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井上尚弥が4団体統一戦で証明したもの。大快挙から見える未来は

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ

 井上尚弥(大橋)はあらゆる戦いの手立てを尽くした。そして、予想以上に時間はかかったものの最終的には最善の形で快挙にたどり着いた。12月13日、東京・有明アリーナでWBOチャンピオン、ポール・バトラー(イギリス)と対した井上は、11ラウンド1分9秒でKO勝ち。すでに手にしているWBA、WBC、IBFに加え、世界タイトル公認主要4団体のチャンピオンベルトすべてを手に入れた。1980年代以降、世界王座が4つに分裂してから9人目、バンタム級という軽量級、さらにはアジア人として史上初めての偉業である。

“予告”して実現してみせたKOシーン

 それは一種の予告KOだった。どこまでも守備的なイギリス人を圧倒しながら、どうしても倒しきれなかった井上は、11ラウンドの開始前、自らのコーナーで両腕を交互に突き上げ、足を踏み鳴らした。「さあ、いくぞ」と言わんばかりのアピールに満員のアリーナに歓声が沸き立った。

 ヒーローは決して期待を裏切らない。井上は、ゴングを待ちわびたように一気に攻勢を強める。鋭い左フック。一瞬動きが止まったバトラーはロープを背になお守りに徹し、井上と正対しないように逃げるしか方策はない。そこに右ボディショットから、鋭く切り返す左フックを頭部に飛ばす。目を泳がせたバトラーがロープ伝いに左方向に数歩だけ移動し、体を丸めたまま両腕で顔を覆い隠す。井上は委細構わず、左右の拳をねじ込んでいく。

 フィニッシュパンチは、そんなコンビネーション攻撃の流れのままにボディに打ち込んだ左フックに見えた。井上はすぐに同じパンチをダブルで顔面にフォローしたが、もはやバトラーの体はそこにない。両手両足からマットに崩れ、苦痛を和らげるかのように、うつ伏せになって体を長く伸ばした。ダメージは深い。執念を見せて半身を持ち上げたものの、わずかに首を振ったのを見たレフェリーは、そこで両手を大きく交差させて試合終了を宣した。バトラーは今度は仰向けに倒れ込んで顔をゆがめたまま、長く立ち上がれなかった。

最後は痛烈KOで勝負を決めた(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ
最後は痛烈KOで勝負を決めた(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ

すべての手立てを断ち切られたバトラー

 顛末は鮮やかな手順で描かれた。ただし、それまでの展開は、いささかのもどかしさもあった。その責を負うのは、もちろん、バトラーである。かけ率には40対1、あるいは60対1という数字もあるなど、チャンピオン同士の対決ながら、絶望的な不利予想の中で日本のリングに立った。だからなのか、34歳のWBOチャンピオンは、戦いのあらかた、その両腕を顔の両側に張りつけたままだった。自慢のフットワークも、井上の猛攻からエスケープするためにだけ使用せざるをえなかった。

 ボクシングというスポーツでは、最高の決着の形は“10秒間の失神(ノックアウト)”になる。そういう結末をどう作り上げるか、あるいは、どう逃げて自身の攻撃につなげるか。あらゆる付加的な要素、判定基準をそぎ落とすと、それこそがボクシングという勝負。究極のシリアスがシナリオ作りの前提となって競い合う。だからこそ、徹して守備的な戦法をとることを安易には否定できない。

 オープニングラウンドにバトラーは左ジャブを伸ばしていく。井上はすかさずクロスカウンターのタイミングで右のパンチをかぶせる。このパンチは当たっていない。だが、バトラーの心理を揺さぶったはず。「ジャブは読まれている」と。さらに戦前は「イノウエの弱点はディフェンス」と語っていたのだが、2ラウンド、ライバル王者の攻め際や、打ち終わりを得意とされる左フックで狙ってみても、フットワークや巧みなボディワークに軽々とかわされた。では、ロープ、コーナーを背にした体勢になって打たせながら、リターンで狙うパンチで脅かそうと試みても、弓を引いて打つような右ストレート、鎌で首を刈るような左フックと井上のパワーパンチに体を揺さぶられるばかり。自らのパンチを打つ体勢さえ作れなかった。

 そこには圧倒的な戦力差しかない。だったら、バトラーの取るべき道はただひとつ。“一か八か”の機会を待ち続けるのみ。もしかすると、井上が考えられないようなミスをするかもしれない。万が一でも勝利を手にするためには、ただ立ち続けて耐えるだけ。

 そう理解できたとしても、バトラーが守り先行で戦いに臨み続けたのは、見る側のストレスを増幅させた。ただし、世界4団体王座統一戦という大舞台で、一方の主役にそんな選択肢しか与えなかった井上の凄さは率直に評価されるべきだ。

さまざま方法で誘いを入れたが、バトラーは乗ってこなかった(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ
さまざま方法で誘いを入れたが、バトラーは乗ってこなかった(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ

