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人とつながる難しさ、それでもつながりたい切実さ。佐藤監督から託され体現した堀春菜が決めた演じる覚悟

水上賢治映画ライター
『ガンバレとかうるせぇ』 主演の堀春菜 筆者撮影

 現在公開中の佐藤快磨監督の『歩けない僕らは』には、併映作品がある。佐藤監督にとって初の長編監督作となった2014年制作の『ガンバレとかうるせぇ』だ。

 『万引き家族』などの出演で、現在新進女優として注目を集める堀春菜はこの両作品に出演。『ガンバレとかうるせぇ』では主演を務め、『歩けない僕らは』ではキーパーソンといっていい主人公の同僚、幸子を演じた。いわば佐藤監督が信頼を寄せる俳優といっていい。

 2014年から5年、着実に歩みを重ねた二人、それぞれに話を訊いた。

堀春菜 筆者撮影
堀春菜 筆者撮影

当時、高校2年、右も左もわからないまま撮影に入った『ガンバレとかうるせぇ』

 まずはじめに『ガンバレとかうるせぇ』は、佐藤監督の初長編でもあるが、堀にとってもデビュー作。当時を彼女はこう振り返る。

「当時、わたしは高校2年生。秋ごろの撮影だったんですけど、実は出演が決まったのは、クランクインの1週間前ぐらいで(笑)。監督から『秋田に来れますか』と問われ、気づいたらカメラの前に初めて立っていたというか。ほんとうに右も左もわからないまま撮影に入ったというのがほんとうのところなんです」

 そのころ、堀は俳優の道を進むかどうかまだはっきりしていなかった。

「佐藤監督との出会いは中学2年生の時。ある短期のワークショップを受けたんですけど、そのとき、佐藤さんがスタッフで入っていて、それが出会いでした。

 けれど、そのあと、いったん芸能活動をストップして、普通に高校に通い始めたんです。ただ、高校2年の秋に1本だけ舞台をやることになって、その宣伝のためにTwitterを始めたんです。そうしたら始めた翌日ぐらいに、佐藤さんから連絡が入って、それが『ガンバレとかうるせぇ』のお話でした。そこで諸事情あって(笑)、佐藤さんが私のことを探していて、たまたまみつけて連絡をくれたという奇跡みたいな話で出演が決まったんです」

撮影1週間前に新たな主演女優探し、堀春菜しか考えられなかった

 その諸事情を佐藤監督はこう明かす。

「堀さんとの出会いはワークショップで、そこに彼女は大人に混じって参加していたんです。鮮明に記憶に残っているんですけど、そのとき、大人たちにセリフを叫ぶシーンがあって、その号泣する彼女の姿がほんとうにすばらしくて、僕の中では忘れがたいものでした。

 それで彼女を主演にした作品をいつか撮りたいなと。それで『ガンバレとかうるせぇ』の脚本は、堀さんに主演をやってもらいたいとの思いから始まったところがあるんです。ただ、オファーの段階になったとき、堀さんは活動を一旦ストップしていたので連絡先がわからない。それで残念ですけど堀さんの出演はあきらめたんです。

 その後、違う女優さんでやることになったんですけど、そこでトラブルが起きて、撮影1週間前に新たな主演女優を見つけなくてはいけない非常事態になった。そのとき、ダメもとでもう一度、堀さんの名前をネットで検索してみたんです。そうしたら、Twitterでひっかかって、速攻で連絡を入れたんです」

佐藤快磨監督 筆者撮影
佐藤快磨監督 筆者撮影

 佐藤監督曰くすぐに駆け付けて、堀さんと彼女の母親と三者面談。説き伏せて、堀を連れ去るようにして秋田へ連れて行ったという。

「僕自身、そのときはすがりたい気持ちだったというか。前の女優さんとはダメになってしまって、1週間後に誰か他の人といわれても、主人公ですし、もう頭が白紙状態で。俳優さんに臆病になったところもあったんです。もう信頼関係を結べないんじゃないかと。でも、時間はまってくれない。とはいえ、自分のすべてを賭けようという作品ですから、納得できる人じゃないと主演は任せられない。となったとき、もう堀さんが出発点ですから、彼女しかいない。彼女なら信じられる。だから、もうほとんど彼女にすがるような思いで、お願いしたんですよ」

