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競輪、時々、創作。世に流されない真の表現者、友川カズキの無頼の生き様になにをみる?

水上賢治映画ライター
映画『どこへ出しても恥かしい人』 友川カズキ(左)と佐々木育野監督(右)

 ドキュメンタリー映画『どこへ出しても恥かしい人』は、歌手、画家、詩人として1970年代から独自の創作を続けるアーティスト、友川カズキに焦点を当てている。

 すでに友川を被写体にしたドキュメンタリー映画は存在する。フランス人映像作家、ヴィンセント・ムーン監督による『花々の過失』がそうで、同作は2010年に日本でも公開されているので記憶している方も多いことだろう。

 この2作品をあえて比べる必要はない。ただ、おそらく友川の人間性であり、アーティストとしての創作の源のようなものは、『どこへ出しても恥かしい人』のほうが断然みてとれる。基本は友川が「ギャンブル=競輪」に狂じるシーンが多くを占め、しかも記録したのはいまから10年前、にもかかわらず、本作には、友川の現在の生き様が浮かび上がる。

あらゆることを超越した存在、友川カズキとの出会い

 手掛けた佐々木育野監督は、友川との出会いをこう語る。

「出会ったきっかけは、今回の作品とはまったく別のドキュメンタリーを作る企画があって、『グリコ森永事件』についてのものだったんですけど、ナビゲーターを探していたんです。

 そのとき、友川さんにお願いできないかなと。友川さんのライブを観たとき、なにかを超越したパフォーマンスで。もう声がいいとか、歌詞が心に響くとか、そういうことで判断することも飛び越えて、こちらに届いてくるような得体のしれないパワーが渦巻いていた。その未知なる爆発力と、『グリコ森永事件』という未解決事件を合わせたらなにかおもしろいことが起きるんじゃないかと思ったんですよね。

 それで、まず1度お会いすることになりました。2009年のことです。ご自宅にお伺いしたんですけど、ふと本棚に目をやったら、西村賢太さんの本が並んでいる。当時、僕も西村さんの小説が大好きで、それを話したら一気に意気投合したというか(笑)。そのまま夜になって、鍋をごちそうになって、さらに『これまだ人前で歌っていないんだけど』といって新曲を歌ってくれたんですよ。

 しかも、真夜中なのにけっこうな大音量で。その曲を聴いたとき、やはりその場の空気を一気に変える力があるのを感じて、友川さんに出演して欲しい、と思ったんですよね」

 友川は当時をこう振り返る。

「そうそう。当時は、西村賢太さんが芥川賞を受賞する前で、まだほとんど知られていないころだったんですよ。

 ただ、私は書評をたのまれて、たまたま読んだら、これがめちゃくちゃおもしろい。それで、そのころのステージでは西村さんの小説の話ばっかりしてたんですよ。この作家はおもしろいと吹聴していた。だから、西村さんが芥川賞受賞したとき、3、4人から電話がきたの。『おめでとう』って。俺が受賞したわけじゃないのに(笑)。

 だから、佐々木さんが来て、西村ファンときいたときは、なんかうれしくてね。そのころは、西村さんのこと知っている人なんてほとんどいなかったから。で、西村賢太談義が始まった(笑)。

 さらにそのあと、佐々木さんが私のマネージャーの高校の後輩ということも分かったの。だから、何か不思議な縁を感じてさ。実際は関係ないと思うんだけど、そういう不思議なつながり、なんかうれしいじゃないですか」

映画『どこへ出しても恥かしい人』より
映画『どこへ出しても恥かしい人』より

 しかし、当初予定されたドキュメンタリー企画は立ち消えに終わってしまう。そこで佐々木は友川についてのドキュメンタリー映画を撮ることを思い立つ。

佐々木「企画はダメになってしまいましたけど、やはり友川さんを知れば知るほど、撮ってみたい気持ちが出てきました。それでお願いしようと」

 友川も承諾した。

友川「西村さんという入り口があったから、『ああ、いいよ』と。あと、正直なことをいうと、『花々の過失』はいろいろとあったんです。映像自体は、すごいと思うんだけど、ヴィンセント・ムーンとは言葉が通じないから、なかなか意思疎通が難しく、伝わるものも伝わらない。かみ合わなかったところがあった。でも、今回はその心配はないなと思ったの」

