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震災から2年。釜石にW杯を。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

東日本大震災から2年が経つ。朝起きる。おそるおそる携帯電話をかけた。「もしもし」。岩手県釜石市に住むラグビー釜石シーウェイブス(SW)の事務局次長、浜登寿雄さんの優しい声が聞こえてきた。

44歳の浜登さんは震災で、両親と妻と三女を、山田町のマイホームもろとも津波に奪われた。悲嘆が薄れるはずがない。朝、起きて、仏壇に手を合わせた。

「みんな、あれから2年って言いますけれど、2年前のこの時点(朝)では生きていたんですよね。どうしても死んだことより、生きていたら…と考えて」

だが震災で長女と次女は無事だった。だから、浜登さんは生きる。4人の思い出とラグビーとともに。次女はこの春、高校に進学する。高校2年生の長女はオーストラリアに留学する計画である。時間は一時止まり、今、ゆっくりと動き始めている。

「それぞれが新しい環境、生活に移っていく。正直、自分の中に焦りがあった。いつまで元気でいられるのかって。早く、子どもたちに自立できる力をつけてもらいたい」

それにしても、である。被災地の復興は遅々として進まない。省庁縦割りの弊害か、政治、行政の怠慢か。昨日、山田町は吹雪いた。津波で流された自宅跡は更地のままだ。さぞ被災地の人々は憤っていることだろう。

「2年も経って、この状況ですから」と、浜登さんは寂しそうにつぶやいた。「とにかく復興のスピードが遅いのです。住める土地がないんです。おカネがないのか、やる気がないのか。この町は“どーなっていくのか”。じゃっかん、焦りと苛立ちがあります」

僕らも一緒に考えないといけない。被災地のため、何ができるのか。他人事として、震災を風化させてはならない。

そして、震災に備える。日本は地震列島である。いつ、どこで、また大地震が起きても不思議ではなかろう。浜登さんは言葉を続けた。「どこで(地震は)起こるか分からない。忘れないでください。被災地だけの事だと思わず、自分のこととして考えてください」。一瞬の沈黙。「たくさんですよ。もういいです。つらいことは…」

『あきらめない』『前へ』『きづな』。震災後、よく使われた言葉である。震災を機とし、スポーツ界の連帯も強まったと思う。どんなことがあっても、前へ進んでいく。スポーツ界もサポートする。

浜登さんの夢のひとつは、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)を釜石で開催することである。

「50年後の人たちが、釜石には震災があったけれど、その後、ワールドカップを呼んできたのだ、と誇りに思ってくれれば…」

つまりはラグビーW杯が、希望と復興、たくましく生きる象徴となるのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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