国鉄最初の特急貨物列車「たから」  その車掌車はどのようにして復元されたのか

「乗りもののまち」石川県小松市で復元された車掌車「ヨ5000形5003号」

小松空港や航空自衛隊小松基地、日本自動車博物館などがあり、「乗りもののまち」として知られる石川県小松市で、ボンネット型特急電車、489系の先頭車「クハ489-501」に続きまた1両、北陸にゆかりのある名車が修復されました。高度経済成長期の日本の物流を支えた旧国鉄のコンテナ専用特急貨物列車「たから」の車掌車です。修復はどのようにして行われたのでしょうか。

 2021年4月、修復作業が行われていた小松市内の資材置き場を訪ねました。地面に敷いたレール上に、淡緑色に塗られた車掌車が置かれていました。車体には「ヨ5003」の文字。正面には黄色をベースに黒い文字で「たから」と書かれたテールマークが取り付けられています。

「やっと終わって、ほっとしています」

 修復に携わった「ボンネット型特急電車保存会」(小松市)の事務局長、岩谷淳平さん(45)が話しました。保存会によると、車掌車のサイズは全長7.83メートル、幅2.64メートル、高さ3.75メートル。重さは約10トンです。

「ヨ5000形5003号」と「ボンネット型特急電車保存会」事務局長、岩谷淳平さん
「ヨ5000形5003号」と「ボンネット型特急電車保存会」事務局長、岩谷淳平さん

 この車掌車は、1952(昭和27)年に旧国鉄金沢鉄道管理局松任工場で製造された「ヨ3500形4030」。東京・汐留ー大阪・梅田間を最高速度時速85キロで走る「たから」の高速運転に対応するため、1959(昭和34)年に埼玉県の大宮工場で「ヨ5000形5003号」(以下、ヨ5003)に改造されました。

 同時期に大宮工場で改造されたヨ5000形の車両は12両。車体を淡緑色のコンテナ色に塗られて「たから」に連結されました。このうち現在、「ヨ5000形5008号」が京都鉄道博物館(京都市)で復元・展示されています。ヨ5000形や、ヨ5003を修復することになった経緯については、以前書きました(国鉄最初の特急貨物列車「たから」 車掌車を復元する動きが起こっている)。

費やしたグラインダーの刃は20枚以上車両の製造にはない「はがす」作業

 ヨ5003の本格的な修復が始まったのは2020年3月ごろ。もともと内部にあったストーブや椅子などを取り外した後、内装も含めた塗装をはがし、さびを落としていきました。この「はがす、落とす」という作業が、修復で苦労した点です。何度も塗り替えられた車体の塗装を、グラインダーを使って少しずつはがしていきました。

塗装がはがされた天井。鉄製のフレームに板材がはめ込まれている。くぎやボルトを使わない組子の構造だ(岩谷さん提供)
塗装がはがされた天井。鉄製のフレームに板材がはめ込まれている。くぎやボルトを使わない組子の構造だ(岩谷さん提供)

「車両の製造には『はがす』という工程はまったくありません。ひたすら無心になってはがしました」と岩谷さん。費やしたグラインダーの刃は20枚以上。五層になっていた車体の塗装をはがしていくと、「たから」への連結時のものと思われる淡緑色の塗装も出てきました。固着していたマイナスねじは、1本1本ニッパーでつかんで取り外しました。

塗装をはがしていくと、かつての色が出てきた(岩谷さん提供)
塗装をはがしていくと、かつての色が出てきた(岩谷さん提供)

 はがした後は、インターネットを利用して入手した図面をもとに、なるべくオリジナルの部材を生かして修復していきました。天井の木材は、もともとのものを使い、ぼろぼろになっていた部分は、寸法を合わせて切った木材をはめました。

長く後世に残せるように修復

 窓の鎧戸はあまり腐食していなかったため、そのまま利用することに。木製の窓枠はぼろぼろだったため、別の車掌車からアルミフレームの窓枠を持ってきて取り付けました。群馬県高山村を訪れた際に見つけた車両です。所有者を探し出してお願いしたところ、快くゆずってくれました。偶然の出会いが、修復作業を後押ししました。

