「うた」が嫌いだった、ろうの写真家が言葉を超え、聴者の息子へ届けた心の「うた」
ドキュメンタリー映画『うたのはじまり』の主人公は、俳優、窪田正孝の写真集Mr.Childrenや森山直太朗らのアーティスト写真を撮影してきた齋藤陽道。「ろう」の写真家である彼が、一度は自身から断絶しようとした「うた」を手にするまでがたどられている。
いや、「うた」を手にするではなく、「うた」を体得したといったほうが近いかもしれない。いずれにしろ、「きく」ことのできない彼を通し、わたしたちは、もしかしたら「聴者」は失ってしまっているかもしれない、とてもとてもプリミティブな「うた」に出会うことになる。
その瞬間を前にすると、「ろう者にとっての音楽とは?」といった問いはもはやどうでもよくなる。なぜなら、「うた」はだれもの心の中に響くもの。それは、「きこえる」「きこえない」に関係なく、存在する。その瞬間を、目の当たりにするからだ。
出会ったときから「なにか根底でつながるところがお互いあるんじゃないか」
まず、作品の始まり、齋藤との出会いを、河合宏樹監督は明かす。
「2014年のはじめごろ、この作品の冒頭に登場していますけど、演出家の飴屋法水さんを密着取材していたんです。そのとき、飴屋さんが演出する舞台に齋藤さんが出演されていました。そこで、おみかけしたのが出会いといえば出会い。
その時点では、齋藤さんがろう者であることも、写真家であることも知りませんでした。ですから、知ったときは衝撃だったというか、『そうなんだ』と。ある意味、ろうであることを感じさせないというか。演者としてすごい存在感で、ぼくの目に飛び込んできた。でも、そのときはとくに連絡先を交換したりといったコミュニケーションをとることはありませんでした。
直接やりとりするようになったのはそのあと。齋藤さんは写真集『写訳 春と修羅』の発表する前、宮沢賢治について調べていた。一方で、僕も、同じころ朗読劇『銀河鉄道の夜』の活動を取材(※のちにドキュメンタリー映画『ほんとうのうた』として完成)していて、それでツイッターのDMでやりとりをするようになったんです」
互いの第一印象をこう明かす。
齋藤「筆談で対話したとき、まず、思ったのは誠実な言葉を書く人だな、ということでした。その印象の通りの人でした」
河合「ぼくは、とにかくイケメンだなと(笑)。
あと、DMで『なにか根底でつながるところがお互いあるんじゃないか』とやりとりがあったぐらい、なにか気があうところがありました」
河合監督が撮影を打診したのは、そのあとになる。
「それから1年後ぐらいたったとき、今回も出演してくださっているアーティストの七尾旅人さんのライブで、たまたま齋藤さんと奥さんの盛山麻奈美さんと同席になったんですけど、おふたりの手話がすごく美しくて、まるでダンスみたいにみえた。そのとき、素直に『撮りたい!』と思ったんです。麻奈美さんが妊娠していたのでまたとない機会にも思え、切り出しました。『出産をふくめ撮らせてください』と(笑)。
あと、なんか導かれているというか。飴屋さんと、七尾さんという僕が尊敬する人を通して、齋藤さんとつながって、なにか運命的としかいいようのない出会いと、勝手ながら思ったんですよね」
河合監督の申し出を齋藤はすぐに受け入れたという。
「僕自身が写真を生業にしているので、抵抗はありませんでした。撮るなら撮られる側にもならないと、と考えているので。妻も写真家なので、おそらくその考えは一緒だったと思います」
齋藤さんとの出会いは、新しい世界を知ることの連続
ここから撮影はスタートする。
河合「はじめはひとりの知り合いを撮り始めるような感覚でしたけど、いざ撮影をスタートさせると、新しい世界を知ることの連続でした。齋藤さんと出会って、はじめてろう文化を知ることができたし、写真の作品作りの世界ものぞくことができた。実はいまもそうなんですけど、齋藤さんを知ることでいろいろなことを学び、考える時間がしばらく続きました」
きくことにとらわれると、いつかほんとうに大切なものを見過ごすかも
時間を共有する中で、齋藤がなぜ写真の道へ進んだのか、過去も知っていくことになる。
その中のひとつに、彼が「うた」が嫌いなことがあった。
齋藤は20歳のときに、補聴器を捨て、「きく」ことよりも「見る」ことを選んだ。以来、「うた」を嫌いと遠ざけ、かわりにカメラを手にする。
