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“アメリカン・ドリーム”になりそこねた 豪腕ボクサー、三浦隆司

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
三浦(右)はベルチェルトのフットワークについていけずに判定負け(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 もし、この戦いに勝っていれば、間違いなくプロボクシングの本場アメリカでスターの仲間入りができるはずだった。そして、日本を代表するスラッガーのひとり、三浦隆司(帝拳ジム所属)は、この大きな野心に挑んだ。だが、望みは絶たれる。7月15日(日本時間16日)、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス近郊イングルッドのフォーラムでWBC(世界ボクシング評議会)世界スーパーフェザー級タイトルマッチ12回戦。ミリオンダラー・ファイターの野心を胸にリングに立った三浦は、これが初防衛戦となるチャンピオン、ミゲール・ベルチェルト(メキシコ)に大差判定で敗れた。

米国ペイテレビの巨人HBOの主役として登場

 このWBC同級タイトルにはかつて三浦自身が2年半もチャンピオンとして君臨し、4度もの防衛を果たしている。ただ、この一戦がタイトル奪還以上の意味を持つことを十分に知り尽くしていたはずだ。王座に返り咲き、なおかつその破壊力を存分にアピールできたなら、プロフェッショナル・ボクサーとしてのひとつの頂点に一気に駆け上がる可能性もあった。理由はこの試合がHBOのボクシング・シリーズ番組『ボクシング・アフター・ダーク』のメインイベントとして生中継されたからだ。

 米国のペイテレビの最大手HBOは1970年代以降、テレビ・ボクシングの巨人に君臨し続ける。モハメド・アリ、マイク・タイソンらヘビー級のレジェンドたち、フィリピンの生んだ7階級制覇の英雄マニー・パッキャオから1試合で350億円を稼いだ男フロイド・メイウェザーまで、リングのスーパースターはみんなHBOから豪華なステージを提供されてきた。同局のボクシング放送のメインプログラムに抜擢されたとしたら、それはそのままスターダムへのエントランスへ招かれたに等しい。

勝てば報酬倍増、億も夢ではなくなる

 この日、挑戦者でありながら、三浦のファイトマネーは通常の10倍以上ともされる2000万円を超えたとも言われる。その上で首尾よくベルチェルトを蹴散らしていたら、次戦での報酬は軽く倍増するはず。それから、五輪2連覇、アマチュア戦績398勝1敗のウルトラテクニシャン、ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ/WBO=世界ボクシング機構=)、メイウェザーがこよなく愛する22歳のKOアーチスト、18全勝17KOのジャーボンタ・デービス(アメリカ/IBF=国際ボクシング連盟)らライバル世界チャンピオンと同格で対戦できたら億を超えるカネが、たった1試合で懐に入ってくる可能性だってある。

 海外のリングで成功するというのは、そういうことなのである。決して拝金主義ではない。お金はそのままプロとしての評価なのだ。世界チャンピオン、それもトップ集団のスターとして認められたら、それだけの対価を受け取る存在として認められるのだ。

ニッポン・ボクシングの先駆になろうとした三浦

 優れたボクサーをたくさん輩出している日本のボクシング界だが、正直なところ世界からみると、そこまでの評価に達したボクサーはいない。つい最近まで日本を積極的に出て戦いたがらない傾向が強かったからだ。三浦は日本ボクサーの評価拡大の先駆になろうと試みた。

 サウスポーながら、激しい打ち合いと豪快なノックアウトパンチを売り物にする三浦がアメリカのリングに登場するのはこれが3度目。いずれもセミファイナルへの出場で星は1勝1敗。それでも評価は高かった。いずれも特Aランクの激戦を演じたからだ。

 保持していたWBCタイトルを失ったフランシスコ・バルガス(メキシコ)戦は、三浦が立ち上がりの大ピンチを克服し、圧倒しながらも劇的な逆転TKO負けで散った。2015年11月、ボクシングの聖地とも言われるラスベガスでのその戦いは同年、各メディアが選ぶ年間最高試合の多くを選ばれた。今年1月、やはりメキシコのベテラン・スラッガー、ミゲール・ローマンを相手にしたWBC世界挑戦者決定戦では、前半戦は相手の果敢なアタックに苦しみながら、はらわたまでえぐり出すような強烈な左ボディブローで倒し、最終12回KOに結びつけた。

立ち上がりのダウンから猛追するが届かず

 だが、そうそう願ったどおりに進まないから、数々のサクセス・ストーリーは語り継がれる。

 この日の戦い、 三浦はのっけから出鼻をくじかれる。オープニングラウンド、その終了寸前にベルチェルトの左フックをこめかみに食ってダウンを喫した。三浦にとっては最悪のスタートとなった。

 三浦はひるむことなく、2ラウンド以降、勇猛果敢な前進を続行するのだが、各ラウンド中盤過ぎまでは攻勢をとりながら、最後には決まってパンチを浴びてしまう。バタバタと足を使って三浦と距離を置くベルチェルトが、リーチの差を活かして遠距離から長い棒で突っつくような右ストレート、出会い頭を引っかけるように打ち込む左フックの標的になってしまう。チャンピオンがリードを奪ったまま前半戦を駆け抜けた。

 中盤以降、ようやくギアが入った三浦はまさかりのような豪打を振るう。その迫力はものすごい。5846人の観客で埋まった会場はざわつき、どよめいた。それでもそのパンチは急所はとらえない。ならばと強烈なボディブローで迫る。ベルチェルトが腹を抱えて逃げ惑うシーンもあったが、これも決定的な場面を作るまでにはならなかった。

大差のついた判定。挑戦は終わったか?

 発表された3人のジャッジの判定は5〜13ポイント差でベルチェルトの勝利としていた。特に前半戦で言えることだが、1ラウンドごとにはかったなら僅少差でも、現代のボクシングは必ず優劣をつける。勝負が判定にもつれ込んだら、ダウンを奪って2点差、3点差のラウンドを作ったら違うケースもあるのだが、多くの場合は勝ったラウンドの数が上回ったほうが勝者となる。今回は仕方ない判定であり、三浦の完敗だったと言うしかない。

 試合後、会見に応じた三浦は「判定はしかたない」と声を落とした。「これまでのようにダウンを奪ったり、見せ場も作れなかった……」。

 スタートの悪さ、強打を振り回す一点張りで、連打につながらない単調の攻め口。そのボクシングにはまどろっこしさもあった。年齢的なこともある。三浦はもう33歳である。

 ただし、豪放なファイターとして余韻だけは、アメリカのリングに残した。三浦が望むならチャンスはまだあるかもしれない。もっともそれには、厳しい対戦相手とのテストマッチも同時に課せられる。楽な道のりではない。

 三浦はこの後、ツイッター上で引退を表明した。ボクシングのミリオンダラーの夢は新しい人材に託すしかない。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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