危機に瀕した伝統歌劇に再び灯を点す! 世界に届いたベトナムの新鋭の想い
アクション、ラブストーリー、コメディ、アート系映画まで、近年、若い才能が多様なジャンルの作品を次々と生み出し、世界の映画祭でも存在感を示しているのが、ベトナム映画。現在公開中の『ソン・ランの響き』もまた今後の飛躍が期待される若手監督と新人俳優がタッグを組み、世界の映画祭で評価を得た1本だ。
幼いとき、アメリカに渡り、俳優、ダンサー、歌手として活躍した経歴をもつレオン・レ監督による作品は、香港ノワールや台湾ニューシネマのようなアジアならではの様式美を感じさせながらも、ベトナムの文化や歴史に根差し、オリジナルなベトナム映画としての魅力を放つ。
封印していた13歳までのベトナムの想い出が堰を切ったようによみがえる
1977年生まれのレオン・レ監督は今回の作品の出発点をこう語る。
「13歳までベトナムで過ごしたのですが、その後、アメリカのカリフォルニアに渡ることになりました。実は、今回の映画はわたしの中のベトナムがほとんど再現されているといっていい。
アメリカへ移住したとき、わたしは13歳までのベトナムでの思い出をすべてひとつのパッケージにして記憶の中に封じ込めました。
アメリカからベトナムに戻った2007年、ベトナムは当然ですが時代の経過とともに大きく変化していました。だからこそだったのかもしれませんが、記憶に封じ込めていた13歳までの想い出が堰を切ったようによみがえりました。
1980年代の想い出そのまま、わたしが13歳までに体感していたベトナムの空気や雰囲気から、文化や歴史、当時出会った人々の記憶までがまざまざとよみがえったのです」
1980年代のベトナムはちょうど時代の過渡期であり転換期にあった。ベトナム戦争が終結を迎え、南北ベトナム再統一されたのが1976年。1978年にはカンボジア・ベトナム戦争がはじまり、1979年には中国と中越戦争があった。
1985年にはドイモイ(刷新)政策が開始され、社会主義体制から市場経済を導入するなど、改革開放へと舵を切る。
作品は、ベトナム戦争後とドイモイ政策開始前のちょうど間にあたる、1980年代のベトナムを舞台にしている。
「まさに1980年代のベトナムというのは特別な時期に差し掛かっていました。まだ、生活が安定しておらず、どういう方向に変化していくのかだれもわからなかった。どこか時代の波に庶民は翻弄されていたところがあった。
ただ、その一方で、ベトナムの伝統や文化がまだ残っていた。古くから受け継がれてきたモノが遺されていた最後の時代かもしれない。この後、ドイモイ政策によって、西洋からのモノが一気に流入してきて、生活からカルチャーまで多大な影響を受けていく。
言い換えれば、古き良きベトナムの伝統や文化が残っていた最後の時代。そこを『映画で再現したい』と、思ったのです」
一方、主人公のユンを演じたリエン・ビン・ファットは1990年生まれ。彼にとっては生まれる前の話になった。彼自身は1980年代をこうイメージしていた。
「実は、歴史の授業が得意ではなくてね(苦笑)。あまり詳しくは知らなかった。ただ、両親の世代がそこに当たるので、ある程度のことはきいていた。それでも、はっきりと時代を把握していたわけではない。
両親や周囲の人から聞く話で、僕が抱いていたイメージは、ひとことでいえば『窮屈』。自由があるようでなかった。まだ社会主義体制が強いころでしたから。だから、その時代に比べると、自分たちの世代はとても恵まれていることは知っていました」
脚本に目を通したとき、不覚にも涙してしまった
そんな1980年を舞台にした物語は、高利貸しの手下で借金の取り立てをするユンと、ベトナムの伝統歌劇<カイルオン>の花形役者、リン・フンとの偶然の出会いから始まる。
まったく接点のなかった二人だが、その境遇からどこか友情にも似た感情が芽生え、いつからか絆のようなものが。
だが、汚れ仕事をしてきたユンに待ち受けるのは逆らえない運命。ようやく人生のやり直しを心に決めたとき、悲劇が待ち受ける。
