分は大事だと思うし、興味のあることなので」

映画「ダンシングホームレス」より
映画「ダンシングホームレス」より

ストリートで生きる彼らの肉体の感覚を通して、生まれる唯一無二のダンス

 路上生活者である彼らの人生を表現したいわけではないという。

「ホームレスを題材にすると、どうしても彼らの窮状を訴えかけるようなお涙ちょうだいなものになってしまいがちなんですよね。自分はそういうのをみたくない。というか、僕は彼らに可能性をみているわけです。ストリートで生きる彼らの肉体の感覚を通して、生まれるアクションと踊りがあって、それは唯一無二のダンス。その踊りこそが世の中に対して、なにか訴えかけてくるものがあると思うんですね。その図式だけは崩したくない。

 ホームレスの方々に挑戦してもらって、楽しんでもらって、それで終わりというような、ホームレス支援的なことで終わらせたくない。ひとつの『踊り』として人々に届けたい」

 一方、今回、取材を重ねた三浦渉監督は、「新人Hソケリッサ!」との出会いをこう明かす。

「僕はふだんテレビ番組を作っているんですけど、取材であるカフェを訪ねたんですね。そこのご店主が「新人Hソケリッサ!」のことを知っていて、たぶん雑談していたときに話に出た。それで知って、なんか興味をもって、ネットで調べ、動画を見たんです。

とくにダンスに興味があったわけではないんですけど、動画をみてみたら、すごく良い。最初は、路上生活の自立支援の一環としての活動なのかなと思ってたんですけど、調べたら、きちんとしたダンス集団とわかって、それはすごいことだなと思って。そこから、カフェのご主人を通してアオキさんにアプローチして、まず練習を見学させていただいて、そこで『撮らせていただけませんか』とお願いしました」

 だが、最初、アオキは断ったという。

「いくつか取材を受けたことはあったんですよ。テレビのニュースとか。でも、路上生活者の彼らがただ歩いているだけなのに、そこに悲しい曲をつけたりとか、ホームレス=悲壮感とか、ままならない人生といったことに落とし込まれていく。ソケリッサ!のやっていることはそういうことじゃない。だから、正直、三浦さんがそう言いだしたときは『また来たか』みたいな感じの受け止めだった。だって、本番も見ていないわけだから、それはちょっとと断った。でも、そのあと、本番を見に来てくれて、『やらせてください』といわれたので、強い熱意を感じて『じゃあいいですよ』となった」

 撮影に当たってはいくつか条件を出されたと三浦監督は明かす。

「まず、長期間撮ってもらいたいと。短期間で、誰かに焦点を当てるのではなく、この集団の活動、かつ踊りをきっちりと描いてほしいといわれました。それは自分も望んでいたことだったので、結局、1年半にかけて撮ることになりました」

 長期取材を条件にした理由をアオキはこう語る。

「ひとことでいえば、時間をかけて関わらないと、みなさん心を開かない。やはり信頼関係を築いてもらわないと。

 あと、さっきの話にもつながるんですけど、バーッと来る時だけ来て、いろいろと根掘り葉掘りきいて、そのときは、すごく応援してるようなことをいうけど、撮影が終わったらもう一切来ないというケースがけっこうあって。そういうので、傷ついたメンバーとかいるんですよ。利用された感じがして。だから、時間をかけて信頼関係を結ぶのは、必然な条件かなと思いました」

映画「ダンシングホームレス」より
映画「ダンシングホームレス」より

 三浦監督は、ソケリッサ!の中へ飛び込んでいったという。

「なんとなく、受け入れてもらえたかなという実感を得たのは、映画で描かれていますけど、大阪の西成の公演のときですかね。このときは、メンバーも多く集まって、7泊8日ぐらいだったんですけど、一緒に寝泊まりさせてもらったんです。そこでぐっとみなさんに近づけたかなと思いました。

みなさんフレンドリーはフレンドリーなんですよ。でも、ホームレスであること自体をかわいそうとか、ひと言で片付けてほしくないというか。そういう一方的なこちらの思い込みでみてほしくない気持ちはひしひしと感じました。だからこそ、社会からこぼれおちた被害者みたいな感じで描こうとは思わなかったですよね。同じ時代に生きる同じ人間として描こうと思いました

 そういう思いが、特に西成で一緒にいたことで強くもなりましたね。みなさんのことをよく知ったことで、その人間性や人生に魅せられることが多々ありましたから」

その舞はダンスのイメージを覆す!

