もっと競技や選手へのリスペクトを〜東京五輪報道
もはやオリンピックとテレビは切っても切れない関係になっている。とくに東京五輪はほとんどが無観客とあって、よりテレビの存在価値は上がっているだろう。だから、テレビが何をどう伝えるか、その使命は重い。
1日のNHKの男子ゴルフ競技の中継でこんなことがあった。マスターズを優勝した松山英樹にどうしても注目が集まる。最終ラウンドを終え、松山ら7人が銅メダルをかけたプレーオフとなった。松山がパーパットを外し、銅メダル争いから脱落した直後、ゴルフのライブ中継は終わり、映像がスタジオに切り替わってしまった。
確かにライブ中継絡みの番組編成は難しい。競技時間が延びた時はどこまでやるか。他競技との兼ね合いもあろう。だが、ここで切り替えるとは。五輪放送の視聴者は、全部が全部、松山だけを見たいわけではなかろう。珍しい7人ものプレーオフである。ゴルフのだいご味を見たい、海外選手を見たい、そんな視聴者もいたはずだ。
加えて、中継が切り替わった直後、アナウンサーが、ローリー・マキロイ(アイルランド)がバーディーパットを沈めて銅メダルを決めたという誤情報を伝えてしまった。実際はパーパットでプレーオフ続行だった。まあ、これは仕方ない。誰にでも間違いはある。ただ、これが中継の続きを見たかった視聴者の怒りを大きくした。
案の定、ネット上では「最後まで放送して」「日本人選手だけを見たいわけではない」「切り替えのタイミングが悪すぎる」「なんで関係ない競技のコメンテーターのくだらないコメントが、今やっているプレーより優先されるのかはナゾでしかない」「誤報もダメ、放送ブチ切りもダメ」「ちゃんと公共放送してください」「受信料返せ」「競技に敬意を」
こういった場合、大事なのは、顧客の利益である。視聴者視線の判断だった。要は、放送のディレクターが視聴者のことを考えているかどうかだろう。はっきり言って、これは判断ミスだった。
ついでにいえば、2日朝のNHKの午前7時のニュース。前日の東京五輪の放送内容はすべて、日本人選手に関するものだった。個人的には、オリンピックの華、陸上男子100メートルの決勝の模様を見たかった。
東京五輪の取材現場を回って感じるのは、テレビメディアの優遇ぶりである。競技直後のミックスゾーン(取材エリア)では、まずテレビ各局が個別にインタビューを実施する。柔道ではほとんどが表彰式を挟み、新聞、通信社、雑誌などのプリントメディアの取材となった。
表彰式があるので、両者のタイムラグは1時間ほどにもなる。しかも、テレビエリアは各局個別、プリントメディアはまとめて一度である。結果、テレビエリアでは選手は同じような質問に対し、何度も同じようなことを答えなければいけない。これは選手とてつらかろう。
選手のことを考えると、テレビエリアも一緒にやればいいのに、と考えるのだが。ミックスゾーンのあと、メダリストはさらに記者会見にも出席することになる。
もちろん、テレビメディア優遇には理由がある。莫大な放送権料を国際オリンピック委員会(IOC)に払っているからだ。日本のテレビ局は、NHKと民放各局が共同取材組織『ジャパン・コンソーシアム』をつくり、オリンピックの放送権を獲得している。
2018年の平昌冬季五輪と、今回の東京五輪を合わせて、ジャパン・コンソーシアムの払った放送権力は、660億円と言われている。新聞、雑誌などのメディアはもちろん、取材権料など1円も払ってはいない。
ただ、1988年ソウル五輪以降、すべての夏季五輪を現場取材してきたが、大会ごとにテレビとプリントメディアの扱いの格差は大きくなっているように感じるのだった。
何はともあれ、テレビメディアであろうが、プリントメディアであろうが、オリンピックを報道するという立場は同じである。大事なのはニュースの価値観と競技や選手へのリスペクト、インテグリティ(市民社会への誠実性)、批判的視座である。東京五輪はまた、メディアの在り方も問われている。