このときの心境を齋藤はこう明かす。
齋藤「幼年期から中高までの間、補聴器をつけてきていました。だけど、そのコミュニケーションに限界を感じ、逃げるようにして選んだ高校が、ろう学校でした。そこで、手話に出会います。そのとき、『目できくことばもあるんだ』と知りました。
それから数年した20歳のとき、補聴器をつけることをやめました。『きく』ことにとらわれすぎていると思ったんです。このままだと、きくことにばかり気をとられて、『いつかほんとうに大切なものを見過ごすかもしれない』と。自分の直感に過ぎないんですけど、なんとなくそういう予感めいたものがありました。
なので、補聴器を外したときは、後悔とかはまったくありませんでした。むしろ呪縛から解かれたというか。すごくすっきりしましたね。
というのも、それまで、ずっときこえるようになることが前提だったというか。『きこえる人のようになってほしい』というのが両親の願い。『きこえる人のようになるため努力するべきだ』という無言のプレッシャーをずっと感じていた。親からも、社会からも。そこから解放された気がしました」
河合「彼が補聴器を外して、『きく』から『みる』ことを決断したことは、ものすごく勇気のある行動だと思う。同時に、彼独自の人生だと思いました」
ここで「きく」ことから「みる」ことに転換。写真の道へと進む。
齋藤「でも、写真については、べつに、まあ、どうでもよかったんです。いまは、作品のみならず自分の大切な仕事にもなっているんですけど、うーん、いまも、写真なんてどうでもいいやという思いはやっぱりありますねえ。
『みること=写真』がどうこうではなくて、僕としては『みる』ことで、どうほかの人とコミュニケーションをはかれるかどうかだった。いろいろなところにいって、いろいろな人に出会い、いっしょにおいしいものを食べる。そういうコミュニケーションをはかるのに、ぴったりだったのが写真だったんです。
それまでの教育の関係で『きこえて、音声をうまく話せないとほかの人とコミュケーションができない』という思い込みに、僕の考えはひどく凝り固まっていた。それをどうにかしてときほぐしたかった。それを可能にしてくれたのが、たまたま写真だった。それだけだったんです」
河合「写真を撮ることより前に、齋藤さんは人とどう向き合うかだった。そこをある意味、つないでくれるものを探していったら写真があった。僕も同じです。僕の場合は映像だった。
いま映像の仕事をやってますけど、1番最初に作った自主映画は、好きな女の子に起因していますから(苦笑)」
子どもの産声の声色を問われて、なにも言えなかった
こうした背景を知り、作品を模索する中、河合監督は、齋藤の妻、盛山麻奈美の出産に立ち会う。そして、子どもが産声をあげたとき、齋藤から『なんて言ってるの?』と聞かれたことがある意味、本作の出発点になった。
河合「いつもそうですけど、はじめは手探りで、まずは齋藤さんの魅力はどこにあるのかとカメラを回していきました。でも、出産に立ち会わせいただいて、子どもが生まれて、産声をあげ、齋藤さんから『なんといっている?』と問われたとき、僕はなにも言えなかったんですよね。どう表現したらいいかわからない。説明する術がなかった。
その声色だったり、響きだったりを伝えられない。これまでたとえば飴屋さんの『うた』がテーマの舞台を記録もしてきたし、いろいろなミュージシャンの映像も記録してきた。曲がりなりにも、『音』であり『音楽=うた』と深く関わってきたのに、子どもの産声ひとつをうまく伝えられない。
自問自答するしかなかった。『音って何だろう?』『うたのはじまりはどこからきているのだろう?』と。
そこで、『うた』の本質について、『うた』の嫌いな齋藤さんと一緒に考えようと思いついた。表現におけるひじょうに深いテーマでもあるのではないかと思いました。また、齋藤さんについていけば、なにかみてくるんじゃないかとも思ったんです」
ただ、河合監督にきいたのはたまたまだったと齋藤は明かす。
齋藤「たまたま隣にいたのが河合さんだったから(笑)。そのあと、妹や姪や甥にもきいたかな。このときに限らず、ぼくはいつも『どんな音?』とよく周りの人にきくんですよ。いろいろな言葉で返ってくるのがおもしろくて」
子どもとの時間で、うたが自然に自分からあふれ出てきた