ヨ5003の修復のため、群馬県高山村から移送された車掌車(右、岩谷さん提供)
ヨ5003の修復のため、群馬県高山村から移送された車掌車(右、岩谷さん提供)

 雨や雪で腐食しやすい窓枠をアルミフレームにしたのは、長く後世に残すためです。マイナスねじの場所は、全てプラスねじに置き換えました。屋根には断熱のためにアルミシートを入れ、多くの人に安全に見てもらえるように床にゴムを敷きました。岩谷さんは「10年後、20年後に修復しようと思った時に、(今回よりも)シンプルな工程でできるようにしました」と話します。

図面を参考に、なるべく元の形に近く、また長く後世に残せるように修復作業を進めていく。電灯はLEDにした
図面を参考に、なるべく元の形に近く、また長く後世に残せるように修復作業を進めていく。電灯はLEDにした

 車体の塗料は、自動車関係のメーカーに依頼して、往時の淡緑色を再現してもらいました。もともとはフタル酸樹脂で塗られていましたが、長持ちするように、腐食に強く、重ね塗りできれいに仕上がるウレタン塗料を採用しました。

 岩谷さんは、仕事の合間を縫って、毎日、少しずつ作業を進めていきました。気が遠くなるような作業の連続ですが、「限られた時間の中で進められる工程を楽しみにしながらやっていました」。何が岩谷さんをそこまで突き動かしたのでしょうか。「昭和27年に松任工場で造られた車掌車で、現存している車両はないだろうなと思ったんです。京都鉄道博物館にある車両は川崎車輌製で、北陸には縁もゆかりもありません。国鉄時代の木製の車両にも興味がありました」

「この車両は、この色で残すことに価値がある」

 岩谷さんは続けます。「この車両は、改造前の黒色でもなく、その後の黄緑色でもなく、(「たから」に連結時の)この色で残すことに価値があると思うんです。この色で国鉄のコンテナ輸送が確立されて、今に至っているという源流じゃないですか。安全性を考えて修復した部分もありますが、基本の設計は図面通り。子どもから年配の方々まで、多くの人に国鉄時代にこんな色の車両が走っていたんだということを知ってほしい」

「梅田駅常備」と書かれた車体側面。反対側の側面には「汐留駅常備」と書かれている。「『たから』時代にどちらにも所属歴があるので変化を出した」(岩谷さん)という(岩谷さん提供)
「梅田駅常備」と書かれた車体側面。反対側の側面には「汐留駅常備」と書かれている。「『たから』時代にどちらにも所属歴があるので変化を出した」(岩谷さん)という(岩谷さん提供)

 修復にかかった費用は、有志からの寄付と自費でまかないました。修復されたヨ5003は今後、新型コロナウイルス感染症の状況を見ながら、見学会を開く予定です。岩谷さんは「『たから』という名前もいいですし、車体の色も明るい。企業広告などにも利用してもらえれば」と話します。

テールランプが点灯したヨ5003(岩谷さん提供)
テールランプが点灯したヨ5003(岩谷さん提供)

 小松市には、旅客輸送の発展に貢献した「クハ489-501」もあります。今回、ヨ5003が修復され、旅客と貨物、両方の近代化を後押しした北陸ゆかりの車両がそろいました。

 これらの車両の意義を、どのようにして伝えていくのかは大きな課題です。岩谷さんは「鉄道遺産も文化財として認めていただければ、文化の継承につながります。そのための費用対効果も考えていかなければいけません」と話します。

 明るいコンテナ色のヨ5003からは、近代化に向かっていった日本の勢いが感じられます。この車両にどのような価値を見出すのかは人それぞれでしょう。ですが、まずは車両を目で見て、手で触れて、リアルな歴史を感じてもらいたいです。

ヨ5003のバックを小松空港を発着する飛行機が横切っていく。「乗りもののまち」ならではの光景だ(岩谷さん提供)
ヨ5003のバックを小松空港を発着する飛行機が横切っていく。「乗りもののまち」ならではの光景だ(岩谷さん提供)

写真は筆者撮影、岩谷淳平さん提供

※「ボンネット型特急電車保存会」のFacebook「クハ489-501 ボンネット型特急電車」