完成まで10年がかかってしまった理由

 このようにして撮影ははじまり、順調に進んだかにみえた。しかし、完成までは紆余曲折があり、約10年の月日を要することになる。

佐々木「当時、僕はこれからいろいろなドキュメンタリーを撮っていこうと思っていた時期で。友川さんの撮影を終え、編集をはじめると平行して、次の題材にもとりかかりはじめた。漁師についての作品を作りたくて、下調べを兼ねて瀬戸内海のある島にいって漁師として働いたりもしたんです。でも、肝心の友川さんのドキュメンタリーがいっこうにうまくまとまらない

友川「高井神島なら行ったことあるよ。テレビのレポーターで。ごめん話の途中で」

佐々木「そうなんですか。それも偶然の一致ですね(笑)。

 で、そのあともいろいろとあって、なんとかまとめようとするんですけど、まとまらない。友川さんからも『このあたりでいいんじゃないの』という妥協案みたいなものをいただいたときもあったんですけど、自分が納得できなかった」

友川「生意気でね。なんか粘ったよね。まじめすぎるから思いつめちゃう。途中で、いい意味で、てきとうにいい加減になれたけれどね」

佐々木「結局10年かかってしまいました。いま考えてもわれながらよく粘ったなと思います」

 なにがうまくいかなかったのか?

佐々木「内容というよりも作品にもやがかかっていて友川さんをとらえきれていないというか。友川さんと時間を過ごす中で、僕はすごく突き抜けていて、なにかクリアに前が拓けている印象があったんですよ。妙な明るさというか。

 楽曲から悲壮感が漂っているイメージが世間一般にあるような気がしますけど、ご本人はユーモアがあって、ある意味、悲壮感とは無縁

友川「悲壮感とかないない(笑)。人生、暗く沈んでばっかりいてもしかたないじゃない」

佐々木「そういう自分が体感した、友川さんらしさというか、それが僕の感じた実像なのかもしれないんですけど、そこにいき着いていない感じがあったんです。

 振り返ると、たぶん僕が考えすぎていたんでしょうね。自分の友川さんに対して抱いた気持ちというのを、小細工してうまく出そうとしていた。でも、それではダメで。10年かかってようやく心が整理できて、ストレートに出せた気がします」

友川「それでいいんだよ。野球じゃないけど、来た球を打つだけなんだよ。球をただ素直に打ち返す。俺は映画の専門家じゃないから、細かいところはわからないけど、ピッチャーが投げて、バッターが打つ、その事実がおもしろいわけじゃない。その打者のバットの振り方とか、ピッチャーの気合の入り方をみたとき、人は心が動くんだよね。それって頭で考えてどうにかなることじゃないの。その自覚こそが自分の邪魔になるのよ」

佐々木「そうなんですよね。最初、僕は撮影のとき、たとえば友川さんをあえてあまりなじみのないところに連れていって、そこでどんなリアクションをとるのか、そんなことを狙っていた。友川さんの新たな一面を引き出すようなことをできたらと。なにかを仕掛けようとしていた。

 でも、友川さんは、そういう次元にいないというか、そういうことで新たな顔がみえるとかじゃない。要はどんなときも変わらない。人に対しても、自分の生き方も揺らぐことがない。それこそが友川さんで」

友川「まあ、朝からさ、撮影しても、めし食って競輪の予想して、夜酒飲んで、という繰り返しなわけだよ。そうなると、お互いに飽きてくる。飽きてくるの。それでたぶん、佐々木さんとしては、何か狙いたくなっただろうね。変化がないからさ(苦笑)。これは、作品にならないとあせったんじゃない」

佐々木「僕の作り手としてのエゴがあった気がします。ただ、何年か経ったときに、僕が狙っていたところで外したとしても、成立するように、あらゆる場面をカメラマンの高木風太君がきちんと撮っていてくれたんですね。ありがたいことに。そこに僕の探していた友川さんがいた。それに気づいて、作品がようやく成り立った。なので、高木君には感謝です」

映画『どこへ出しても恥かしい人』より
映画『どこへ出しても恥かしい人』より

人生なんてなんでもない。小難しく考えるから生きづらくなる

 先述した通り、作品は、2010年夏、友川の競輪に明け暮れる&ときどきライブと絵を描く日々が記録されている。そこからは、常識と照らし合わせれば無責任に映るかもしれない、でも、強烈な自己をもつひとりのカリスマの揺るがない生き方と、何者も犯すことのできないアーティストとしての自由な精神が見えてくる

