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目には見えない復興もある。気負わず東日本大震災と向き合うアートユニットの試み

水上賢治映画ライター
アートユニットを組む小森はるか(左)と瀬尾夏美(右) 筆者撮影

 東日本大震災が発生した直後から現地に入り、現地の「いま」を発信し続けているアートユニット<小森はるか+瀬尾夏美>。彼女たちは、2012年から陸前高田に根ざしながら、地元の人々から聞いた震災前のこと、震災時のこと、亡き人のことなどを、詩、絵画、インスタレーション、ドキュメンタリー映画などの作品にして発表している。

 なぜ、東北に特に縁のなかった彼女たちが被災地と向き合い続けるのか?

いま、震災について語り継ぐ、継承のはじまりの場を作ることが重要ではないか

 ここからは、「記録する」「語り直す」という二人の活動のテーマを結実させたと思える最新の映像作品『二重のまち/交代地のうたを編む』が生まれた背景を聞いた。

瀬尾「この作品は、2018年に撮影しているのですが、その前年の春から夏ごろぐらいというのは、復興の工事が進み、嵩上げした土地の上に新しい町ができて、人々が『仮設』ではない暮らしをはじめた時期にあたります。被災した風景が見えなくなったことも関係してか、町の人たちは、日常の生活をどう営むかに注力するようになっていて、その中で、震災当時のことがあまり話にあがらなくなった印象を受けました。

 一方で、作品の上映などで東京などに出向くと、わたしたちはぜんぜん東北代表でもなんでもないのに、『震災のときになにもできなくて申し訳ないです』なんて言われます。そのとき、ある意味、東日本大震災と距離を感じている人ほど、『なにもできなかった』という後ろめたさをあのときのままの状態でずっと抱えているのではないかと。でも、被災した当事者の方々はその都度、苦しい選択を迫られてきてはいるけれども、着実に進んできた道のりがあると思いました。

 被災地では震災のことを話す機会が少しずつ減り、ほかの場所の人々の中にはなにか震災がしこりのように残っていました。このとき、震災から7年半しか経ってはいないけれど、震災について語り継ぐ、継承のはじまりの場を作ることが、もしかしたら同時代を生きるわたしたちにとって重要ではないかと考えたんです

一般公募で選んだ出演者の旅人は全員、東日本大震災のとき、高校生以下でした。震災当時、まだ子どもで、ある意味、なにもできないという立場を負わされてきた。そういう状況にあった彼らと、陸前高田のひとたちと一緒に継承の始まりの場作りをできればと考えたのが『二重のまち/交代地のうたを編む』のはじまりです」

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より Photo by Morita Tomomi
映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より Photo by Morita Tomomi

誰も語らくなれば忘れられてしまう

 「継承」と聞くと、「7年半後に始めるのは早すぎる」という考えがよぎるかもしれない。しかし作品を見ると、それが成り立つ可能性はある。そこには彼女たちのこんな意識も反映されている。

瀬尾「語り継ぐとなると、どうしても『100年先にも残る物語を』とか、すごく長いスパンで考えてしまい、構えてしまうと思うんです。震災に限ったことではなく、戦争経験者の方のお話しとか、被爆者の方のお話しとか、当時を知らない人間は触れてはいけないような雰囲気が社会全般にあるような気がします。もちろんそれはとても大切なものですが、それだけを特別なものにしてしまうと、体験者以外誰も触れられないもの、誰も語ってはいけないものになってしまい、語る人がいなくなれば、忘れられてもしまいます

 だからわたしたちとしては、短いスパンで手渡しの連鎖を起こしていくような形で、人と人が出会い、ときに互いに突っ込み合いをしながら、継承のレッスンをしていけたらいいのかなと思うんです」

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より (C) Komori Haruka + Seo Natsumi
映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より (C) Komori Haruka + Seo Natsumi

 彼女たちは拠点を仙台に移しているが、現在も月に1度は陸前高田に足を運び、東日本大震災の記憶をいろいろな場で伝えようとし続けている。同じように取り組みを継続させている作家は震災から9年後の今、ほとんどいない。当初から二人の活動を知る「せんだいメディアテーク」の学芸員、清水建人さんはこう語る。

