Yahoo!ニュース

藤井聡太二冠(18)順位戦連勝記録は22でストップ 元A級の鬼・稲葉陽八段(32)に苦杯を喫する

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 6月3日。大阪・関西将棋会館においてB級1組2回戦▲稲葉陽八段(32)-△藤井聡太二冠(18)戦がおこなわれました。

 10時に始まった対局は4日1時9分に終局。結果は165手で稲葉八段の勝ちとなりました。

 稲葉八段、藤井二冠ともに今期B級1組成績は1勝1敗となりました。

 両者の対戦成績は稲葉八段2勝、藤井二冠3勝となりました。

 2年以上も続いた藤井二冠の順位戦連勝記録は22でストップしました。

 藤井二冠の順位戦通算成績は40勝2敗(勝率0.952)となりました。

稲葉八段、深夜の熱闘を制す

 両者の対戦成績は、稲葉八段1勝のあと、藤井二冠が3連勝していました。

稲葉「すごい強いのはわかっているので、そういう意味では『自分の力を出しきらないと厳しい相手だな』というのは思いました」

 藤井二冠はここまで順位戦22連勝。対して稲葉八段は順位戦6連敗。過去のデータだけを見れば、藤井二冠有利と思われそうです。しかし「鬼のすみか」B級1組順位戦。「どちらが勝ってもおかしくない」と見た方も多くおられたでしょう。

 稲葉八段先手で、戦型は角換わり腰掛銀となりました。

稲葉「角換わりではいろいろ対応があるので、この形になったら、今日はこれでいこうかなと思ってました。(午前中ハイペースで67手目まで進んだのは)実戦例のある将棋なので」

藤井「(角換わり腰掛銀は)『もちろん考えられるのかな』とは思ってました。こちらもどの形で指すか決めていたわけではないんですけど、一応難しい変化なのかなと思って指してました」

 駒割は▲銀△桂桂の交換で後手の藤井二冠が駒得。ただし藤井玉は盤上中央、中段に引っ張り出されて、危険きわまりない形。コンピュータ将棋ソフトを利用しての研究により高度に深化した、現代将棋の代表的な一例ともいえる進行です。そしてきわどいながらも、バランスは保たれています。

 昼休明けの午後からは一転、スローペースとなります。

 69手目。稲葉八段は7筋で歩を取りながら角取り。

稲葉「そのあたりからはどうやられても難しいかな、という感じだったので。やられてから考えることになるのかなと思ってました。角を(8三か9二か)どちらに引かれるか難しいので」

 藤井二冠はあたりになっている7四角を、8三か9二、どちらに逃げるのか。わずかな違いが大きな分岐となっていきます。

 前例の2019年度A級6回戦▲渡辺明三冠(現名人)-△広瀬章人八段戦では、広瀬八段は9二に逃げていました。藤井二冠は8三を選び、70手目からは前例をはずれた戦いとなりました。

 71手目。稲葉八段は6筋に回った飛車をバックに、じっと6筋で歩を合わせます。ここで藤井二冠は1時間52分の長考に沈みました。そしてじっと玉を前線から遠ざけるべく、4筋三段目に引きます。このあたり、藤井二冠にとってはすでに自信の持てない進行だったようです。

藤井「しばらく定跡の進行が続いたんですけど・・・。▲6六歩と合わされたのがこちらの予想にない手で・・・。こちらが薄い玉で、先手の攻めをうまく抑え込めるかどうかという展開だったんですけど。▲6六歩でこちらの8三の角が抑え込まれて使えなくなってしまう懸念も出てきたので、ちょっと・・・。なんというか、どういう方針で指せばいいのかわからなくなってしまった気がします・▲6六歩にうまく対応できなくて・・・。うーん・・・。なんかそうですね・・・。あまり・・・。うーん、なんだかあまり勝機のない将棋になってしまったのかなというふうに対局中は思っていました」

 コンピュータ将棋ソフトによって示される形勢評価はほぼ互角。しかし藤井二冠は勝ちにくい進行にしてしまったという思いがあったようです。

藤井「形勢がやっぱり苦しい時間が長かったので、最初の長考(△4三玉)で正しい方向に進めなかったのが悔やまれるような気がします」

 76手目。藤井二冠が飛車取りに歩を打ったところで18時、夕食休憩に入りました。藤井二冠はポークカレーと野菜サラダ。稲葉八段は天丼と温かいうどんのセットを注文しています。

>順位戦は持ち時間が6時間で、終局は日付を越えることがほとんどだ。技術だけでなく、体力も大事になる。食事にも気を使う。普段は少食だが夜中に備えてがっつり唐揚げ定食を食べたり、甘いジュースで糖分を取ったりして夜戦に備えている。(『稲葉陽の熱闘順位戦』)

 本局、稲葉八段の夕食選択は勝着の一つとなったのかもしれません。

 18時40分、対局再開。

稲葉「(△5八歩には)▲同金か▲同飛車かの二択で、どちらもあるかなと思ったんですけど。うーん、どちらがよかったのかは、実際、わからないですね」

 夕休明け、稲葉八段は金で歩を払いました。離れている金を手順に玉近くに寄せる味のいい順。形勢はわずかに稲葉八段がリードしたと見られました。

 やや苦しくなった藤井二冠。90手目、金を寄って玉の退路を開き、じっとこらえます。これはさすがの辛抱でした。

 ここで稲葉八段は長考に沈みます。藤井陣に銀を打ち込んで攻めていく順が見えるところ。それともほかの手段がまさるのか。稲葉八段は1時間12分使って、角取りに歩を打ち、藤井二冠の態度を尋ねました。

