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むこうの国がよさそうだからと安易に自国を捨てる人はいない。移民・難民問題で欠如していること

水上賢治映画ライター
『約束の地で』 クローディア・マルシャル監督 筆者撮影

 近年、さまざまな形で報道され、関心を集めている社会問題のひとつにあげられるのが、移民・難民の問題だろう。

 「移民」「難民」と聞くと、とかく、「国を追われた人々」「よりよい生活を求めて」といった、画一的なイメージでみてしまいがちだ。

 でも、「移民」「難民」とひと口にいっても、置かれた状況は複雑で、亡命もさまざまな形があるのではないか? 世界情勢がめまぐるしく変化する中で、その形も変容しているのではないだろうか?

 当たり前といえば、当たり前ながら、そのことに気づかせてくれる1作。それが昨年の<山形国際ドキュメンタリー映画祭2019>のインターナショナルコンペティション部門で上映されたクローディア・マルシャル監督の『約束の地で』だった。

 14年前に故郷ボスニアを離れ移住が認められ、現在はフランス東部で暮らす妹のメディナと、その妹を頼って移住を試みるもドイツで難民拒否に直面し帰国を強いられた姉のインディラを主人公にした本作は、移民が認められた者と認められなかった者の大きな違いと隔たり、それとは裏腹に実は大差ないのではないかということも映し出す。

クローディア・マルシャル監督 筆者撮影
クローディア・マルシャル監督 筆者撮影

わたし自身がどこか根無し草で、いろいろな国をさまよっている感覚があった

 マルシャル監督は本作が初長編作品となるが、かつて短編をいくつか発表。その経験と自身のルーツが本作につながっていると明かす。

「最初につくった短編のテーマは、言語でした。わたしの母国はフランスです。でも、両親の仕事の都合で、フランスでほとんど暮らしていないんです。子どものころははずっと海外で、インターナショナル・スクールに通っていました。ただ、その中でも、わたしの祖先のいたフランスの東部、もうほとんどドイツとの国境に近いところなのですが、その土地の独特の方言を教えられていました。

 それであるとき、わたしのルーツがあるといっていいその地方からアメリカの小さな村に移住した人たちがいることを知りました。そこで、そのアメリカの村を訪ね、自分のアイデンティティを探る取材をして作品にしたのです。

 つまり、わたし自身がどこか所在がないというか。どこか根なし草で、いろいろな国をさまよっている感覚があった。そして、母国とはどういう存在なのか、逆に異国の地に住むということはどういうことなのか、各国を渡り歩く中においてどう自身のアイデンティティを構築していけばいいのか、という問題に常に直面してきました

 ですから、作品に登場するメディナやインディラのような立場に置かれた人たちに、わたしはすごく惹きつけられるところがあります。どこか自分と重なるところがあるんです。

 もちろん、彼女たちの境遇とわたしが育った境遇とは比べられるものではありません。でも、ある場所とある場所の間に宙ぶらりんな状態でいるという点においては、とても共通したところがあるのではないかと思います。

 自身の置かれた状況や、これまでたどってきた歩みが、今回の『約束の地で』につながっている。この作品は、わたしのすべてを注ぎ込んだ、ほんとに特別な作品です」

 マルシャル監督自身、世界各国を渡り歩く中で、いいことも悪いことも多く経験してきたことを明かす。

「まず、わたしはフランスで生まれた後、幼いときに父の仕事のためにブルネイに行きました。そのあと、イギリス、チェコ、チュニジアと続いて、ようやくフランスに戻ったのですが、すぐにアイルランドへ行きました。そのあとも、両親は世界を飛び回るのですが、わたしは独立して、いまはパリとフランス東部のある町を拠点にしています。

 これだけいろいろな国にいくと、その都度、さまざまな文化を知り、新しい言葉を学びます。それは自分の人生を豊かにしてくれる感覚はありました。しかし、一方で、自分には何かピースが欠けている。自分の原点といえる『ここ』という居場所がない。常になにか人恋しい。そういった寂しい気持ちがつきまといました。

 とりわけ、親戚とのコンタクトがほとんどとれないことに寂しさを感じました。わたしの父はフランス人で、母はオーストリアの出身です。でも、どちらの親戚とも会う機会が限られていました。自分のルーツとの接触が少ない。