この子どもの誕生。息子との育児で、「うた」に対して齋藤の意識に変化が出始める。
齋藤「かわりました。それまで『うた』は、きこえる人の特権と思っていました。うまくうたえたり、ほかの人の心を震わせ感動させるものじゃないとダメというか。そうした特別なものという思い込みがありました。
でも、子どもが生まれてそうじゃないなと。息子はぼくの発音のよしあしではなく、ぼくの声そのものをうけとってくれている。育児を通して、さまざまな場面でそれを実感するようになりました。
そういう実感が重なるにつれて、自然と自分の中にあふれてくるものがありました。
そのあふれるものに委ねるまま、声を伸ばしたり、イメージに浮かんだものを声にしたりしていくうちに、それらがつながりあっていく。それを聞いた息子が、すやすやと寝たり、楽しそうに笑ったりしてくれる。それがとてもうれしくて、また繰り返す。
そのうちに気づいたんです。『あっ、これって、うたなのかな』と。
うたは、「つくる」ものじゃない。自分の中から「あふれでてくる」もの。そのことを、子どもを通して知りました」
この作品内に映し出される親子のやりとりは、なにか音楽の生まれる瞬間に立ち会ったような気になる。
河合「ぼく自身、『うた』について齋藤さんと探していこうと思っていましたが、タイトル通りになってしまいますけど、こんな『うたのはじまり』に遭遇するとは思ってもみませんでした。ほんとうに予想外で。
なにか齋藤さんと息子さんの姿をみていると、『うた』は言葉が生まれる前、なにか民族間とかでコミュニケーションをはかったり、相手になにかを伝えるために本能的に生まれたものではないだろうかと想像させるものでした。ほんとうに感動的で。
あと、齋藤さんに写真の次のコミュニケーションとして、『うた』につながったことがうれしかったです。『うた』が嫌いといっていたわけですから」
「うた」とむきあう過程で、齋藤の中でひとつ何かが変わった。
齋藤「子どもの声がきこえないもどかしさのようなものもないかと、きかれることがありますけど、あまりないです。
手話で気持ちを伝えあうことはできるし、むしろ表情やしぐさから、その奥にある本心を察する楽しさがある。
でも、以前だったら、声がきこえないことをさみしく感じていたと思う。いまは、さみしいとは思わない。そう思えるようになったのは、『うた』で自分の思いが伝わることが実感できたからだと思います」
その親子の言葉を超えたところでつながる関係は、SNS上で乱暴な言葉が飛び交う現代において、ほんとうの意味での人と人とのコミュニケーションの在り方を問うといっていいかもしれない。
河合「顔を向き合わせることって大切というか。ともすると字面だけで人と人がつながって、関係が成り立っているようにみえる現代ですけど、果たしてそうか?
140文字では語れないことがあるし、伝わらないことがある。周囲の評判やいうことがすべてじゃない。実際に会ってみないと、相手のことってわからない。
この作品が、そういう対話することの大切さや、人と接し方について、ひとつ考え直すきっかけになってくれたらうれしいです」
絵字幕バージョンも誕生
こうした相互理解の深まるコミュニケーションが図れればということで、ろう者を含め、あらゆる人がアクセスできるようにすべく、通常版に加え、絵字幕バージョンも誕生した。
河合「小指さんというドローイングアーティストにお願いしたんですけど、簡単にいうと、音楽の譜面や字幕を絵で表現している。
当事者であるろうの方々に観ていただいたんですけど、『うたのいろとか、かたちというのがすごくつたわってくる』と喜んでくださいました」
齋藤「小指さんは天才です!ぜひ、みてもらいたいです」
河合「バリアフリー以上のひとつの表現として伝わるんじゃないかと思います。聴者もその感覚は共有できる可能性があるとぼくは思っています。ただの字幕じゃなくて、感じられる映像になっているかなと」
「うた」を忌み嫌っていたろうの写真家の体から自然とあふれでてきた息子への「子守うた」とは?「うた」の原石ともいうべきその「うた」に出会ってほしい。
シアター・イメージフォーラムにて公開中
場面写真はすべて(C)hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS