Yahoo!ニュース

永瀬拓矢王座、カド番をしのぐか? 藤井聡太挑戦者、史上初の八冠達成か? 10月11日、王座戦第4局

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 永瀬拓矢王座(31歳)がカド番をしのぎ、王座5連覇、および史上3人目となる名誉王座の資格達成に望みをつなぐのか。

 それとも藤井聡太挑戦者(21歳)が初めて王座を獲得し、将棋史上初の全八冠制覇を達成するのか。

 第71期王座戦五番勝負第4局は10月11日、京都府京都市・ウェスティン都ホテル京都でおこなわれる。

 将棋界のみならず、広く社会的な注目を集める世紀の大一番を前に、改めて藤井が八冠にあと一歩と迫るまでの過程を振り返ってみよう。

将棋界の覇者の系譜

 近代の将棋界は1935年(昭和10年)、実力制名人戦の創設によって、その礎が築かれ始めた。

 実力によって最高の地位に就いた棋士に対して、実力によって予選を勝ち抜いた棋士が挑戦者となり、番勝負を戦う。実力のみで時代の最強者を決めようという、シンプルにして合理的な理念が将棋界のバックボーンであり、だからこそ十代、二十代の若者でも実力さえあれば頂点に立てるわけだ。

 戦後に入ると名人位の他にも、番勝負でその地位を争う棋戦が生まれる。それらはやがて「タイトル戦」と総称されるようになった。将棋界で「○冠王」(時代が下ると「○冠」)とは、同時に複数のタイトルを保持している者の呼び方だ。

 タイトル棋戦が3つだった1957年。それらを初めてすべて独占し「三冠王」と呼ばれたのは、大天才・升田幸三(1918-1991)だった。

 その後は昭和の大巨人・大山康晴(1923-92)が絶対王者として君臨する時代が長く続く。タイトル戦が4つ、5つと増えると、大山はそれらをすべて保持する「四冠王」「五冠王」として棋界に君臨した。

 大山の次に天下人となったのは棋界の太陽・中原誠(1947-)だった。中原の全盛期には、タイトル戦は6つにまで増える。中原は最盛時、その5つを保持。あともう少しで「六冠王」というところまで迫った。

 平成に入ると、新時代のスーパーヒーロー・羽生善治(1970-)がすさまじい勢いで将棋界を席巻していく。タイトル戦が7つ存在する時代に、羽生は次々とタイトルを獲得。1996年、当時25歳だった羽生は史上初めて七冠を独占。「七冠王」、あるいは「七冠」と呼ばれるに至った。

 当然ながらタイトル数が増えれば増えるだけ、その独占は困難となる。羽生による七冠達成の偉業は、空前にして絶後ではないかとも思われた。

 しかしそうした将棋界の常識を根底から覆すような神童が現れた。それが藤井聡太(2002-)だ。

 藤井は2016年、史上最年少の14歳2か月で棋士となる。以後の勝ちっぷりは、すさまじいものだった。藤井はデビューから無敗のままいきなり、将棋界新記録の29連勝を達成。将棋界の主要なあらゆる記録を更新する勢いで、破竹の快進撃を始めた。

 タイトル戦は現在8つ存在する。藤井は19年、史上最年少の17歳で初タイトルの棋聖を獲得。以後、現在までに王位、叡王、竜王、王将、棋王、名人の「七冠」を達成した。羽生に続く、史上2人目の大偉業だ。

 同じ七冠でも、羽生は7分の7、藤井は8分の7ほどのタイトルを制したことになる。そしていよいよ、藤井による史上初の八冠制覇が、次第に現実味を帯びてきていた。

夢の八冠ロード

 無敵とも思われる藤井がこれまで、わずかに取り逃がした栄冠があった。それが王座のタイトルだ。藤井は2022年度までに王座戦に5期参加して、いずれも挑戦権獲得までには届かなかった。

 藤井はデビュー以来、複数局で争う番勝負では、一度も敗退したことがない。一方で、一度敗れたら終わりのノックアウト・トーナメントでは、途中で苦杯を喫することは何度もあった。1敗でもすれば、そこで挑戦の可能性はなくなる。藤井にとって、わずかに相性がよくないといえるのが、この王座戦だった。

 2023年度。藤井は複数のタイトル戦番勝負を戦うハードスケジュールの中、八冠目を目指す王座戦に臨んだ。タイトル保持者の藤井はシードで、挑戦者決定トーナメント(ベスト16)からの登場となる。挑戦権獲得までには4連勝が必要だ。

 1回戦。藤井はまずベテランの中川大輔八段に勝利を収めた。

 2回戦では村田顕弘六段と対戦。クラスの上では、村田は中堅格。過去の対戦成績も藤井が勝ち越している。多くの人は、ここは問題なく藤井が勝つだろうと思ったかもしれない。

 しかし村田は強敵だった。オリジナル戦法「シン・村田システム」を採用し、藤井を次第に追い詰めていく。終盤では村田勝勢。藤井は絶体絶命のピンチに追い込まれた。

「今年度の八冠チャレンジもここまでか」

 観戦者の多くがそう思ったところから、藤井はあきらめず、相手の意表を突く勝負手を放つ。そして最後の最後で、村田が誤った。形勢は大逆転。藤井が九死に一生を得る形で、八冠への可能性をつないだ。

 準決勝。藤井はレジェンド羽生善治九段とぶつかった。二人の七冠経験者がここでぶつかるのは、運命的な組み合わせというよりない。終盤、羽生は厳しく迫っていく。しかし藤井玉はきわどくその追及を逃れた。藤井は大きな関門を突破し、いよいよトーナメントの決勝にまで進んだ。

 そして8月8日の挑戦者決定戦。藤井は豊島将之九段と対戦した。それまでの対戦成績は、藤井21勝、豊島11勝。藤井が大きく勝ち越し、特に最近は圧倒している。ただし藤井に最も多く勝っているのもまた、豊島だ。

 期待に違わず、両者の対戦は今年度屈指の名局となった。

 終盤、豊島玉は中段へと逃げ越し、捕まえづらい形になったようにも見えた。しかし最後は藤井が流れを引き戻す。藤井は159手で激戦を制し、王座挑戦権を獲得した。

2人の偉大な名誉王座

 王座戦は、1951年に始まった。83年度からはタイトル戦に昇格。84年度からは現行の五番勝負制へと移行した。

 将棋界ではそれぞれのタイトル戦で殿堂入りともいえる、永世称号が与えられる。王座戦における永世称号は「名誉王座」だ。

 名誉王座となるには、連続5期か、通算10期という高いハードルが設けられている。これまでに将棋界で名誉王座の資格を得た棋士は、中原と羽生の2人しかいない。

 中原はタイトル戦昇格以前は10期、昇格後は6期、王座を獲得した。

 羽生は1992年に王座に就く。以後は圧倒的な強さで防衛を続け、2010年に19連覇を達成した。これはタイトル戦における史上最高の連覇記録だ。羽生は11年、一度その地位を明け渡したものの、翌12年には復位。そこから5連覇を達成する。合わせて24期もの長きにわたって、羽生は王座の地位を占め続けた。

 そして最近、3人目の名誉王座候補が現れた。それが永瀬拓矢(1992-)だ。

 永瀬は2019年、王座に就く。以後は4連覇を達成。今年23年に防衛を果たせば、名誉王座の資格を得る。

 永瀬の棋士人生にとってもまた、大きな節目となる五番勝負を迎えた。

永瀬王座、渾身のブレイクでまず1勝

 将棋界ではよく知られている通り、藤井と永瀬は互いを認め合う間柄だ。藤井がまだ14歳四段だった頃、年長者の永瀬が声をかけ、練習将棋を指すようになった。

 プライベートでどれだけ親しくとも、公式戦ともなればそうしたことは一切関係なく、真剣に勝負するのが将棋界の美風だ。両者は棋戦の要所で数多く当たり、名勝負を繰り広げてきた。

 8月31日。数々の名勝負がおこなわれてきた神奈川県秦野市の名宿「陣屋」において、王座戦五番勝負は開幕した。

 第1局に先立ち、先手と後手を決める振り駒がおこなわれた。記録係が歩の駒を5枚取って手の中でよく振り、白布の上に放り投げると、表の「歩」が2枚、裏の「と」が3枚出て、まず第1局の先手は藤井と決まった。

 驚異的な高勝率を誇る藤井は、わずかに有利な先手番となれば、さらに無敵にも近い強さを誇る。

 2022年度、藤井は先手番で29連勝という史上最高記録を達成。23年度に入ってからは13戦無敗を誇っていた。

 藤井の作戦選択は、奇をてらわない王道のスタイルだ。対して永瀬は、現代将棋の最前線を深く探究する一方、ときに変化球も織り交ぜてくる。後手番となった永瀬が、どのような作戦をぶつけてくるのかが大きく注目された。

