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藤井猛九段(50)銀の大遠征で勝利に近づくも久保利明九段(45)が粘って大逆転 叡王戦・九段戦準決勝

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 4月20日。第6期叡王戦段位別予選・九段戦C準決勝▲藤井猛九段(50歳)-△久保利明九段(45歳)戦がおこなわれました。

 14時に始まった対局は16時54分に終局。結果は132手で久保九段の勝ちとなりました。

 久保九段は19時からおこなわれる予選決勝で丸山忠久九段(50歳)と対戦し、勝者が叡王戦本戦に進みます。

久保九段、あきらめずに大逆転をつかむ

 本局は平日午後におこなわれましたが、Twitter上では本局に関するつぶやきが多く見られました。それだけ両対局者のファンが多いということでしょう。

 藤井九段と久保九段は現代振り飛車党の代表格。鈴木大介九段(46歳)を加え「振り飛車御三家」とも称されます。

 藤井九段と久保九段の過去の対戦成績は、藤井10勝、久保15勝。戦型は、かつては相振り飛車が多く、さらには相居飛車の矢倉なども見られました。近年では藤井九段が飛車を振り、久保九段が居飛車という構図が続いています。

 本局は先手の藤井九段は3手目、6筋に飛車を移動させました。藤井九段十八番の四間飛車です。対して後手の久保九段は飛車を振らず、居飛車で臨みました。

 9手目。藤井九段は3九銀を3八に立ちます。振り飛車の基本ともいうべき「美濃囲い」がこの一手で完成します。ただしその美濃囲いに玉を収めるかどうかは、そのあとの展開次第です。

 藤井九段は居玉のまま相手の様子をうかがいます。藤井九段の代名詞とも言える「藤井システム」の立ち上がり。相手が穴熊に組むのであれば、居玉のまま攻めかかっていきます。最近の有名な例では、前期(第5期)叡王戦・九段予選において、羽生善治九段を相手に勝利を収めています。

 持ち時間は各1時間と短い本棋戦ですが、両者ともに序盤から慎重に時間を使って進めていきます。

 久保九段は穴熊に組まず、速攻を仕掛けていきました。藤井九段は美濃囲いを構成している銀を4七、5六、6五と前線へ繰り出し、力強く迎え撃ちます。さらには5四にも出る大遠征。美濃囲いの構成員だったはずの銀が、自玉ではなく、相手玉へと迫っていきました。

 45手目。藤井九段は端9筋に角を出ます。これが飛車取り。振り飛車側が端に出た角は「幽霊角」と呼ばれます。この角出をあらかじめ防いで居飛車側が端歩を突くことを「税金」とも言います。

 47手目。藤井九段は玉を2八へと移動させます。戦いが起こってから玉形を整備するのは上級者の呼吸。ただし3八に銀はいません。これを美濃囲いと呼べるのかどうかはわかりません。

 久保九段は角の利きをいかし、相手の飛車がいる6筋から歩を使って攻めます。藤井九段の銀は6五へと引き戻されました。

 難しい折衝が続く中、藤井九段の緩着をとがめ、先にリードを奪ったのは久保九段でした。

藤井「全然駄目だったじゃないですか。いやもう投げようかと思ってた」

 局後に藤井九段がそうボヤいたほどの差でした。藤井九段は6五の銀を7四へと出ます。そっぽにいってつらいようですが、そこからドラマが起こります。

 コンピュータ将棋ソフトの候補手を見ていると、3八に銀を打つ手が推奨されていました。つまり持ち駒の銀を玉の横に打てば、美濃囲いが復元されるというわけです。しかしその銀を打ってしまうと、人間同士の戦いでは逆転のアヤが少なくなってしまうのかもしれません。

 藤井九段が粘るのに対して、久保九段は攻めを誤ります。いつしか形勢は逆転しました。

藤井「投げさしてくんないから。急に勝ちになってびっくりした」

 7四の銀は勇躍、6三から5二へと進みました。もともとは藤井陣の美濃囲いだった銀が「成銀」に昇格し、ついに久保玉の死命を制するところにまで迫ったわけです。

 100手目。久保九段は自玉とは遠く離れたそっぽに7筋一段目に金を打ちつけました。藤井九段の龍の侵入だけを防ごうとする根性の一手。粘りのアーティストの面目躍如という一手です。

藤井「わけわかんないですね。突然△7一金打って」

 終局後、藤井九段がそうつぶやき、両者ともに苦笑しました。

 形勢は藤井九段勝勢。このまま勝ちかと思われたところでまたドラマが起こります。

 両者ともに1時間を使い切って、一分将棋の中の最終盤。106手目。久保九段は相手の金を△同角と取りました。この手が藤井九段の意表をつきます。シンプルに▲3一同角成と取り返せば久保玉には詰めろがかかっていて、藤井玉は詰まない。つまり、藤井九段の勝ち筋です。

 しかしいざ開き直られてみると、間違えてしまうこともあるのが人間同士の実戦です。藤井九段はその角を取りませんでした。

藤井「あれ、取って(久保玉は)さすがに詰んでたよね?」

 藤井九段は終局後、開口一番そうつぶやきました。

久保「ええ、詰んでました」

藤井「でしょ? △3一同角で何が起こったのかと思って」

久保「指す手がないんで」(苦笑)

藤井「普通に取ってきたから・・・なんか頭おかしくなっちゃった。指してるから、なんかすごい手があるのかと思っちゃったよ」(苦笑)

 藤井九段はこのやり取りをしきりにぼやきました。

藤井「△3一同角もさすがにひどい・・・。催眠術だな」

 藤井九段は別の寄せ方で迫ります。最善最短の順を逃し、少しだけよりが戻りました。とはいえ、逆転したわけではありません。

 117手目。藤井九段は5二の成銀を4一に進めました。美濃囲いの銀が、ついに相手陣一段目にまで進んだことになります。そして形勢はやはり藤井九段勝勢でした。

 118手目。久保九段は自陣に銀を埋めて粘ります。これが馬取り。対して王手で馬を入っていれば、藤井九段の勝ち筋でした。しかしあえて王手をせずに藤井九段は馬を引きます。プロらしい一手ではありますが、ここでコンピュータ将棋ソフトが示す評価値は、一気に互角へと戻りました。

 久保九段は受けるか攻めるか。119手目、久保九段は攻めを選びました。途端に形勢はまた藤井九段勝勢。久保玉の横に打ちつけた銀が「玉の腹から銀を打て」という格言通りの一手。寄せの教科書にも出てきそうな鮮やかな決め手・・・となるはずでした。

 122手目。久保九段は端1筋に玉を寄せます。いわゆる「米長玉」という終盤のテクニック。米長邦雄永世棋聖(故人)は現役中、何度もこの手法で大逆転勝ちを収めてきました。

とはいえ、形勢は以前藤井九段勝勢です。

 123手目。久保九段は成銀を3一へと寄せました。もともとは3九にいて、一つ立って美濃囲いだった銀が大遠征を経て、ついに真逆の位置にまで到達しました。

 127手目。藤井九段は馬を相手玉へと寄せます。王手をしない、これもプロらしい一手。しかしこの手が敗着となりました。久保九段に金を埋められてみると速度が逆転しています。正解は桂を取りながら銀で王手をする俗手。将棋は難しいというよりありません。

 132手目。一手の余裕を得た久保九段は、角を打ち込み、藤井玉に詰めろをかけます。

記録「50秒、1」

藤井「あ、負けました」

 藤井九段が投了して、ついに熱戦に終止符が打たれました。藤井九段ファンにとってみればなんとも残念な一局だったでしょう。

藤井「詰んでるのに詰まさないんじゃ難しくなるよ。ていうか負け・・・。(△3一)同角はびっくりしたなあ、しかし。いや、投了してくれるのかと思った。まだ指してくるから・・・。なんで指してくるのかと思っちゃったよ」

 あきらめずに指し続けた久保九段。見事に逆転勝利を収めました。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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