 今回、主に登場するソケリッサ!のメンバーは、元自衛官でもともと働きながらダンスを学んでいた40歳の西さん、60歳のときからホームレス生活をはじめた70歳の小磯さん、30歳のときに大阪の西成でホームレスになった49歳の平川さん、元新聞配達員でメニエール病になり仕事も住まいも失った56歳の横内さんら。

 これはもうみてもらうしかないのだが、その踊りは、わたしたちの中にあるダンスのイメージを覆す。はっきり言ってしまえば、彼らは世の中の人がだいたい想像するダンサーとは、体型も容姿もまったく違う。申し訳ないが、近所でみかけるようなおじさんにすぎない。ところが、肉体を駆使するというよりも、自分の中からあふれ出てくるものをそのまま差し出した踊りは、その人の中から湧き出た踊りとなってこちらへ届いてくる。

 また、ダンス集団ではあるが、全員がひとつの振り付けを一糸乱れぬかたちで統一性をもって踊るものではない。それぞれが個性を発揮しながら、どこかつながりを感じさせるダンスになっている。学校の部活動を代表するようにどちらかというと統一性や協調性を求める傾向の強い日本のダンスの中で、これだけ各人の個性を前面に出したダンスは珍しいかもしれない。

アオキ「ふつうは、型のある踊りなどは振付師にみんな似ていくんですよ。誰も似ないところがすごいと僕は思っています。みんな、自分の踊りを作り上げていく。これは、できそうでなかなかできないんですよ。だから、みな、アーティストなんですよ」

三浦「みなさん、話をきくと、自分自身で自らの運命を受け入れて、1人で生きていくことを決めた人なんです。どこか社会から孤立したイメージを受けるかもしれないけど、孤高を貫いている人もいる。だから、アーティスト気質なところが絶対ある。それが踊りにつながっている気がするんですよね。ほんとうに僕はアーティストだと思いました」

世界を見渡しても、こんなダンス集団はない!

 そう、彼らは路上生活者ではあるが、「新人Hソケリッサ!」のダンサーなのである。そして、忘れてならないのは、「新人Hソケリッサ!」は、ダンス集団。勘違いされがちなのだが、その活動はホームレスの自立支援ではない。

三浦「世界見渡しても、こんなダンス集団はいないんじゃないですか」

アオキ「自分が知る限り、僕らだけでしたね。世界各国に、アートとホームレス支援を組み合わせた活動をしている団体がある。以前、そうした団体が一堂に会する機会がリオ五輪のときにあって、参加していろいろとディスカッションしたんですけど、多いのは芝居をすることでホームレスの自立を育むといったもの。そういう活動をする団体が増えていましたが、基本的にみなさん支援という名目が強い。

 だから、僕らみたいなスタンスはすごく珍しいから、すごく興味をもたれて、いろいろきかれましたよ。どうやって成立させているんだ、ダンスはハードル高いだろうと…。もちろんみなさんの指摘通り、現状は厳しいし個人だからなんとか継続できているようなものですね」

映画「ダンシングホームレス」より
映画「ダンシングホームレス」より

 世界でも稀有な存在といっていいダンス集団「新人Hソケリッサ!」。これからをアオキはこう見据える。

「実は、『ソケリッサ!』っていうのは、ほんとうは活動名なんですよ。『新人H』というのはグループ名。実ははじめ、あまりメンバーにしても演目にしても固定化して何か活動していくことを考えていなかった。だから、これからも、人数が増えたらどんどん変化するかもしれない。どこかすべて流動的でいたいという思いがあります。

 だから、もしかしたら、大人数になるかもしれない。それこそ時期によっては少数精鋭になるかもしれない。

 いい意味で、変化を恐れないでいきたい。ソケリッサ!という名も、ソケリッシ、ソケリッスって変えるつもりだったんですよ。だけど、ネットでの検索とか、いろいろ対応が大変で、ソケリッサ!に定着させたんですけど、それぐらい変化していきたい。そういう変化は、いま生きることにとってすごく必要なことだと思うんですよね。チャレンジすることを恐れないことが、閉そく感を打破することだと思うので。そこから新たなダンスが生まれればいいなと思っています。

 もうひとつは、この場所がみんなの居場所であり続ければいいなと。居場所というか集う場所ですね。そういう意味で、常にオープンに開かれた場所として存在したい。どんな人間も受け入れる場所でありたい。誰がきてもいい、稽古を見学するだけでもいいし、踊らないで見るだけでもいい」

 一方、1年半に渡って取材を続けた三浦監督は、ソケリッサ!との日々をこう振り返る。

「正直なことをいうと、撮影はきつかったです。みなさんと行動をともにして、路上生活を体感しましたけど、むちゃくちゃきつい。暑いときはめちゃめちゃ暑いし、寒いときはもう耐えられないほど寒い。その環境が直に、身体にかかってくるんです。