 そのせいか、常に次の休暇を待ち望む子どもでした。長期休暇は、親戚のみんなと会えて、自分の家のルーツを実感できるとき。その機会を心待ちにしていたのです。

 おそらく、この時間というのは自分のアイデンティティを実感をともなって確認できる唯一のときだった気がします。それ以外は自分は漂流しているような感覚だったのかもしれません」

 いまだにそれは続いているという。

「いまだにひとつの場所に落ち着いた感じはしていません。もう馴れてしまって、いまはひとつの場所にじっとしていることがむしろ難しいかも(苦笑)。常に動き回って、いろいろな国にいくのが性に合っているようです。2~3年すると、ちょっと環境を変えたくなってしまう。そういう暮らしの利点は、引っ越すたび、国を変えるたびに、新しい自分をつくり直すことができること。それまでの自分はすべて捨てて、まったく誰も知らない、知り合いのいないところにいくわけですから、新しい自分をつくることができる。

 いまパリを拠点にしてしばらくたつのですが、どうも落ち着かない。なにかよけいな荷物をいっぱい背負い込んだみたいな気分になっているんです(苦笑)。

 その点からいうと、ドキュメンタリー監督というのはわたしにぴったりの仕事といっていいかもしれません。世界をとびまわって取材するのが仕事ですから

偶然ではあるが必然に思えたさまよう姉妹との出会い

 だからこそ、メディナとインディラに出会ったのも、偶然ではあるが必然のような気がしたという。

「メディナをみかけたとき、彼女のどこに引きつけられたかというと、やはりわたしのいままでの人生と共通する点が感じられたからにほかなりません。

 ひとつ大きな違いがあったのは、彼女はほんとうに貧困の真っただ中にいたこと。わたし自身はそういう経験をしたことはありませんでした。

 でも、メディナが新しい国に来て、言葉も分からず、この国に滞在し続けることができるかどうかさえもわからない。そうした何もかもほんとに見当がつかない環境に投げ込まれるという点に関しては、わたしがほかの国にいったときに感じたこととほとんど同じ。そこにとても共鳴するところがあった。だから、彼女にふと目を止めることができた気がします」

映画『約束の地で』より (C) In Our Paradise
映画『約束の地で』より (C) In Our Paradise

 ある種、メディナと監督は同志のような存在。だから、自然と寄り添えた。

「おそらく一般の人たちは、亡命をする人たち、難民や移民に対して、うまく想像をめぐらせることができない。それは自分がそういう体験をしたことがないから、どうしても共感を欠いてしまうところがある。

 たとえば、フランス人の多くは、移民・難民についてフランスのほうが経済状況がいいから、いい暮らしが望めるから来たんだろうぐらいに思いがちです。ただ、自分の国を出てきた人たちは、ほんとうは出てきたくなかった人がほとんどです。『むこうの国のほうがよさそうだから』といった安易な考えで、自国を捨てる人なんていないのです。そのことを分かっていない人が案外多い。

 だから、メディナに関しても、フランスが受け入れたんだから、それだけで幸運な人間。現状に対して不平不満をいうんじゃない。そんなふうにみる人が多いんじゃないかと思います。

 でも、自分の慣れ親しんだ文化や愛する人が周囲にいる自国から遠く離れて、そこで新しく個人を確立していくということが、どれだけ困難か。そのことを、一般の方はほとんど分かっていないと思います。

 また、亡命したメディナの肩に重くのしかかってくる残してきた家族や親類の重荷やプレッシャーにも気づいていない。

 これらのことは体験した人間でないとなかなか分かってもらえないことです」

先入観をもたずにふつうの姉妹としてみてもらいたかった

 このようにメディナに思いを馳せていった一方で、難民申請を却下されたインディラにも同じように向き合っていった。

「インディラに関しては、ことボスニアにおいてロマであることでどれだけの差別を受け、それに耐えているのかを追々知っていくことになりました。

 ボスニアに限らず、フランスでもロマに対してはすごく根強い偏見があります。わたし自身は、これはヨーロッパ全体においての問題だと考えています。

 おそらく作品をみてくれた方は、メディナとインディラがロマであるというのは終わりのほうまで分からないと思います。それは最初から、二人がロマであるとわたし自身がとらえてほしくなかった。どこにでもいる2人の姉妹というふうに先入観をもたずにみてもらいたい気持ちがあったからです」