 この監督の想いを撮影を通して、堀はひしひしと感じていたという。

「リハーサルのときから、ことあるごとに監督に言われるんですよ。『僕はこの作品にかけてる』からと。それがもうプレッシャーでプレッシャーで。こちらは1週間前にいきなり話がきて、映像初出演で、台本の読み方もわからなかったので、準備しようにもなにから手をつけていいやらで……。

 撮影中は結構泣いていたなっていう思い出が(苦笑)。カットがかかるたびに『わからない』とか泣き言が出ていた気がします。

 ほんとうにわたしははっきりいって何もできていなかったと思います。周りのキャストがどんどん菜津という役を作っていってくれた気がしますね。私は、ただただ、目の前で起きていることを受け止めていればよかった。みなさんに助けられました」

 佐藤監督もこう認める。

「何かあれば『俺、この作品にかけているから』と言っていましたね。たぶん、彼女にそういいつつも自分自身にも言っていたような気がします。自分の思いを全部、堀さん=菜津に託して、その思いを乗せて撮りたかったんですよね」

『同志』と思えるところがある

 作品は、地方の高校のサッカー部の物語。3年生のマネージャー、菜津は夏の大会後の引退が通例の中、冬の選手権まで残ることを宣言。それが部で波紋を呼ぶ。

 一方、部を率いるキャプテンの豪は、メンバーと不協和音が起き、孤立。最後の大会を前に苦境に立たされる。

 そんな二人のもどかしい、不器用な青春の1ページが描かれる。

 物語で菜津はヒロインという立場であるが、完全に佐藤監督自身がここには反映されていると明かす。

「サッカーを小学1年生ぐらいから始めたんですけど、高校で何か自分の中で後悔が残ったまま辞めてしまった。そのサッカーへの怨念みたいものが、この作品には封じこめられている。とりわけ菜津に背負わせている。だから、余計に堀さんに対しては力が入ってしまったところはありました。

 振り返ると、ほんとうに無茶苦茶で。堀さんだけではなく、スタッフもキャストも全員を夜行バスで秋田まで連れてきて、極寒の中で1週間無我夢中で勢いのまま撮ったような感じなんです。

 堀さんにも無理をいいましたけど、地元の秋田で撮るのも、これもきちんとした論理があったわけではない。自分が全部かけられるという僕の勝手な思いでしかなかった。

 自分の知っているところであれば、より自身の怨念を乗っけられるはず。それは映画に必ず映るという気持ちがあったからなんですね。よくみんな僕の勝手についてきてくれたと思います。

 そんな感じですから、堀さんも混乱したと思います。追い込んだ身として言うことじゃないんですけど、追い込まれ過ぎて、どこかでがっとスイッチが切り替わった時が、確か3日目ぐらいにあったんです。

 そこからはもう、菜津という人間になっていた。以後は、僕がこうしてほしいっていうことを言うと、常にそれ以上のものを出してくれる。もういうことがなかったです。

 脚本の字で書いてあることが、俳優さんの演技によって画として立ち上がってくるというか。こういう体験はこの時が初めてで。今でも映画を撮る上で、この体験がある意味、原点になっている

 それまでは、どのような雰囲気の場にしようとか、どういう芝居にしようとか、場作りも画作りも頭が回らなかった。でも、堀さんが最後、最後に僕の気持ちを汲んで、そして背負って、すべてどころかそれ以上のことを出してくれたんですよね。

 演じる人物としての生理的なことと、僕の脚本とどっちを優先させるのかとか、当時は何もわかっていなかった。でも、堀さんやキャプテンの豪を演じた細川(岳)くんのおかげで、自分なりの目指す演出を見出すことができた。いや、二人に刺激されて、見出していったといっていいかもしれない。だから、どこか二人は『同志』と思えるところがあるんです」

映画『ガンバレとかうるせぇ』 (C)ガンバレとかうるせぇ
映画『ガンバレとかうるせぇ』 (C)ガンバレとかうるせぇ

 堀は秋田での撮影をこう振り返る。

「撮影を監督の地元の秋田で、合宿スタイルでできたのは私としてはよかったです。すべてに集中できましたから。

 たぶん、東京で学校に行きながらの撮影では、こうはならなかったのでは。秋田の空気を体で感じながらできたからこそ、地方独特の閉塞感と人間関係は出せた気がします」

 演じた菜津は、通常の青春映画に出てくるような部員全員に愛されるようなマネージャーとは程遠い。世話焼きタイプでもなければ、アイドル的存在でもない。ほとんど笑顔もない。