こんな儚さと哀愁をおびた切なすぎる人生ドラマには、ユンを演じたファット自身が思わず涙してしまったことを明かす。
「脚本が届いたその夜、早速、目を通したのですが、一気に最後まで読んでしまいました。そして、最後読み終えたとき、不覚にも涙が出てきました。
涙してしまった理由は2つあります。ひとつは、もう出演者とかユンの役柄とか関係なくなっていてひとりの読者になってしまって、この物語が終わってしまったことへの失意とでもいいましょうか。読んでいる間は、次どうなるかとワクワクの連続で。その先がどうなるのか知りたかった。でも、物語が終わってしまって、次がもうないと思うと、残念でたまらなくなってしまったのです。
もうひとつは演じるユンの運命についてです。たしかに彼は人に恨みをかうようなこともしてしまったことがある。にしても、なぜ、彼はこんなにも切ない運命をたどらなくてはいけないのか。それを考えると、悲しくて胸に熱いものがこみあげてきました。
この切なさはみなさんに感じてもらえるのではないでしょうか」
伝統歌劇<カイルオン>へのレ監督の想い
ユンの切ない人生は、劇中で展開されるベトナムの伝統歌劇<カイルオン>の演目とオーバーラップするような形で語られる。この<カイルオン>には、レ監督の並々ならぬ思いが込められている。
「実は、ベトナムに帰国したのは<カイルオン>のためといっていい。実は、このプロジェクトははじめ映画ではありませんでした。2007年にベトナムに帰国したのですが、そのときは<カイルオン>の演目を舞台でやりたかったのです。
わたしの子ども時代、<カイルオン>はベトナムの人々に欠かせない人気のエンターテインメントであり、ベトナムが誇る芸術でした。
わたしが子どものころ、当時の実家のすぐそばに劇場があって、わたしは毎日のように観にいっていました。そして、劇場は大勢の人でにぎわい、活況を呈していました。<カイルオン>は日常に密着していて、生活にも密着していたといっても過言ではないものでした。
わたしは<カイルオン>が旺盛だった時代の目撃者のひとりといっていいでしょう。
でも、帰国したときはもはやそれは過去のこと。ドイモイ政策以後、外国の文化が一気に入ってきて、<カイルオン>は衰退し、いまではほとんどみられていない。
それをどうにかよみがえらせたかったのです。
ただ、いろいろと呼びかけましたが、まったく興味を示してくれるところはありませんでした。<カイルオン>という言葉が出た瞬間、断られるぐらいでした。それほど<カイルオンは>過去の遺物になっていたのです。
それで10年かけて、映画のプロジェクトに変更しました。でも、これは悪いことではなかったとわたしは思っています。映画はずっと後世まで残せるものですし、より多くの人にみてもらえるものでもありますから」
劇中の<カイルオン>は、徹底的なリサーチのもと、レ監督が1980年に目撃していたものを再現。映画のタイトルにある<ソン・ラン>とは、ベトナムの民族楽器で、<カイルオン>の公演には欠かせないものだが、これも当時の演奏者を見つけ、実際に当時の音色を再現してもらっている。
「劇中の演目は、ベトナム人ならば誰でも知っているメジャーなものです。<カイルオン>は2000年代に入るとカスタマイズ化されて、ちょっと変わってしまうのですが、わたしはとことんこだわって1980年代の本物の<カイルオン>を再現しました。
伴奏も衣装も歌い方も、歌声も1980年代そのまま。これだけは自信をもっていえます。
ソン・ランの大ベテランの伴奏者の方にはこんな声をかけてもらいました。「監督ありがとう。わたしは本物のソン・ランを死ぬ前にもう一度弾くことができた。もう一度、人生を生きることができた気分だ」と。
なので、この作品は、ベトナムの<カイルオン>にとっても貴重な資料になっているのではないかと自負しています。日本のみなさんにも、ベトナムの伝統歌劇<カイルオン>を肌で感じてもらえたらと思っています」