井上が駆使したさまざまなレジェンドの手法

 勝てば内容は二の次。“いい試合”をその次に見せれば、ファンは納得してくれる。さらに、うまく事が運べば再戦が組まれ、もう一度、大きな報酬を手に入れるチャンスがあるかもしれない。昔から、多くのトップボクサーがそう考えた。ファイトマネー総計400億円以上とも言われた、フロイド・メイウェザー(アメリカ)対マニー・パッキャオ(フィリピン)もそうだった。世界中の注目を集めた戦いは、両者の攻防がまったくかみ合わなかった。いや、メイウェザーがかみ合わせなかった。厳しいブーイングが降り注ぐ中、悠然と守り主導のマイペースを貫き抜いて勝利にたどり着いた。

 井上はそうではなかった。最後の最後まで“最善の結末”にトライし続けた。それは、自らのプロフェッショナルとしての立場にどこまでも誠実である証しである。中盤戦に見せた“誘い”の試みにも誰もが期待する結末を提供したいという思いがあった。しかし、34歳のイギリス人はこの“誘い”に決して乗ってこなかった。5ラウンドに重心を後ろに残したままのジャブを多用し、バトラーのカウンターアタックを呼び寄せようとしても、何も効果を引き出せない。井上が“スキ”を提供する手法は、いよいよエスカレートしていく。

 両手をだらりと下げる。顔を突き出す。奇矯なステップワークとボディワークでバトラーの体に絡みつくように迫る。8ラウンドには両腕を背後で結ぶ“大技”も披露した。それらの多くは、かつての守りのスペシャリスト、パーネル・ウィテカ(アメリカ=20世紀後半の4階級制覇世界王者)が編み出したテクニック。両腕を後ろ手に組んだのも、名選手ロイ・ジョーンズ・ジュニア(アメリカ)制作の名技だ。ミドル級以上の4階級を制し、ついには世界ヘビー級チャンピオンにもなったジョーンズ・ジュニアは、そんな体勢から右フックを突き刺して鮮やかなKO勝ちを収めたこともある。古い格闘技であるボクシングには「正々堂々と打ち合うべき」という高潔さを求めるファンも少なくないのだが、ウィテカやジョーンズ・ジュニアは技術力の高さをよりアピールするためにそんな“見せ技”を駆使し、喝采を浴びたものである。

 井上の今回の使用目的は違う。「苛立ちはなかったのですが、(バトラーは)何のために闘っているのかと」とそういう気持ちはあったと試合後に話した。誇りがあるのなら打ってこい。堂々とやり合おう。そんなメッセージだった。だが、怯えきったバトラーは、ついに井上の問いかけに応じることはなかった。

 9ラウンド以降、井上は“正攻法”に舞い戻る。ステップをふんだんに使い、多彩なコンビネーションブローでバトラーを追い回していった。一縷の望みにかけながらも、どこまでも慎重に戦い続けるWBOチャンピオンからは心身の疲れが発信されていた。序盤戦から顔面、ボディへと打ち込んだジャブ、そしてガードの上にも意識的に打ち込んだパンチでダメージの蓄積しているのを井上は読み取っていた。11ラウンド、KOを予告するパフォーマンスとともにこのラウンドの戦いへとスタートを切った。

バンタム級最終章でアジア初の偉業を達成した(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ
バンタム級最終章でアジア初の偉業を達成した(C) PXB WORLD SPIRITS / フェニックスバトル・パートナーズ

井上尚弥へのときめきは、いつまでも止まらない

 世界チャンピオンとして迎える3階級目、バンタム級では、4団体完全統一まで4年半かかった。最終章を飾る勝利のあと、喜びのインタビューの中に「遠回りしたかもしれません」というコメントを差し込んだ理由は何だったのか。単に時間的なものなのか。常に「強い相手と戦いたい」とモチベーションの在りかを語る井上が、バンタム級の完結編となるバトラー戦の結果、内容に不足を感じていたからか。「4団体統一はスーパーフライ級チャンピオンだった当時からの目標」だったにしても、もう少し、早めに切り上げてスーパーバンタム級に転向したかったからなのか。いずれにしろ、今回の完璧勝利は豊かな将来だけをもたらす。

 毎試合がそうなのだが、井上の戦いはいつだって新しい“戦力の表情”を見せてくれる。バトラーとの戦いで証明したものも同じ。攻めも守りもすべてが強い。誰よりも桁違いに。豊かな選択肢が常に用意され、しかもハイレベルに均衡がとれていて、何をやっても想像以上。今の井上は、これから誰が挑んだとしても、決して到達できない境地にあると言っても決して過言ではない。

 元世界チャンピオンなど、エキスパートが説明しきれないとする超ハイスペックが、スーパーバンタム級でどんなドラマを生み出すのか。井上にとっての新階級は今、スティーブン・フルトン(アメリカ=WBC・WBO)と、ムロジョン・アフマダリエフ(ウズンベキスタン=WBA・IBF)が世界王座の2団体ずつを分け合う。井上は彼らとすぐにでも互角以上に戦えると確信を持って言える。2階級続けて4団体制覇なら、世界でも史上初になる。ただ、リングの最終目的地はそこなのかと問われたら、井上は違うと言う。

「そこで引退したなら、偉大なチャンピオンと言われるんでしょうね。でも、自分は挑み続けたい」

 終わりなき挑戦。井上尚弥が走り続ける限り、われらのときめきは止まらない。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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