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「すべてに勝たなければいけない」最強ボクサー井上尚弥を育てた井上家の掟とは

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
バトラーを圧倒してバンタム級世界王座4団体統一を達成した(写真:山口裕朗)

 井上尚弥(大橋)の新たな挑戦が正式に発表された。世界のメジャー4団体すべてが公認していたバンタム級のチャンピオンシップを返上し、5月7日、横浜アリーナでWBC・WBO世界スーパーバンタム級チャンピオンのスティーブン・フルトン(アメリカ)と対戦する。井上が勝てば日本人ボクサーとして史上タイの4階級制覇、世界タイトルマッチ連勝記録も日本人としては前人未踏の“20”の大台に突入する。日本が生んだ史上最強のボクサー、井上がどうやってこの地点までたどり着いたのか。二人三脚でロマンの道のりを歩んできた父であり、トレーナーでもある真吾氏に聞く。(文中敬称略。なお、便宜的に井上真吾氏を真吾、井上尚弥選手を尚弥として記しています)

難しいからこそ、もっと先を目指したい

 井上真吾とその長男、尚弥がともに歩んだ最強ボクサー育成の道は、純度100%の完全主義とともにあった。

「ふだんのスパーリングでも、『全般を見渡したらトータルで勝っていた』ではダメ。すべてのラウンドに勝って、相手にダメージを与えていなければならない。試合でも同じ。その信念に従って、井上家は戦い続けてきたんです」

 小学校の低学年だった尚弥が、自宅で練習する自らの姿を見てボクシングをやると言い出したときから25年間、ずっと父が息子に強いてきたテーマだ。真実の強さを追求するという気持ちがないのなら、ボクシングというスポーツはやってはいけない。あるいは井上家の男として生きるのなら、そこまでの覚悟を持て。真吾は言葉はむろん、自らの姿勢で示してきた。

 だからこそ、現役最高のコンプリートファイターと言われ、なおかつ進化を続ける井上尚弥の今がある。「スパーリングでも全試合、勝つつもりでやってきました」。尚弥もまた、常々、同じ言葉で井上家のボクシングを語ってもいる。

 スパーリングを含むすべての戦いに「勝つ」のは、ときどきの満足のためではない。独創的で過酷な体力強化プログラムで体を鍛え上げ、濃密なジムワークで基本から応用まで、徹底して体の中にたたき込む。模擬実戦での勝利にこだわるのは、成果の実際値を確かめるため。養った力は本番の試合での勝利につながり、また、記録に残る勝利のひとつひとつが、自身の行きたい場所へと強力に導いてくれた。

 井上尚弥の現有戦力には世界中から絶賛の声が届く。史上初の2階級4団体統一王者という歴史に残る偉大な記録も視野に入ってきた。億単位の報酬を平然と稼ぐミリオンダラーファイターにもなった。だが、井上尚弥が行き着きたいのは、そんな目の前の栄光にとどまらないのだろう。

 フルトン戦が決まったとき、「過去最高のモチベーションで(試合に)臨めます」と語るのは、自らのストーリーにもっと先があると信じているからだ。それが何処なのか? 息子は父に語ることはない。たぶん、本人のなかにも具体的な形にはなっていない。無理やりに言葉にするのなら、『ただ、強くなりたいだけ』になるはずだ。

「(尚弥は)ボクシングが好きなんでしょうね。好きだからこそ、もっと深いところ、先に行ってみたいと考えるのだと思います。ボクシングって難しいから」

最強の定義とはどんなものなのか

「世界チャンピオンのベルトは大事です。ですが、自分がほんとうにほしいのはそれではありません。数字や記録ではないんです」(尚弥)

 もっと強くなる自分を見てみたい、と井上尚弥は繰り返し訴える。最強と呼ばれるボクシングを実現させたい、と。では、最強の域に達したボクシングとはどんなものなのか。その真相を言語で表すのはとても難しい。

 端的な例を挙げれば距離である。勝ち負けを切り分けるのは、その距離だとよく言われる。単にその差30センチ、50センチとかいう数値ばかりではなく、対峙するふたりのボクサーの間にある空間をいかに管理できるか、という意味である。一発一発のパンチ、そのパンチをつなげてのコンビネーションブローを効果的にヒットでき、または守りを含めたテクニックが最大限の効能を期待できるポジション取りのことである。適切な場所か、そうではないのか、その差は数ミリ単位と言っても“表現を盛っている”とは思わない。サイドをついて微妙な角度の作る作業も数ミリで変わりない。ついでに付け加えておくが、拳の破壊力を最高域にまで高めるタイミングも、やはり秒に『0.』がつく。そこまで精密な数字の上で成り立ち、しかも、闘志、大胆なアイデアを必要とするボクシングが、才能のスポーツと呼ばれるのも真実である。ただ、いかなる才能も適切な方向で磨かれなければ、豊かに実ることはない。