 藤井は角換わりで臨んだ。対して永瀬は攻めの銀を手早く繰り出す「早繰り銀」で応じる。永瀬がまず動いたのに対し、藤井は機を見て反撃に移った。

「お互いけっこう、玉が薄い形で戦いになって。ちょっとどうバランスを取るか、非常に難しい将棋かなと思っていたんですけど」(藤井)

 進んでみると観戦者の目には、どちらかといえば藤井に分のある進行に見えた。

「本局やっぱり、後手番でしたので、どうついていくかという将棋になったかとは思うんですけど」「確かに自信がないかもしれないな、と思いながら指していました」(永瀬)

 「藤井曲線」という言葉がある。コンピュータ将棋(AI)が示す評価値をグラフ化すると、藤井のリードがそのまま右肩上がりに推移して、そのまま藤井の勝ちとなる様子を示している。観戦者が何度も見てきた、藤井の勝ちパターンだ。

 並の相手であれば、藤井はそのまま押し切ったかもしれない。しかし永瀬は不屈の姿勢で藤井の攻めをしのいでいく。

「好転かはわからないんですけど、粘りがいのある形になったような気はしました」(永瀬)

 そしてついに逆転のときが訪れる。端に逃げ越した永瀬玉は、ギリギリのところで藤井の追及から逃れていた。最後は永瀬が藤井玉を詰まし、150手で終局となった。

 藤井は第2局への抱負を問われると、次のように答えた。

「早くも厳しい状況になってしまったかな、とは思っていますけど。できる限りよい状態で対局に臨んで、熱戦にできるようにがんばりたいと思います」

 五番勝負開幕前の下馬評は、藤井乗りの声が圧倒的だった。しかし永瀬の初戦勝利で、そうしたムードにも変化が生じていたかもしれない。

藤井挑戦者、長手数の大熱戦を制して追いつく

 タイトル戦の番勝負においても、藤井は数々の信じられない記録を継続中だ。

 まず2連敗をしたことがない。さらには先に「カド番」に追い込まれたことがない。もし第2局を落とせば、それらの記録はいずれも途絶えることになる。

 9月5日、永瀬は31歳となる誕生日を迎えた。棋士にとっては指し盛りといえる年齢だ。一方で藤井はまだ21歳。両者はちょうど10歳の差がある。

 第2局は9月12日、兵庫県神戸市のホテルオークラでおこなわれた。

 第1局と先後は替わり、今度は永瀬が先手番。そして戦型は角換わりとなった。永瀬の腰掛銀に対して、藤井は珍しく受け身の「右玉」(みぎぎょく)で応じる。

 互いに打開しづらいと思われたところから、永瀬は自陣に角を打ち据え、藤井玉の弱点である端をねらった。

「打開自体はできているのかなという感じがしたんですけど。ただちょっとこちらも全体的に苦労してる順が多いので。判断がよくわからなかったです」(永瀬)

「端を攻められて、その手順が思っていた以上に厳しくて。夕食休憩のあたりははっきり、苦しくしてしまったかなと思っていました」(藤井)

 藤井は中央から反撃。均衡のとれた長い中盤戦が続いていく。そして終盤に入ったあたりでは、永瀬がリードを奪ったかに見えた。

「粘って、難しくなったところもあったと思うんですが。ただ、ちょっと、そうですね。またそのあともまた苦しくなった局面もあったと思うので。やっぱり全体通して、苦しい局面の方が多かったのかなと感じています」(藤井)

 121手目。永瀬は藤井玉のすぐそば、相手陣一段目に金を打ち、攻め続ける。結果的には、その手が失着となった。

 藤井は駒を取られながらも玉を中段に逃げ出し、容易にはつかまらない格好に。さらには永瀬陣にまで到達し「入玉」(にゅうぎょく)を達成。ほぼ負けのない態勢を築いた。

 気の早いプレイヤーであれば「勝ち目がない」と観念し、投了してもおかしくはなかったかもしれない。しかし永瀬は不屈の闘志で指し続ける。

「最後ちょっと、寄せにいく手順がわからなくて」(藤井)

 永瀬玉もまた、入玉が望めそうなところにまで逃げ越した。しかし「持将棋」(じしょうぎ)の引き分けに持ち込むためには、駒数が大きく足りない。

 藤井は近年制定された新ルールを踏まえ「宣言勝ち」を視野に入れているのではないか。そう思われたところで、藤井は目の覚めるような一手を放つ。自陣の狭いところに、王手で飛車を打ったのだ。驚いたことに、中空に漂う永瀬玉はきれいに詰んでいる。詰将棋を解かせても世界一の藤井らしい、鮮やかなフィナーレだった。