稲葉「(本譜▲6六歩の代わりに)最初は▲5一銀とかも考えたんですけど、ちょっと玉が薄いので、けっこう・・・。▲6七金と上ずってるので、けっこう・・・かなりの勝負手になってしまうんで、ちょっとわからなかったですね」

 藤井二冠は相手陣に進めば成れる角をあえてじっと自陣に引きました。これが好判断。途端に形勢は互角へと引き戻されました。

 稲葉八段は藤井二冠が席をはずしたときに、何度かぼやき声をあげてました。決定的ながさがつくことなく、難しい中盤戦が続いていきます。

 100手目。藤井二冠は飛車取りに歩を打ちます。ここもまた、勝負の大きな分かれ目でした。稲葉八段は飛車をどこかに逃げるのか。それとも飛車を見切って取らせる代わりに、相手の角桂を取り、藤井玉に迫るのか。

 持ち時間6時間のうち、残りは稲葉56分。藤井53分。時刻は22時半を過ぎています。

 稲葉八段は6分で決断。強く踏み込む順を選びました。

稲葉「見切るんじゃちょっと苦しいかなと思ったんですけど、本譜が、形勢がよくわからなかったので。それなら踏み込んでみようかなと」

 稲葉八段の決断は、好判断でした。ここでまた再び、稲葉八段がわずかにリードを奪ったようです。しかし藤井二冠も簡単には倒れません。中盤、四段目にまで引っ張り出された玉は終盤、いつしか一段目にまで逃げました。強者の玉は、ときに生命力が桁外れのように感じられます。

稲葉「少し指しやすい局面もあったかなと思うんですけど、途中からよくわからなくなってしまったので。なんかちょっと一時期『負けにしてるかな』と思って指してました」

 116手目。ABEMA解説の中村太地七段が大きな声をあげました。コンピュータ将棋ソフトは藤井二冠の側に金捨ての妙手があることを示しています。相手の馬にタダで取らせることによって筋をそらし、その代償に一手の余裕を得るというわけです。

 残り9分の藤井二冠。ノータイムで飛車を成って稲葉玉に迫り、ソフトが示した手とは違う順で勝負に出ました。

 時刻は午前0時を過ぎます。日付が変わってもなお続く大熱戦。過去の順位戦ではこの時間帯、数多くのドラマが起こってきました。

 120手目。藤井二冠は7筋で遊んでいた金を6筋に寄せます。こちらも金のタダ捨て。「タダやん」とばかりに、もし相手が馬で取ってくればやはり筋が急所からずれ、途端に大逆転です。

稲葉「△6三金とか寄られて、うーん、なんか『取れないのかな』と。うまく指されて、またよくわからなくなってしまったので。『うまく指せばよくなりそうかな』と思ったんですけど。でもなんか、うまく粘られて」

 121手目。取れる金を取らず、稲葉八段は2分で馬を自陣に引きつけました。残りは20分。これできわどくリードを保っています。

 139手目。稲葉八段は角を切って藤井玉に迫ります。次第に稲葉八段優位がはっきりとしてきました。

 時間消費は先行しても、常に何分かはマージンを残しておくのが藤井二冠のスタイルです。しかし苦境に追い込また144手目。残り4分でついに3分を使い、あとは一手60秒未満で指す一分将棋となりました。

 163手目。稲葉八段もついに一分将棋に。

稲葉「自玉とかも(相手からの寄せが)見える展開にもなったので、うーん、ちょっと確認というか。ギリギリだなあ、と思って指してました」

 165手目。稲葉八段は藤井玉を上下はさみうちで受けなしに追い込みました。あとは稲葉玉が詰むや詰まざるや。稲葉玉には王手が続く格好です。

 しかし藤井二冠には、稲葉玉が詰まないのははっきりわかっていました。形作り、気持ちの整理をつけるため、あるいは僥倖を頼んで指し続けることもできたでしょう。しかし指さないのもまた、トップクラスの矜持。藤井二冠は王手をかけることなく、ここで投了を継げました。

 藤井二冠はこれで順位戦22連勝の記録がストップ。対して稲葉八段は6連敗ストップです。

稲葉「前期から連敗が続いていたので、そういう意味では一つ勝ったので、これで気持ちを新たに、次からがんばりたいと思います」

稲葉「(今日の対局に臨むにあたって)相手も強いのはもちろんですけど、こちらも連敗がちょっと続いていたので、そういう意味では『まずは自分の内容をよくしないとな』というところはあったので。そういう意味では、自分の内容はまずまず指せたかな、という意味では、事前の目標はできたかなと思います」

稲葉「ちょっと調べてみないと・・・。けっこうわるい手も指したかもしれない。まあちょっとわからないんですけど、熱戦が指せたのは、次につながるかなと思います」

藤井「先は長いかなと思うので、これからも次の一局に全力を尽くせるようにしたいなと思います。B級1組は手強い相手ばかりなので、その中で、自分の力が足りないところがあるのかな、という印象です」

 本局の3日後には棋聖戦第1局が予定されていました。

藤井「棋聖戦、非常に注目していただける舞台になるかと思うので、いい将棋にできるようにせいいっぱい指したいと思います」

 藤井二冠はその棋聖戦開幕戦を制しています。

 あまり休む間もなく対局が続いていく藤井二冠。6月13日には屋敷伸之九段とB級1組3回戦で対戦します。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

松本博文の最近の記事