 尚弥のポジション取りの速さ、正確さはずば抜けている。もちろん、強力なパンチを生み出すナチュラルに近いタイミングも。だから、そのすべてが天性のものとは言えない。正しい方向に能力を束ねるために、下支えになる基礎の反復練習があきれかえるほどにあってこそだ。

「ナオ(尚弥)は天才型ではありません。努力型だと思いますね」

 初めてインタビューしたときの真吾の応答が今でも印象に残る。ほかに競う表現がないほどに天才という言葉は強い。だが、ここまで来るまでに、まさしく血のにじむ思いで取り組んできたのだ。天才が最上の賛辞であったとしても、これまでの艱難辛苦を一片の言語に丸め込まれるのはいささか口惜しい。息子の成功はあくまでも底知れぬ努力が積み上がってのものだ、と真吾は言いたかったのだろう。

 尚弥の凄さを物語ったシーンはいくらだってある。スーパーフライ級チャンピオンだった時代、初めて海外で行った試合でアントニオ・ニエベス(プエルトリコ/アメリカ)と対した一戦もそうだ(2017年、アメリカ・カリフォルニア州カーソン)。5ラウンド、ボディを狙う尚弥は、右脇腹のガードを固めるニエベスに対し、一瞬の判断で拳の標的を体の中央部、みぞおちへと切り替える。レバーからの距離は5センチほど。激しく動く“攻撃対象”をこの精度で捉えるのは至難である。だが、尚弥の左フックはするりとレバーをすり抜けて、ストマックをえぐった。ニエベスは倒れてすっかり戦意を失い、このラウンドが終了すると棄権を申し出た。試合後しばらくたって、「狙う場所を変えたのは意識してのことか」と訊くと、尚弥は「もちろんです」とにんまりと笑った。

 バンタム級王座をつかんだジェイミー・マクドネル(イギリス)戦(2018年)。身長176センチと大柄なマクドネルを切り崩すきっかけは、大きく振り回し、こめかみの上部を打ち抜いた左パンチ。フックというよりはスイングパンチに近かった。スイングはワンパンチよりコンビネーションブローが有用になり、そして高速化も著しい現代ボクシングでは忘れられかけているビッグパンチ。尚弥はあえてそのパンチを選択した。そして最大のライバルと言われたエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)から奪った1度目のダウンも、角度の乏しいポジションから打ち込んだ、ストレートの軌道にどこまでも近い左フックによるものだった(2019年)。いずれの決定打も、尚弥が咄嗟の判断で角度や軌道を切り替えたものである。

 さらに戦いのさなかには、対戦相手の心中も読まなければならない。闘志が燃えさかっているか、恐怖に凍えているか、それとも氷の冷徹を保っているのか。そのありようによって打つ手はさまざまに変わる。強打を浴びて慌てふためくマクドネルは、一気の連打で深々と沈めた。厳しいダメージの中で立ち上がったロドリゲスには「頭部へのパンチしか予期していないはず」とボディを狙った左フックで仕留めた。世代最高のタレントとも評価されていたプエルトリカンは、怯えた目をしたままテンカウントを聞いた。

 無数に存在する条件を瞬時に読み取り、最高の一撃に結びつけることは平面的な理論に則ってばかりでは決して成し得ない。インプロビゼーション(即興)を生み出すのは究極の感性あるのみ。尚弥の場合はあらゆる局面に対応できるボクサーの知性を実戦もしくは模擬実戦で徹底して磨き込み、感性にまで落とし込んだ。それができたのは、トレーナーの力があってこそ。そのトレーナーが実の父親なら、なおさら心強かったに違いない。

警戒レベルマックスで戦ったドネアとの対戦

 戦いを形づくる手順、戦前からの戦略や戦術はむろん、試合中に方針を示すのもトレーナーの役目だ。真吾は尚弥に、そしてその弟である拓真にも決しても無謀な冒険をさせない。ときには警戒感ばかりを心理に埋め込むこともある。2022年6月7日、ノニト・ドネア(フィリピン)との再戦のときだった。

「ドネアには強さも経験もあります。前の試合でナオに負けて、新しい対策を立ててくると思いました。まだ読めていない何かがある、と。ナオには警戒しろ、ドネアには狙っているものがあるはずだ、と言いました。繰り返し、繰り返し、言っている自分がしつこいなと思うくらい。これってマインドコントロールですよね」