 総手数は実に214手。藤井が大熱戦を制して、1勝1敗のタイに追いついた。

藤井挑戦者、大逆転で2勝目

 第1局は永瀬。第2局は藤井。互いに後手番で「ブレイク」しあって迎えた第3局。

 後手番の永瀬はまず、角筋を止めた。これで角換わりはなくなり、場合によっては振り飛車の変化も残している。序盤の駆け引きの中、永瀬は「雁木」(がんぎ)に組み、さらには端を突き越すという趣向に出る。藤井は意表を突かれた。

「端の位(くらい)を取って、雁木(がんぎ)という組み合わせは考えたことがなくて。どう構想を立てるか難しいなと思っていたんですけど」(藤井)

「端歩の2手を指した代わりに、先手も態度を決めているところがあるので。中央の手を指されていますけど、そこを見合えばという、バランスが取れればという感じで」(永瀬)

 藤井が速攻に出たのに対して、永瀬は「袖飛車」(そでびしゃ)で反撃。形勢は互角ながら、永瀬がうまく自分の土俵に持ち込んだように見えた。

「本譜はすぐに仕掛けていったんですけど。ちょっとそのあと、うまく対応されて。自信のない展開になってしまったので。序盤、もう少し、工夫の余地があったかなと感じています」「ちょっとこちらの攻めを受け止められる形になってしまって。失敗しているかなと思いました」(藤井)

 中盤でペースを握ったのは、永瀬だった。藤井玉の左、右、上から襲いかかる理想的な攻めで、優位を確かなものとしていく。中継画面に示された「勝率」の表示は、永瀬勝勢が示されていた。

 65手目。藤井は永瀬陣一段目に飛車を打つ。横からの王手だ。

 持ち時間5時間のうち、残りは藤井6分、永瀬4分。正しく対応すれば永瀬が勝ちそうということは、AIが示す数値を見ている観戦者にはわかる。そして正解手は「金底の歩」という、将棋の教科書に出てくるような筋だ。トップクラスの棋士ならずとも、アマチュアの有段者であれば第一感で浮かぶ手かもしれない。

 永瀬は残り時間4分をすべて使いきった。あとは1手60秒未満で指す「一分将棋」だ。こうした時間が切迫した場面から、将棋界では数多くのドラマが起こってきた。

 永瀬は強すぎるからこそ、瞬時に多くの変化が浮かんだ。底歩を打ったあとには、藤井側が銀を捨て、迫り続ける順がある。永瀬が王手を防ぐのに選んだのは「金底の歩」ではなく、自玉そばへの飛車を打ちだった。

 ここでAIの評価は急変した。藤井はほとんど時間を使うことなく、中段に角を打ちつける。自玉に迫る金と、相手玉を守る金。永瀬側の2枚の金をねらう「両取り」の攻防手だ。これを永瀬は見落としていた。

「エアポケットに入ってしまったので。やっぱりそのあたりが、対応が、うまくできなかったなと思います」(永瀬)

 永瀬には態勢を立て直す時間的な余裕がなかった。形勢は大逆転。藤井玉が中段に逃げ出して捕まらないのに対し、下段の永瀬玉は受けがない。

 手数は81手。短手数ながらあまりに密度の濃い一局を制し、藤井が五番勝負2勝目をあげた。

いよいよ八冠制覇か?

 かくして藤井は数々の試練を乗り越え、いよいよ王座獲得、八冠制覇まであと1勝と迫った。

 ここまでの藤井と永瀬の通算対戦成績は、藤井13勝、永瀬6勝。

 今年度成績は、藤井は23勝5敗(勝率0.821)。永瀬は14勝9敗(勝率0.609)。

 藤井は竜王戦七番勝負において、同学年の挑戦者・伊藤匠七段(20歳)を相手に迎えての防衛戦も始まった。10月6日・7日におこなわれた第1局では完勝を収め、防衛に向け幸先よいスタートを切っている。ハードスケジュールの中、疲れも感じさせない勝ちっぷりだった。

 これらのデータを見る限りでは、藤井の八冠達成の確率は、かなり高いと言ってもよさそうだ。

 ただし第4局は永瀬にとっては有利な先手番。さらに第5局にまで勝負が持ち越されると、改めて振り駒によって、先後が決められることになる。永瀬が逆転防衛を果たしても、まったく不思議ではない。

 舞台は整った。あとは世紀の大一番を見守るだけだ。

【この記事は、Yahoo!ニュース エキスパート編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

松本博文の最近の記事