 でも、今回の撮影で路上生活がどういうものなのか実感できた。そして、そのことがアオキさんの求める踊りに結びついていることがわかった気がします。

 僕なりの解釈ですけど、彼らの踊りは、より自然に近いというか。より自然に近い環境と生活の中で、常に生きるか死ぬかを感じながら生きている肉体から出てきたもののような気がする。そこには人間としての原始的な強さのようなものが含まれている。だから、多くの人が心を動かされるのではないでしょうか

 ほんとうに彼らが自らしかできないことを追求して、肉体で表現した踊りを、この作品を通して、みてもらえたらうれしい」

このコロナ禍で上映中断、そして現在再スタート

 公開は3月からスタートした。ところが、ご存知のようにコロナの影響を受け、次々と映画館は休業。本作も残念ながら上映は中断を余儀なくされた。このときの心境をアオキ氏と三浦監督はこう明かす。

アオキ「映画公開に合わせ渋谷などで開催予定していたパフォーマンスやトーク、記録写真展示などは軒並み中止となり、公開に合わせ稽古や準備を進めて士気も上がっていた分、当然気持ちの落ち込みは皆ありましたね」

三浦「率直に『なぜ今なんだ』と何度も思いました。全身に原因不明の湿疹が出来たりもしました(笑)。

 ただ様々な状況が刻一刻と悪化する中で、この映画に関係する事だけでも、『ネットカフェ難民の方々3349人の居所が分からない』、『生活保護の申請が2万人を越える』など苦しむ人々が溢れている状況だからこそ、この映画を多くの人にみて欲しいとさらに強く思いました。出来れば『映画館で』です」

 そして今月から映画館が再開され、『ダンシングホームレス』の公開も再スタートを切り、全国を巡る予定。ここからの上映を三浦監督はこう受け止めている。

「映画館で映画を見るなんて当たり前のことが出来ない状況になって、やっぱり映画館って特別なんだと痛感しています。暗闇、そこに浮かび上がる大スクリーン、全方向からの音響、まるで自分がその世界に入り込んだような感覚、そして他人と一緒にみる体験。

 テレビやパソコン画面では感じることができないことまで感じられる。伝えたいものがあるから映画を作った。その最も『伝わる場』が映画館だと思うんです。

 だから多くの映画ファンや関係者、劇場の方々と同じように、まずは映画館が再開出来たことを何よりも嬉しく思っています。そして全ての状況が一刻も早く前進し、全ての人がなんの気兼ねなく映画館の席に座れる日が来る事を願っています」

 一方、このコロナ禍でソケリッサ!のメンバーはどうしていたのだろう?アオキ氏はこう語る。

「現状、ソケリッサ!メンバーは皆屋根の下で過ごすことはできている状況で、淡々と自粛生活をしているようでした」

 周知のとおり、エンターテインメント業界は今回のコロナ禍で大打撃を受けている。この厳しい状況の中で、アオキはあらためてソケリッサ!の先をこう考えたという。

「現代社会に生きる人間の脆弱さが強く露呈された上で、我々の踊るということ、その捉え方も以前とは変わる気がしています。

 身体はこの社会の延長にあり、それは逃れられないと不自由さの中で改めて痛感しました。稽古再開時期はまだ未定ですが、身体に蓄積された不自由さを形にすること、踊るという行為の大切さを感じています。先ずはここにこの時期を過ごしたメンバーと集合することを大事にしたいですね」

 最後に、三浦監督は再上映に当たり、改めてこう言葉を寄せる。

「コロナ禍のいま、社会や人間の本質が問われている気がしています。この映画で描いたのは、『人の生きる力』です。人間の、生身の生命力、力強さ。彼らの踊りにはそれがあると思っています。

 さらにともすれば色々な言い方をされるホームレスの方々。その一人一人に、人としての物語があることをこの映画で感じて欲しい。そして唯一残された“身体”が生み出す踊りを通して、“生きる力”を感じて欲しい。

 こういう時代だからこそ、彼らの、人間の生きる力を映画館に体感しにきていただければ幸いです」

 路上生活者で構成された異色のダンス集団「新人Hソケリッサ!」。その生を実感させるダンスに出合ってほしい。

映画「ダンシングホームレス」より
映画「ダンシングホームレス」より

「ダンシングホームレス」

6月27日(土)~横浜シネマリンにて公開。7月10日(金)1回限り、北海道シアターキノにて上映。

場面写真はすべて(C) Tokyo Video Center

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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