この監督の再現した<カイルオン>には、主演のファットも驚いたという。
「<カイルオン>は知っていました。でも、実際にみたことはなかった。母がテレビでみていたぐらいの記憶しかなかったんです。
ですから、今回、はじめて本物をみたときは驚きました。圧倒されたといっていい。すばらしいものでした」
こうして若き監督と俳優の才能が結実した作品は、世界の映画祭をめぐった。記憶にある人もいるかもしれないがファットは、この作品の演技で第31回東京国際映画祭で東京ジェムストーン賞を受賞している。
実は、ファットは本作がほぼデビューに近い新人俳優。それまではバラエティ番組の司会などをしていた。
「実は、学生のときは、旅行や観光に関することを学んでその道に進もうと思っていました。
ただ、元来、好奇心旺盛で。そんな性格からMCもある縁があって、始めたところがあります。
実は、映画に出ることになったのもほんとうに偶然。もともと目指していたわけではありません。学校で旅行を専攻し学んでいるとき、たまたまほかに演技コースがあったので、とってみたんです。その後、この作品のオーディションの話がきた。
それで受けてみたら、運よく合格することができたんです」
ファットを抜擢した理由をレ監督はこう明かす。
「今日の服をみてもらえればわかるのですが、示し合わしたわけではないのに、ペアルックになってしまいました(苦笑)。どこかファットとは精神的に通じ合うところがあるような気がします。
それは最初から感じていました。実は、劇中に乱闘シーンがありますけど、あのシーンに出演しているひとりがわたしの親友で、彼がファットのフェイスブックの写真を送ってきてくれたんです。その写真をみたときに『もしかしたらユン役は彼かも』と予感めいたものがありました。
でも、オーディションがありましたから、それを踏まえた上で考えないといけない。で、実際にオーディションでみて、その予感は確信に変わりました。ユンは彼だと。
求めていたのは、『顔をみたらこの人は強いとわかるけど、瞳の奥に無邪気が残っている人』。そのままの人物がいると、ファットをみて思ったのです。
実際、ユンを見事に演じ切ってくれたと思っています」
ファット自身は今回の経験を経てこんな意志を固めた。
「わたしはもともとプロの役者ではなかった。だから、技術は足りなかったかもしれない。でも、自分を出し切った自信はあります。
そして、いまは今後、本気で取り組んで俳優業を真剣にやっていこうと思っています」
ベトナム映画の革命児、ゴ・タイン・バンの存在
最後にひとつ触れておかないといけないことがある。それは、プロデューサーのゴ・タイン・バンについて。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』でローズの姉ペイジを演じたことで世界に知られる彼女は、ベトナムを代表する世界的スターである一方、プロデューサー、監督としても活躍している。さらに映画プロダクションを設立し、次々とヒット作を生み出し、ベトナム映画界の革命児的存在になっている。
レ監督「彼女には感謝の気持ちでいっぱいです。さきほど、このプロジェクトが実現するまで10年かかったといいましたけど、イエスといってくれたのは彼女しかいなかった。
ほかは<カイルオン>という言葉が出た瞬間『ノー』を突き付けられたけど、彼女は脚本を2日間じっくり読んでくれて、いってくれました。『やりましょう』と。ほんとうに彼女がいなかったらこの映画は生まれなかった」
ファット「残念ながらわたし自身は彼女にあまり接する機会はありませんでした。
ただ、ひとりの役者として彼女は大先輩でとても尊敬してます。これはわたしだけではなく、いま多くのベトナムの俳優にとって彼女は憧れの存在になっています。それぐらいベトナム映画にとって彼女は欠かせない存在です」
新宿K's cinemaほかにて全国順次公開中
場面写真はすべて(C)2019 STUDIO68