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【将棋名勝負プレイバック】1991年3月、羽生善治挑戦者(20)五番勝負を制して史上最年少棋王に!

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 1991年3月18日。東京・将棋会館において第16期棋王戦五番勝負第4局▲南芳一棋王(27歳)-△羽生善治挑戦者(20歳)戦がおこなわれました。

 9時に始まった対局は19時21分に終局。結果は115手で羽生挑戦者の勝ちとなりました。

 羽生挑戦者は3勝1敗で五番勝負を制し、初の棋王位を獲得。谷川浩司現17世名人の23歳という記録を抜いて、最年少棋王となりました。

 羽生現九段の最年少棋王の記録は、現在20歳5か月の藤井聡太現五冠(竜王・王位・叡王・王将・棋聖)にも抜かれず、今後も長く残り続けることになります。

時代と背景

 1989年12月27日。羽生善治六段(当時)は19歳で竜王位を獲得しました。

 19歳でのタイトル獲得は、当時の史上最年少記録でした。

 翌年度の1990年11月。20歳となった羽生竜王は谷川浩司王位・王座の挑戦を受け、1勝4敗で竜王位を失います。

 羽生前竜王はその後、棋王戦で本戦トーナメントを勝ち抜きます。当時の棋王戦本戦はベスト8以上から敗者復活戦があり、挑戦者決定戦は一番勝負でした。羽生前竜王は小林健二八段(現九段)に勝者組決勝で勝利。挑決でも勝って、五番勝負進出を決めました。

 当時棋王位を保持していたのは「冬将軍」の異名をとる南芳一棋王でした。南棋王は王将戦で米長邦雄王将へのリターンマッチに臨み「ダブルタイトルマッチ」の状況でした。

20歳の羽生善治、棋王位を獲得

 棋王戦五番勝負は1991年2月に開幕。持ち時間は5時間でした。(次期からは4時間に短縮)

 なんでも指しこなせる両者ですが、基本的に居飛車党だった両者。戦型は4局ともに相矢倉でした。

 第1局は南棋王先手。南棋王優勢の終盤で緩手が出て、最後は逆転。148手で羽生挑戦者の勝ちとなりました。

 第2局。後手の南棋王はいきなり端に桂を捨てていく、新手法を見せました。この指し方はのちに「南流」と呼ばれるようになります。羽生挑戦者はうまく対応。結果は123手で羽生勝ちとなりました。

 第3局。後手の羽生挑戦者は雀刺し。南棋王が終盤の競り合いを制し、最後は羽生挑戦者の追撃を振り切って、139手で1勝を返しました。

 棋王戦第3局と第4局の間。3月11日、12日におこなわれた王将戦第6局で、南棋王は勝利。王将復位を果たして、二冠に返り咲いています。

 3月18日におこなわれた棋王戦第4局。羽生挑戦者先手で4度目の相矢倉となりました。

 最終盤、羽生挑戦者はタダで取られるところに角を飛び出す大技を見せます。取ってもらえれば南玉は詰み。しかし南棋王はじっと辛抱して、勝敗は不明です。

 106手目。南棋王は金を寄って受けます。この手が敗着となりました。南玉は詰めろではなく、代わりに王手飛車をかけていれば、勝敗不明の最終盤が続いていたようです。

 羽生挑戦者は華麗に駒を捨て続けて、きれいに収束。115手目、桂打ちの王手を見て、攻防ともに見込みのなくなった南棋王は投了。羽生棋王が3勝1敗でシリーズを制しました。

 20歳の羽生新棋王は以後、棋界制覇への道をひた走ることになります。棋王位はここから5連覇を達成し、24歳で永世棋王資格者に。さらに12連覇まで棋王位を保持し続け、通算で13期を獲得しています。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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