 2年半前のドネアとの前戦、尚弥に右目眼窩底骨折のアクシデントがあったにしろ、結果的には採点上のクロスファイトになった。その後のドネアの2戦はいずれも豪打健在をアピールする鮮烈なKO勝ちを飾っている。尚弥がどれほどの自信を持っていて、なおかつ強気の権化だったとしても、無茶をさせるわけにはいかない。警鐘を鳴らし続けることが必要だと父は考えた。

 初回終盤、尚弥は見事な右カウンターでドネアからダウンを奪う。だが、コーナーに帰ったとき、「(倒しに)いかない。まだ、いかない」と尚弥は自分に言い聞かせるように言っていたという。真吾は「それで、いいんだ」と考えていた。

 結局、最初のダウンのダメージが深かったドネアは次の策を見せなかったのだが、あの2ラウンド目、尚弥は決して無理をして倒しにはいっていない。どちらかと言えば抑制的な攻撃でもあった。左フックを浴びて足下を泳がせたドネアをワンツーで追撃する。その後はジャブ、ジャブ、ワンツー。すべては初心者が習う基本のパンチ。そして、ワンツーに切り返した左フック。これも中級者の技術。それも極めれば素晴らしい破壊力を作る。見る者の記憶にスローモーションを描いて、実質世界王座5階級制覇の強者ドネアはキャンバスへと沈んでいった。史上有数の美しいKOシーンだった。

井上家に負けは許されない。それがこの父と子の信念(写真:山口裕朗)
井上家に負けは許されない。それがこの父と子の信念(写真:山口裕朗)

大まかな方針を示すだけで父子の戦法は輝き始める

 実地の戦場では細かい指示は不要である。むしろ、足かせになることもある。むろん、セコンドがボクサーの能力を理解し尽くしているのが前提になるが、トレーナーはボクサーに大まかな方針だけを伝えればいい。

 日本人として史上初、4団体統一がかかった2022年12月13日、WBO世界バンタム級チャンピオン、ポール・バトラー(イギリス)戦のときだった。最初からWBOチャンピオンはまったくと言っていいほど出てこなかった。3ラウンド、コーナーに押し込まれ、尚弥が射かけた矢のような右ストレート、あるいは肩を大胆に廻旋させて右フックを連続的に打ち込むと、バトラーはなおさら守備的になった。

 勝利の手法としては、そのまま圧力をかけるだけで良かった。ただし、相手も世界チャンピオンだ。窮鼠の反撃を想定するのが良き作戦参謀である。わずかでも敗北の可能性を消し去るには、なるべく早いうちに倒したほうがいい。そうなると、バトラーに打ち気にさせたい。攻撃には同時に隙もできる。より多くのチャンスは生まれる。

「あのときの指示は少しバトラーを(前に)出させようというものでした。ちょっと誘ってみようか。一発だけは気をつけて」(真吾)

 6ラウンドから7ラウンド、尚弥の仕掛けた挑発的なアプローチは誘いの意図しかない。ノーガードのまま、アゴを前に突き出し、果ては両腕を背中に回して結んだりの“大技”も披露した。バトラー戦に際して準備したものではない。尚弥がここまで学んできた技術の膨大なストックからとりだしてきた。予習、復習なしに、使い方ひとつでは危険性もはらむトリックプレーを完璧に使いこなせる。これも尚弥の力の実相を知っていなければ、決して出せない指示である。

 井上家が作り出した現代ボクシングの奇跡を語りたい。だが、この一文に描いたエピソードだけではまだ本題にも届いていないのだろう。新しい大仕事がこの一家には待ち受けている。国内外から大きな注目を集めるフルトンとの一戦は、井上尚弥のキャリアを占う意味では、もっとも大事な戦いになるのかもしれない。

 対戦するフルトンはよく磨かれた技巧派であり、尚弥とは体格差もあって、注意深く対処しなければならない武器もある。さらにスーパーバンタム級では初となる戦いで、圧勝予想を唱えるには勇気がいる。だが、尚弥はきっと勝つ。単に信じるのではなく、力関係を分析した上でそう思う。

 尚弥は真吾のもとで基礎から入念に足場を固め、そこに厚みを加えて強さをもたらすエキスの嵩を大きく増し、加えて鮮やかな彩色を施してきた。その父子が立てる対策に抜かりはあるまい。まずは5月7日、横浜アリーナの戦果を確認してから続編を書いていくべきなのだろう。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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