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「完全燃焼」とは何か~”炎のタックルマン"石塚武生さんの青春ノート②

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
遺されたラグビーノートにあった石塚武生さんの言葉(石塚家からの提供)

 東京五輪にしろ、東京パラリンピックにしろ、アスリートの奮闘には、心を揺さぶられる。たぶん、それまでの努力の積み重ね、苛烈な道のりが垣間見えるからだろう。57年の人生を駆け抜けた“炎のタックルマン”、ラグビーの石塚武生さんの13回忌に際し、遺されたラグビーノートを見る機会があった。クリヤーホルダーブックの古い紙には黒マジックでこう書かれていた。覇気が満ちる。

 『我 青春 完全燃焼』

 石塚さんは高校3年からラグビーを始め、1971(昭和46)年、早稲田大学教育学部に進学してラグビー部に入った。常に大学日本一を目指すクラブの練習は厳しかった。加えて、当時、1年生には部室掃除、ボール磨き、グラウンド整備などの雑用の担当があった。もちろん、大学の授業もある。

 とくに1年生は心身ともに極限状態に置かれることになる。実は1年の春シーズンの終盤、石塚さんたち1年生は“脱走”した。<集団の心理とは怖いものです>と記している。なお、今の東京・上井草の芝生のグラウンドとは違い、当時の東伏見の早大グラウンドは土だった。

 <シーズンオフのまぢかだったと思う。ちょうど慶応との春の練習試合が東伏見で行われ、当日の日曜日は激しい雨、グラウンドコンディションは最悪であった。月曜日は練習休み。火曜日、朝食後、グラウンド整備のため、グラウンドに出かけてみると、グラウンド一面、手がつけられないほどの荒れようだった。1年生は大学に行っている者もいて、そこにいたのは7~8名であった>

 この人数で、練習開始の午後2時までに、グラウンドをきちんと整備しなければいけない。部室掃除などもある。

 <我々は深いため息をもらし、もしグラウンドの整備が練習に間に合わなければ、特訓(居残り練習)があるだろうという重苦しい気持ちになっていた>

 午前8時頃から、1年生はトンボ(グラウンド整備器具)を持って作業を始めた。が、なかなか、整備が進まない。

 <途中、近くのパン屋でパンと牛乳を買ってきて、食べながら、みんなで、“どうしよう、どうしよう”とこぼしながら、冗談で“逃げようか"なんて言っていた。ひとやすみして、再び作業を始めたが、昼近くになっても、一向にグラウンドはきれいにならなかった>

 まだ部室の掃除も終わっていない。ボールも磨かれていない。とうとう、1年生同士が集まって、「逃げようか」ということで話がまとまった。冗談が現実となる。その時の集団心理は普通ではない。

 <とにかく金はないし、着ているものは練習用の運動着である。ある者はわざわざラグビー寮まで金をとりにいき、ある者は着替えをとりにいった>

 かくして、練習からの逃亡は決行された。かつて向ヶ丘遊園には遊園地があった。色あせた黒いペン文字には切なさが漂う。

 <みんなで、バスで吉祥寺へ出る。吉祥寺駅から小田急線に乗り換え、向ヶ丘遊園駅へ向かう。途中、スーパーマーケットでコロッケ、さつま揚げを買い込み、みんなで食べる。向ヶ丘遊園で、みんなで、どうやってこの状況を打開するかを話し合う。分からない。夜、渋谷に移動する。街頭で配っていたコーヒーの割引券をもらい、その喫茶店で、またも、どうするのかを話し合った>

 結局、石塚さんが逃げた1年生代表として、赤色の公衆電話からラグビー寮に電話をかけ、益田(清)キャプテンに謝り、理由を説明した。無事、翌日から、練習復帰が許された。

 <その時以来、自分が上級生になったら、グラウンド整備などにも気を配るべきだという気持ちになった。練習以外でも精神的に厳しい生活をしている1年生に少しだけでも、余裕を与えなければ、ほんとうにラグビーがいやになってしまうのではないだろうか>

 あの石塚さんですら、弱気になることがあったのだ。いかに自分を奮い立たせるか。だから、『完全燃焼』なのである。

 別の日のラグビー日記に『力を出し切る』というタイトルのページがあった。

 <相当にしっかりしたチーム計画と個人の自覚がなければ、流された練習をすることになりかねない。

 個人の自覚というより、これは自分の持って生まれたものであるらしい。1日1日の練習の中でいかに自分の持てる力を出し、燃焼仕切ることを、からだと精神が覚えてしまっていたのである。

 というと聞こえはいいが、単に負けず嫌いなのである。だから、苦しくても、人に負けたくないからがんばった。ただ、それだけのことである。

 人間とは弱い者である。毎日毎日の練習の中で、時には、からだの調子の悪い時や、やる気の出ない時もある。そんな時もなぜ、がんばって練習しなければいけないのか…。それは、コワさがあるからである>

 自分の弱さがコワいから練習する。その積み重ねがいずれ自信となる。身長170センチの石塚武生さんのタックルが、多くのラグビーファンの心をつかんだのは、常に完全燃焼を心掛ける「ひたむきさ」があったからだろう。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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