友川「いやいや汚い生活ですよ(笑)。作品のメインビジュアルになっちゃっているけど、札束で顔を覆うとか下品でしょ。まあ、自分としてはあそこが一番好きなシーンなんだけどね」

佐々木「たぶん、みなさん予想しないことが起きてしまう」

友川「人の不幸は蜜の味だから。そっちにいくよう期待するでしょ。おけら街道を歩くみたいなさ。実際、ほとんどそうなんだけど、そうならないときもある。だから、人生、わからないんだよ。それでいいの。人生ってなんでもないのよ。いろいろと理由をつけたくなるんだけど、小難しく考えなくていいんですよ

 私なんか自分の人生に価値なんか一切ないと思ってるから、だから頑張れるわけよね。価値があると思ったら、なんかこんなことしちゃダメだよなとか自分を縛っちゃうじゃないですか。自分を追い詰めてがんばろうとしちゃう。それでみんな無理しちゃう。

 人生には何の価値もないと、別に達観してのことじゃないの。ほんとうにそう思うの。頑張れる人はいいと思うけど、みんながみんなそうじゃないわけでしょ。だから、もっと楽にふつうに生きる選択をする人がいてもいいじゃん。それが周りからみたら、不真面目に映ってもさ。自分が自分なりに頑張れっていればさ。私みたいなバカがもっといていいのよ、日本は」

佐々木「ほんとうに失礼ですけど、友川さんのような上昇志向にとらわれない生き方というか。もっとゆるやかな生き方が認められる社会であったら、生きやすくなるんじゃないかという気がします。僕自身、なにも変わらない友川さんをみていて、『無理に変わらなくていい、進歩なんてしなくてもいいんだ』となんかほっとしました」

権力ある者には厳しい目を!

 ただ、無頼詩人、庶民に向けるまなざしは優しいが、権力者への目は鋭く厳しい。そのことも友川の創作からは確実に垣間見えてくる。

友川「長い物には巻かれろでしょう、今の日本は。これでいいのかと思いますよ。森友加計問題も、今回の河井夫妻の問題だって、桜を見る会だって、説明責任を果たすといって、説明がなされない。こういうこと黙ってみていていいの。国を代表する人間の嘘が許されるようになったら、終わりだよ。みんなこういうことにはもっと怒らなきゃ

 そりゃ、無駄なことかもしれない。でも、力のあるヤツだけの嘘が許されて、その地位が揺るがなかったら、世の中終わりだよ。

 でも、私、小心者でケンカは弱いのよ。ケンカ、百戦百敗だもの。負け続け、でも別に勝ちたいとは思わない。勝ち負けなんてどうでもいいじゃん。でも、自分がおかしいとおもったことには声をあげなきゃさ。意思表示しないと気が済まない

 まあ、小心者で出しゃばりなのは始末悪いと思うのよ。ふつう、小心者は下から低くでるじゃないですか。でも、私は真正面からいくから、ハレーションを起こすんだよね。おかげで2回も鼻の骨、折ってる(笑)」。

佐々木「結構、自分も含めてですけど、負ける前にいま負けないようにするというか。負けるんだったら戦わないみたいな風潮が社会全体にありますよね。萎縮といっていいと思いますけど」

友川「私はそれができないよ。あのね、目の前で悪事が行われたとして、自分がみて見ぬふりをしてしまったとする。それでなにが1番許せないかというと、その悪事をした張本人じゃない。みて見ぬふりをした自分が一番許せないのよ。だから、負けようが関係ないのよ」

 ひとりの言葉を生業にする人間として、いまの政治家にこう物申す。

友川「説明責任とか、記憶にございませんとかさ、へんな意味と色がついちゃったじゃない。最近の政治家の発言をきいていると、本来の言葉の意味をゆがませることばかり言う。そうなると、文章を読む人間も耳にする人間も、その言葉があると、なんかフィルターがかかってさ。ほんとうにさ、言葉をもっと大切にしろよと思うよね」

アーティストと息子とのほどよい距離の関係

 こうした友川のアーティストとして、ひとりの人間としての姿勢を映す一方で、作品には、3年ぶりに会う大学生の4男をはじめとする息子たちも登場。親子関係にも触れている。

 この親子関係は『花々の過失』でもとりあげられていた。代々的とはいわないまでもクローズアップされていた。しかも、5年を経ての父と子の再会はひとつの感動へ結びつけられている。