「映画に、どんどん(部員に)声を掛けていくマネージャーとか、叱咤激励するマネージャーとかよく登場しますけど、それって理想のマネージャー像だと思うんですね。でも、私が演じた菜津はほんとうにいそうなタイプというか。どこにでもいる、ありふれたマネージャーなんじゃないかなと。

 彼女がマネージャーを辞めなかった理由は、あれこれ考えを巡らせました。『納得ならないことがあったのかな』とか、チームのふがいなさに一種、活を入れようとしたのかなとか。

 『なんでマネージャーは、マネージャーを続けられるんだろうか』ということも考えましたね。

 で、よくよく考えるとマネージャーってすごい位置にいる人だなと。同じ仲間として一体でいるときもあれば、選手と明確に違いを突き付けられるときもある。感謝されることもあるけど、報われないこともある。

 どういうモチベーションがあれば続けられるのか、私は選手側の経験しかないのでちょっとわからない。そんなことをずっと考えていましたね」

 だが、その仏頂面が青春期のいら立ちを表現し、なんともいじらしく、いとおしい。

「もともとあそこまでむすっとしている予定は、たぶん監督の中にもなかったはず。でも、最初に、細川さんとの家の前のシーンを撮ったときに、私が笑わなかったんですね。そのとき、監督が『たぶんこの映画の中で、ここが一番楽しいシーン。なのに、笑わなかったから、この作品は笑顔なしだ』と。それで笑顔なしになったんですね」

 いまだに客観的に見れないという。

「ほんとうに当時は、役を演じるっていうことがまだできていない。私のままで立つしかなかった。だから半分は菜津であり、半分はわたしであった気がします

 初めて現場に立って、なにもわからないまま本番が始まる。どうしようかとあたふたしたり、もうやるしかないって思ったり、でも、やっぱりできないって思ったりと、もういろいろな感情が渦巻いていて、それが菜津に乗り移っていた気がします。

 だから、正直言うと、とても困っているわたしが映っている(苦笑)。常にどうしようと追い込まれているわたしの顔がそのままスクリーンに映し出されている。

 すごく不器用で下手な感じがすごく痛くもあるんですけど、もう2度とできないぐらいいい顔をしているところもある。ほんとうに自分の思春期を覗かれているようではずかしい。生まれたての私を見られるようで、すごく見てほしいけど、すごく見てほしくないみたいな相反する気持ちがあります

 でも、ほんとうに嘘がひとつもない。不器用な人たちが不器用に70分の間、頑張っている。この時間がわたしはたまらなく好きです」

 そして、堀自身にとってはこの道へ進むきっかけをくれた作品になった。

「もともとお芝居をやりたい気持ちは小さなときからあったんです。でも、どうすれば進めるのかはわかりませんでした。その中で、この作品がひとつの道しるべになってくれたというか。大きな体験をくれたことは間違いない。

 たとえば、この作品がぴあフィルムフェスティバルで受賞したり、釜山国際映画祭に正式出品されたりすることで、私もさまざまな映画祭を体験することができました。そのとき、映画の仕事をしている方々と出会ったり、いろいろな国内外の作品に触れることで、私自身がすごく刺激を受けて、映画のことをもっと知りたいと思ったし、以前よりも映画が好きになりました。同時に役者の仕事が自分の中で現実の目標になりました。だから、そのきっかけをくれたこの作品と佐藤監督にはすごく感謝しています」

再会の映画となった『歩けない僕らは』

 そこから月日を経て生まれた『歩けない僕らは』だが、佐藤監督の中では、『堀さんともう1度』という気持ちがこの作品に取り掛かる以前からあったという。

「『万引き家族』のオーディションを見学させていただく機会を得たんですけど、そこに、堀さんがきていて、その演技にとても驚きました。すでに僕の知っている堀春菜ではなくなっていたというか。とにかくすごく成長していて、その演技に引き込まれたんです。

 かなり刺激を受けました。『同じ年月が経っているけど、僕はここまで成長できているのかな』と。これは自分も本気で頑張らないといけないと思ったし、そのとき、今の堀さんとやってみたいという気持ちが沸き起こりました」

 半身不随などで日常生活が難しくなった患者のリハビリを担当する新人女性理学療法士の日常を描いた本作で、堀に託したのは、主人公・遥の同僚である幸子。理学療法士の仕事からある意味、夢破れて離れていく人物で、遥が明だとすれば幸子は暗で明暗を分けることになる。

