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旅の彩り、あこがれの食堂車を「乗りもののまち」石川県小松市に! 震災をきっかけに盛岡からの移設を提案

南文枝ぐるぐるフリーライター/防災士/元毎日新聞記者
盛岡市に置かれている食堂車「サシ481-48」(岩谷淳平さん提供)

 かつては全国の路線を走り、鉄道での旅に彩りを添えた特急列車の食堂車を、盛岡市から、「乗りもののまち」として知られる石川県小松市に移設しようという取り組みが進められています。小松と盛岡、直線距離にして500キロ以上を運ぶプロジェクトが動き出したきっかけは、2024年元日に発生した能登半島地震でした。

 食堂車は1972年に製造された旧国鉄の「サシ481-48」。プロジェクトを担う鉄道愛好者らでつくる「NPO法人北国(きたぐに)鉄道管理局」(小松市)によると、国鉄時代に北陸線を含む大阪ー青森間を走った特急「白鳥」などに使われました。北陸線の「雷鳥」や東北線の「はつかり」「ひばり」などの485系電車に使われた食堂車としては、客車に改造されたものを除き、現存する唯一の車両だといいます。

 1987年に廃車となり、国鉄清算事業団を介して盛岡市の男性が取得しました。一時は喫茶店として使われていたこともあったそうです。

盛岡市で喫茶店としても使われた「サシ481-48」。手前は所有者の男性(岩谷さん提供)
盛岡市で喫茶店としても使われた「サシ481-48」。手前は所有者の男性(岩谷さん提供)

 北国鉄道管理局の代表理事で小松市在住の岩谷淳平さん(48)は、小松駅近くの「土居原ボンネット広場」にある旧国鉄のボンネット型特急電車の先頭車両「クハ489-501」の保存・活用にも取り組んでいます。約5年前、広場を訪れた人から、盛岡市にある食堂車のことを聞きました。かつて茨城県鹿嶋市で同じ形式の車両を活用した食堂を訪れたことがあったことから興味がわきましたが、そのままになっていました。

北陸新幹線開業で抱いた危機感

 しかし、2024年3月の北陸新幹線金沢ー敦賀間の開業が近づくにつれて、JR北陸線の在来線特急電車がなくなることに危機感を抱くようになりました。2023年9月から新幹線の試験走行が始まり、ますますその思いは強くなります。先頭車両の屋根に上って補修作業をしていた岩谷さんから北陸線(当時)の線路越しに見えたのは、新幹線のパンタグラフだけでした。新幹線の車窓からは、貴重なボンネット型特急電車が見えないのです。

「土居原ボンネット広場」にある旧国鉄のボンネット型特急電車の先頭車両「クハ489-501」と岩谷さん
「土居原ボンネット広場」にある旧国鉄のボンネット型特急電車の先頭車両「クハ489-501」と岩谷さん

「一度話を聞いてみよう」。そう思った岩谷さんは同年12月28日、食堂車を所有する男性の元を訪ねました。男性は「小松にボンネット型特急電車があるのなら前向きに検討したい」と言ってくれましたが、車両の移設には費用も労力もかかります。岩谷さんはいったん持ち帰り、地元の人たちの意見を聞くことにしました。

 そして2024年元日、能登半島地震が発生しました。小松市も震度5を記録。ボンネット型特急電車は無事でしたが、その日の夜、東日本大震災を経験した男性から電話がありました。「無事で何よりだった。もし食堂車が(地域の復興に)活用できるのなら、生かしてもらえないか」。岩谷さんは腹をくくり、有志で北国鉄道管理局内に「サシ481-48を守る会」を結成。食堂車の小松市への移設に向けて動き出したのです。

能登半島地震の影響で、「クハ489-501」と車内に入るタラップにずれが生じた(岩谷さん提供)
能登半島地震の影響で、「クハ489-501」と車内に入るタラップにずれが生じた(岩谷さん提供)

クラウドファンディングで移設費用を募る

 しかし、盛岡から小松まで車両を移送するだけでも、莫大なお金がかかります。このため管理局は、クラウドファンディングサイト「READYFOR(レディーフォー)」で資金を集めることに。第1弾として、2024年5月7日までに車両の輸送や小松市内の仮置き場の整地費用など1500万円を目標に支援を呼びかけています。プロジェクトが順調に進めば、同年6月以降の移送を見込んでいます。

 補修は、これまでボンネット型特急電車や旧国鉄のコンテナ専用特急貨物列車「たから」の修復で経験を積んだ岩谷さんらが手がけます。輸送は北陸ゆかりの事業者に依頼し、補修資材は小松市で調達することで、地域経済の活性化にもつなげていきます。

「サシ481-48」の車内(岩谷さん提供)
「サシ481-48」の車内(岩谷さん提供)

 食堂車の活用方法については、地元の人たちや観光事業者の声を聞きながら検討していきます。4月20日には、小松市の日本自動車博物館で産業観光フォーラムを開催。地域遺産プロデューサーの米山淳一氏らを招き、鉄道遺産をはじめとする地域資源の活用について考えます。

思い出が詰まった食堂車を、人が集まる場所に

「高度経済成長期の日本の旅の象徴であった食堂車は、人々のいろいろな思い出が交差し、面として広がっていくものでもあります。ボンネット型特急電車との連結も視野に入れ、子どもを含めたさまざまな人たちが積極的に運用に関わり、交流できる場所をつくりたい」(岩谷さん)

 海外旅行がまだ一般的ではなく、家族でデパートに行くのが特別だった昭和時代、特急電車に連結された食堂車は旅のあこがれでした。大学時代にアルバイトでお金をためて食堂車を利用したという60代の男性は「高校時代、駅のホームに停車していた食堂車からいい匂いがして、いつか乗りたいと思っていた。現代とは違い、鉄道が日常の輸送を担いながら、非日常も味わわせてくれるという独自の旅のスタイル、文化があった」と懐かしみます。

 さまざまな人々の思い出が詰まった食堂車が、ゆかりの地、北陸で再び人が集まる場所になる。夢のあるプロジェクトを、ぜひ前に進めていってほしいです。

※写真は岩谷淳平さん提供(一部筆者撮影)

※「サシ481-48を守る会」のX(旧Twitter)アカウント

ぐるぐるフリーライター/防災士/元毎日新聞記者

1979年、石川県生まれ。同志社大学経済学部卒業後、北國新聞記者や毎日新聞記者、IT企業広報を経て、2013年からフリーライターとして書籍や雑誌、インターネットメディアなどで執筆。現在は兵庫県小野市在住。これまで当ページやニュースサイト「AERAdot.(アエラドット)」などで大阪、神戸、四国の行政や企業、地元の話題など「地方発」の記事を執筆。最近は医療関係者向けウェブメディア「m3.com(エムスリーコム)」で地域医療の話題にも取り組む。地方で面白いことをしている人に興味があります。

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