 ただ、今回の『どこへ出しても恥かしい人』を見ていると、ちょっと違うことがわかる。友川らしい家族との関係は、「家族の絆」ということがしきりに叫ばれ、「家族は一緒に」といった風潮がある昨今、もっとゆるやかな関係があっていいことを物語る。

友川「正直なことを言うと、『花々の過失』の親子関係の描き方に関しては勘弁してくれって感じなんですよ。お涙頂戴みたいになっているけど、ぜんぜんそんなんじゃないんだから。

 3年とか5年とか会わなかったのはたまたまで、別に音信不通になってたわけじゃないから。

 親子の情がないわけじゃないですよ。でも、なんか久々の再会=確執から和解みたいなイメージにして、親子ドラマというか悪い意味でのメロドラマになっちゃって、それは違うよと。こっちは切った張ったの世界で生きているわけですから」

佐々木「僕は、友川さんにとって3年に1回ぐらい会うとかっていうのは、わりと平常運転だと思ったんですよね。友川さんもそうだし、ご家族のみなさんもたぶんそう思っている。友川さんの家族としてはふつうのこと。だから、そこに特別、大きな意味はない。家族の日常なんだろうなと。だから、それをそのまま出せればなと思いました。

 実際、息子さんたちも協力的というか。撮影も『ああ、いいですよ』みたいな感じで。

 たとえば、息子さんに友川さんが『最近、お前競輪やっているのか?』と聞き、競輪やってないという息子を怒るシーンがある」

友川「あれはいいシーンですよ。よく生かした。ほんとうの関係が映っている。私の貧しさもしっかり映ってるのがいい(笑)」

佐々木「こういうシーンを前にしたとき、競輪というギャンブルを介して親子がつながっているという異質感。ただ、その中で相手に対する甘えや強がりや共感、そして気遣いなど、様々な気持ちのキャッチボールが見てとれる。そこにどれだけ一緒に過ごしているとかあまり関係ないんですよね。こういう家族の関係があってもいいと素直に思ったんですよね。世間のイメージする家族とはかけ離れているかもしれない。でも、こういう家族の関係性があってもいいじゃないかと」

友川「私が反面教師になっているから、息子は意外とできた人間なんですよ。いい言葉を思いついた。『親がなくても子は育つ』って言葉あるじゃないですか。それに対して、坂口安吾は『親があっても子は育つ』って言ったのね。で、私はそれにもうひとつ付け加えたいのよ。『子があっても親は育つ』ってね。3段階。これいいでしょう(笑)」

映画『どこへ出しても恥かしい人』より
映画『どこへ出しても恥かしい人』より

 また、『花々の過失』では、家族への想いが創作の源になっているといった具合に落とし込まれているところがある。でも、それも微妙に違うことが本作をみるとわかる。

友川「創作ってやはり己からわきでてくることなんですよ。もちろんいろいろなところから影響を受けるわけですけど、家族はその一部に過ぎない。私の場合は、己の身で勝負してきたところがある。

 家族のために歌っているわけじゃない。だからって家族をマイナスエネルギーでとらえているわけではないのよ。自分の中では、表現と家族って相容れないのよ。

 表現って、いい意味でどこまでふざけられるかだから。振り切るもんなんですよ。

 もちろん、家族のためにという表現者もいると思いますよ。でも、私は違うのよ。家族のこと考えたとたん、思考が完全ストップ。いろいろ怖くなって、なにもできなくなっちゃう。元来が小心者だからさ(笑)」

 こうしたすべてひっくるめてみていったとき、ひとりの孤高のアーティストの姿が露わとなる。大島渚、中上健次ら名だたる才人たちはなぜ彼に魅了されたのか? その一端に触れられることだろう。

友川「いや孤高なんかじゃないですよ。私のとこだけエアポケットなんだ。無風状態。無政府状態かな。まあ、自分としては途方に暮れながら、生きてるだけですよ」

佐々木「あまり友川さんがどういう人とか考えず、友川さんを、さらに友川さんの表現を体感してもらえればなと思います。説明するよりも、感じてもらいたい人なので」

どこへ出しても恥かしい人(?)、友川カズキにあなたはなにをみるだろうか?

映画『どこへ出しても恥かしい人』より
映画『どこへ出しても恥かしい人』より

新宿K's cinemaにて公開中。以降、全国順次公開予定

場面写真はすべて(C) SHIMAFILMS

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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