「震災直後からしばらくは、ほんとうに多くの表現者たちが東北にやってきました。いろいろな方と出会いましたけど、いまは残念ながらほとんど残っていないです。震災直後から被災地に根付いて、地元の人々のことを想い、東日本大震災の記憶を伝え続けている作家はほかにはいないのではないでしょうか」

 そんな二人の活動は、陸前高田の地元の方々の目にはどう映っているのか。『二重のまち/交代地のうたを編む』の制作にも関わった小野文浩さんはこう語る。

「たとえば、自分の顔見知りのばあちゃんと、彼女たちはいつの間にか知り合って、自分より親しくなっていたりします。気づいたら、彼女たちを知っているじいちゃん、ばあちゃんが自分の周りにいっぱい(笑)。いつの間にか茶飲み友だちみたいになっているわけです。それから『二重のまち/交代地のうたを編む』のように所縁のない若者と陸前高田をひき合わせ作品を作る。こういうことは成果がすぐに目に見えるものではない。ほんの小さなことに映るかもしれないけど、なかなかできることじゃないです。

 復興というと新しい建物ができたとか、どうしても目に見えるものに目がいってしまいます。でも、目立たないけど、彼女たちのしていることはすごく大きく、心の復興に寄与したと僕は思います。また、彼女たちが陸前高田にきて地道に土を耕して蒔いた種は、いまは見えないかもしれない。でも、先になるかもしれないけど、どこかで芽が出て、花が咲き、実をつけるような気がしています

忘れ去られそうなことや見過ごされそうなことを見逃さないように

二人はこれからも東日本大震災と被災地と向き合っていきたいという。

瀬尾「さきほど、被災地を特別視という話が出ましたけど、わたし自身も知らず知らずにそうなっていたところがあって。去年の台風で、ここ数年お世話になっていた宮城の内陸のおじいさんの家が全壊してしまったんです。おじいさんは85年暮らしていた家を一瞬にして失ってしまいました。災害自体の規模は小さいかもしれないけれど、おじいさんがずっと大事にしていた、身体の一部のような、家も集落も跡形もなく消えてしまった。

 そのとき、ハッとしたんです。自分はここ数年、日本でいろいろな災害があったけど、東日本大震災と比較して見てしまっていたのではないか、同じように思いを寄せることができていただろうかと。情勢ではなく、個人と向き合うことができていたかなと反省したんです。

 陸前高田という場所はすごく重要で、わたしたちにとってこれ以上深い付き合いができる場所はもうないと思います。これからもずっと町を見つづけます。けれど、そのためにも、ほかの町のほかの人にも同じように起きているかもしれない、そこにはどんな人がどんな感情と向き合っているのだろうと想像できる体にならないといけないな、といまは思っています」

小森「『もっと大変なことがあるのに、そこには目を向けないのか』とか、『もっと撮るべき事実があるだろう』といったことを言われることがありますけど、復興で町が変化していく中で、わたしとしては忘れ去られそうなことや見過ごされそうなことを見逃さないようにして見つめていきたいと思っています」

 取材でも作品を見ても感じるのは、彼女たちには気負いがないということ。東日本大震災を伝えるとなると、作り手には変な使命感や正義感やプレッシャーが生まれがちだ。でも、彼女たちはあくまで自然体で、被災地も被災者のことも特別視しない。作家としてではなく、ひとりの人間として向き合う。だからこそ、多くの地元の人々が彼女たちには心を開くのかもしれない。

 彼女たちの活動は世にいう「復興」とは無縁かもしれない。街の再建を進めたり、人々の生活をすぐに改善したりするものではないからだ。でも、目には見えない「復興」もある。ただ一緒にいて、話をする。些細なことかもしれないが、それもまた「被災地」を生きる人たちの日常を取り戻すきっかけになるのだと、彼女たちは実証している気がする。

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より (C) Komori Haruka + Seo Natsumi
映画『二重のまち/交代地のうたを編む』より (C) Komori Haruka + Seo Natsumi

 東日本大震災から9年。これから10年、11年と年月を経ていったとき、彼女たちの活動が被災地にとってどんなものになっているのか?これからも二人の活動を追っていきたい。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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