「脚本を書き始めてすぐに幸子は出てきて、わりと早い段階で、堀さんと、あと細川君の二人に出てもらうアイデアがポンと出てきたんですよね。

 宇野愛海さんが演じてくれた主人公の遥がまずできていて、そこに相対する同期として幸子というキャラクターが出来上がった。彼女の心を揺らす役割として幸子には存在してほしいなと。同期で同じ方向を向いていたけど、どこかから違う道にいき、主人公に影響を与える役ですから重要で。ここは堀さんにお願いしたいなと。もっと(堀さんとは)がっつりやりたい気持ちはあったんですけどね。まずはとにもかくにも堀さんともう1度組んでおこうと(笑)」

両作品に共通するのは『誰かを応援する』こと

 一方、堀は幸子役を通して、こんなことを考えていた。

「『ガンバレとかうるせぇ』と『歩けない僕らは』に共通するのは、『誰かを応援する』ということなのかなと。

 でも、応援するって難しい。こちらは何かの支えや励みにと思っていても、相手にとってはプレッシャーになってしまうことがある。逆に『頑張れ』といわれたいときに、励まされなくて落ち込むときもある。

 『ガンバレとかうるせぇ』も『歩けない僕らは』も、間違っている人は出てこないんですよね。でも、一生懸命生きていても、ちょっとしたタイミングですれ違ったり、意見がぶつかってしまったりしてしまう。

 人との距離の取り方ってほんとうに難しいなと思う一方で、人間臭いというか人間らしい心のやりとりがされている気もして。コミュニケーションの大切さが物語の根底にある。これが佐藤監督作品の魅力なのかなとふと思いました。

 あと、佐藤監督自身が映画に登場する人物のようにやはり不器用にしか生きられないタイプなのかなと(苦笑)」

映画『歩けない僕らは』 (c)映画『歩けない僕らは』
映画『歩けない僕らは』 (c)映画『歩けない僕らは』

 幸子という役についてはこんなことを感じていた。

「幸子は離職してしまうんですけど、それも否定できないというか。それぐらい理学療法士というのはいろいろなこと、時には人の人生を背負うことにもなる。だから、かかるプレッシャーも相当なものだと思いました。

 なので、この道を進むことを決めた遥が正しいわけでも、辞める選択をした幸子が間違っているわけでもない。

 実は2年ほど、保育園でアルバイトをしていたことがあるんですよ。そのとき、もちろんアルバイトだけど、子どもとか保護者の方からはアルバイトであろうと関係ない。プロとしてわたしをみているわけです。もちろんわたしとしてもプロと同じように責任をもって仕事をしようと思うんですけど、立場としてはアルバイトで。ベテランの方には、ほんとうに実力も能力もかなわない。そのギャップにすごく悩みました。『もし、わたしじゃなくてもっとベテランの方だったら、この子にもっとよくできたんじゃないか』と。幸子と重なることが多かったです。

 それだけに、理学療法士というのは尊い仕事だと思いましたし、一方で幸子のような選択があっても責められないと思いました」

 佐藤監督は堀との再会でこんなことを確認した。

堀さんは、同志でライバルじゃないですけど、常に自分の視野にいる女優さんかもしれません自分が今まで撮った作品というのは、人と人がつながることの難しさ、それでもつながりたいと思ってしまう切実さみたいなところにテーマが終始している

 それをもっとも体現してくれているのが堀さんなんですね。不器用にしか生きられない人物を堀さんが繊細に説得力をもって体現してくれている。それはどこか僕自身が投影されてもいる。

 ほんとうにすごく表現の幅が広がっているし、さっきもいいましたけど、負けてられないなと思っています」

 佐藤監督と堀春菜という女優が出会い、それぞれにファーストステップを踏んだ『ガンバレとかうるせぇ』、そして再会を果たした『歩けない僕らは』。ある意味、二人の軌跡が刻まれている2作に注目してほしい。

映画『歩けない僕らは』より (c)映画『歩けない僕らは』
映画『歩けない僕らは』より (c)映画『歩けない僕らは』

『歩けない僕らは』『ガンバレとかうるせぇ』

現在公開中。

新宿K’s cinemaにて

トークイベントあり

11/29(金) 10:00の回 上映後

【ゲスト】堀春菜

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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