 ボスニアへの取材は計3回、3カ月に渡って行ったという。

「ボスニアはほんとうに美しい国です。山があり川があり果樹園がたくさんあって、すばらしい自然に恵まれています。

 でも、やはり戦争の爪痕が、そこかしこに残っています。人々はまだ内戦のトラウマを抱えていますし、政治的にも不安定なところがある。いろいろなことが解決されないままに置き去りになっている印象を受けました。

 また、経済的な開発が進んでいない。ですので、雇用がないので、とりわけ若い世代で、国を出ていける状況にある人はどんどん海外へ出ていっています。

 なので、残された側にいる人にとっては希望を抱けないような状況になっています。

 そういう状況ですから、インディラの心が外へと向かうのは仕方ないというか。妹のメディナがフランスにいるわけですから、自分もどうにかここから脱出できるのではないかと思うのは、理解できるのではないでしょうか」

 だが、インディラの移住の夢は叶わない。ここ数年の排他主義の高まりで、その扉は閉じられていく。インディラはドイツで難民拒否となるが、フランスの受け入れも厳しさが増しているという。

「もしかしたら、みなさんには、フランスは亡命者や移民を快く受け入れている国と映っているかもしれません。国外で、どうみられているのかは分かりかねるのですが、内からみると、フランスはまったく移民や難民を歓迎していない国といっていいでしょう。ことにシリア、アフガニスタン、エチオピアといった紛争があった国から亡命を望んできた人たちの扱いがひどい

 現在、フランス政府は、そういう方々が亡命申請を出すことさえ許可していません。かつては、亡命申請をして、3カ月以内に認められたら、とどまることができて、認められなかったら国外に出ないといけない決まりでした。でも、昨今では、その申請をすることさえ、難しくなっています。

 そして、極右の人間たちの言動がとても目立っています。彼らは、かつて、とても人前で口にすることをはばかられたような、人権を無視した、人間の尊厳を踏みにじる侮蔑的な言葉を、亡命を望む人々に平気で浴びせかける。

ほんとうにひどい状況にあると思います」

高まる排他主義。亡命できたからといってバラ色の生活が待っているわけではない

 作品は、亡命を叶えたメディナと、叶えられないインディラの日々を映し出す。ただ、どちらが明で、どちらが暗かは一概にいい切れない。

 フランスで暮らすメディナの暮らしは常にギリギリで決して豊かとはいえない。でも、それでも移住できずにボスニアに留まるインディラにすると、メディナは成功者。その生活は恵まれたように映る。その考えの隔たりから、二人の間にはしばしば隙間風が吹く。

 そこには先行きの不透明な時代に翻弄される人間の揺れ動く感情が克明に記録されている。

「亡命できたからといってバラ色の生活が待っているわけではない。ただ、自国にいても未来は切り拓けない。そういう状況にいる人間の心に、少しでも思いを馳せてもらえたらと思います」

 メディナとインディラにスポットを当てる一方で、カメラは彼女たちの、とりわけメディナの子どもたちの日常をつぶさにみつめる。そこには、どんな状況だろうと希望を失わない、子どもの自由な精神もまた映っている。

「実は、一時、この映画のすべてを子どもの視点から撮ろうかと思いました。カメラも子どもの目線の高さに置き、子どもからみた亡命や移民、移住の現実をみせようかと思ったんです。

 子どもたちは親についていくしかない。何も決定権はない。難しいことに直面するわけですけれども、彼らはどこかで希望を失っていない。こんな状況にあっても、前を向く彼らの姿に深く感動をしたのです。ですから、彼らを主人公にと考えた瞬間がありました」

 最後にマルシャル監督はこうメッセージを寄せる。

「さきほども触れたのですが、いまテレビでニュースをみると、ひどい言葉が行き交っている。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領をはじめ、差別的なものの見方をする人間がリーダー的な地位にどんどんついている。彼らの発言をきいていると、ほんとうに悲しくなります。この状況が早く変わることを願っています。

 この作品が、難民や移民の見方をかえるきっかけになってくれたらうれしいです」

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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