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ラグビーW杯がある日本の風景ーラガー外交官・奥克彦さんの夢実現

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
イングランド代表×日本代表のプログラムでの奥克彦さん特集ページ(撮影:筆者)

 奇跡なのだ。ラグビーの世界一決定戦、ワールドカップ(W杯)が日本で開かれているのは。日本代表やニュージーランド代表、アイルランド代表などの熱戦を取材しながら、つくづくそう思う。

 だって、1987年にNZ・オーストラリア開催で始まったラグビーW杯はずっと、ラグビー伝統国ばかりで開かれていた。その第一回大会からすべてのW杯を取材しているノンフィクション作家として、本当に日本で開かれるなんて、これっぽっちも考えていなかった。でも、早稲田ラグビー部の先輩にあたる奥克彦さんは違った。ラグビー部は2年の夏合宿で辞めたけれど、ラグビーへの情熱は変わらなかった。

 奥克彦さんは猛勉強し、在学中に超難関の外務省公務員上級試験に合格した。1981年、外務省に入省後、英国オックスフォード大学に留学。ラグビー部に入り、日本人として初めて一軍選手として公式戦に出場した。

 「ラグビーワールドカップを日本でやろう」と、奥克彦さんは周囲に漏らしていた。草の根レベルながら、オ大ラグビー部で培った人脈を使って、日本大会招致を働きかけていた。2000年4月、外務省の国連政策課長になった時、ちょうど内閣総理大臣に就いていたのが、森喜朗さんだった。奥克彦さんにとって、早稲田ラグビー部の先輩にあたる。

 奥克彦さんは、首相官邸の森さんのところにいっては、「ラグビーワールドカップの日本招致」を訴えていた。

 奥克彦さんは2003年11月29日、イラクで凶弾にたおれた。まだ45歳だった。奥克彦さんの遺志を引き継ぎ、森さんがラグビーW杯招致の先頭に立つことになった。その6年後の2009年7月28日、日本での2019年ラグビーW杯の開催が決まった。日本ラグビー界は朗報に沸いた。

 いろんな方の夢が実現した。ことし9月20日、ラグビーW杯日本大会が開幕した。兵庫県立伊丹高校ラグビー部で奥克彦さんの1学年上となる阪本真一さんはその日、日本代表×ロシア代表をテレビ観戦した後、ひとりで夜遅くまで酒を飲んだ。

 63歳の阪本さんは「なんだか、アツい気持ちになって、飲みにいかざるを得なくなったのです」と吐露した。

 「(奥克彦さんの夢が)こういうカタチでホンモノになったんだなって。こんな雰囲気が日本中で感じてもらえたら、やっぱり素晴らしいなって。そんなうれしさと、(奥克彦さんと)一緒に飲めない悲しさ、話ができないつらさがごちゃまぜになったのです」

 じつは阪本さんはまだ、親友の死を完全に受け入れることができないそうだ。「心のどこかに死を拒否している自分がいて…。すごくつらいのです。時々、なんともいえない気分になるのです」

 阪本さんは、奥克彦さんと欧州六カ国対抗ラグビーの試合を英国のスタジアムで一緒に観戦したことがある。一緒にイングランド・ラグビー協会を訪ねたこともある。幹部の話を聞けば、イングランド協会は「代表チームを世界ナンバーワンにすることと、ラグビーのすそ野を広げることを両輪としてうまくやらないといけない」と強調していた。

 阪本さんは9月22日のアイルランド×スコットランド戦を横浜国際総合競技場で観戦した。熱戦を堪能すると同時に、「この盛り上がりを、日本ラグビーのすそ野を広げるためにどうつなげるのかが大事だな」と考えた。

 「ワールドカップのレガシー(遺産)はそうでしょう。イングランド協会のように、これを契機とし、そうなってほしいと思うのです。現実には、高校のラグビー部員の数って厳しいものがあるでしょ。それがつらいのです」

 奥克彦さんに関しては、ラグビーW杯開幕直前の18日、母校早稲田大学のラグビー部の上井草グラウンド(東京都杉並区)で、「奥記念杯」として早大×オックスフォード大の試合がおこなわれた。

 日本とイギリスのラグビー交流に尽力した奥克彦さんを偲び、「奥記念杯」と称した追悼試合が毎年、英国で開かれてきた。奥克彦さんは生前、外交官として、弱者に目に向け、からだを張って、世界中を走り回っていた。仲間を大事にし、他者をリスペクトする、そんなラグビー精神を持ち続けていた。

 情熱の人、信念の人、行動の人だった。そういえば、昨年11月のイングランド代表×日本代表(英国トゥイッケナム)の公式プログラムには奥克彦さんの特集記事が掲載されていた。見出しが『MAKING A DIFFERENCE』(変化をもたらす)。本文には「外交官のカツ(奥克彦さん)は袖をまくり上げて行動し、助けを求めている人や困った人のところに行って、変化をもたらそうとしていた」と書かれていた。

 ラグビーW杯で沸く日本の風景を見ながら、歴史を振り返る。なぜ日本にアジア初のラグビーW杯がきたのか。ビールを飲みながら、いろんな人の想いや情熱、行動に思いをはせる。例えば、ラグビーW杯を夢見た奥克彦さんに。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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