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粘りのアーティスト久保利明九段(45)201手で永瀬拓矢王座(28)に大逆転勝利 王座戦第4局

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 10月6日。兵庫県神戸市・ホテルオークラ神戸において第68期王座戦五番勝負第4局▲久保利明九段(45歳)-△永瀬拓矢王座(28歳)戦がおこなわれました。棋譜は公式ページをご覧ください。

 9時に始まった対局は21時24分に終局。結果は201手で久保九段の勝ちとなりました。

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 五番勝負はこれで久保九段、永瀬王座ともに2勝2敗。王座のゆくえは最終第5局の結果にゆだねられることになりました。

 第5局は10月14日、山梨県甲府市・常磐ホテルでおこなわれます。

久保九段、粘りに粘って大逆転でカド番しのぐ

 久保九段は四間飛車。久保九段側から動き、両者の攻撃陣主力である飛角桂がぶつかって、戦いが起こりました。

 座布団の上に正座ですわっている永瀬二冠。スーツなので、ひざが前のめり気味にはみだしているのがよくわかります。これはいつもの対局スタイルです。

 昼食休憩が終わって再開後、戦いは激しくなります。久保九段は2枚の飛車、永瀬王座は2枚の角で、互いに相手陣に迫ります。

 永瀬王座が馬(成角)と、と金(成歩)のコンビネーションで攻めてくるのに対して、久保九段は龍(成飛車)を1枚いったん自陣に引き上げて対応します。永瀬王座はと金で銀を1枚はがせたものの、全体的にはバランスが取れて、形勢は難しいところです。

 89手目、今度は久保九段が6筋の歩を突き出してと金作りをねらったところで17時30分、休憩に入りました。

 18時、再開。

 進んで今度は久保九段がと金で銀を取り返します。そして再びと金作りを見せました。シンプルかつ確実な攻めです。

 98手目。永瀬王座は端攻めに出ます。これは居飛車側の終盤の切り札ともいうべき手段で、美濃囲いの玉はここを攻められると弱い。

 久保九段は端を相手にせず、押し込まれるのを甘受します。ここでは永瀬王座がポイントをあげました。

久保「序盤はまあまあかな、と思いつつ・・・。うーん。途中、間違えちゃったと思うんですけど」

 形勢は少しずつではありますが、永瀬王座よしへと傾いていきます。振り飛車党で久保九段とも親しい今泉健司五段の解説も、いささかしょんぼり気味でした。

 104手目。今度は永瀬王座が2枚目のと金作りに出ました。これもやはり基本に忠実な攻め。投資が少なくリターンの大きいと金攻めは、遅いようでも早くて効果的な場合が多いものです。この場面、放置はできないと相手をすれば、少し陣形が弱体化するというわけです。

「将棋が強い人は歩の使い方がうまい」

 とはしばしば言われることです。一局を通して、そうした場面は何度か見られるものです。

 またもう一つ。将棋の強い人は苦しい局面でその真価を発揮します。

「さばきのアーティスト」が表の顔ならば「粘りのアーティスト」が裏の顔でもある久保九段。簡単に負けになる順を選ばず、辛抱を続けていきます。じっと歩を打ち、2枚の馬のうち、1枚の利きを止めました。

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久保「正解を逃して負けにしてると思うんで、ちょっと粘らないと持たない形になったかなと思ったんで、方針転換したんですけど。途中はよくわからなかったです」

 対して永瀬王座からは久保玉の上部から香を打ち、馬とのコンビネーションで一気に攻めかかる順が見えます。その順でよければわかりやすく勝勢。しかしすっぽ抜けると大変なことになります。

 もしかしたら、永瀬王座はそこで踏み込んでいれば快勝だったのかもしれません。しかし熟考の末、打たれたばかりの相手の歩に自身の歩を合わせ、遠巻きに攻める順を選びます。

 ここで久保九段がかなり差を詰めたようにも見えました。今泉五段の解説もにわかに生気を帯びてきます。

 永瀬二冠は2枚の馬を捨てて、寄せにいきます。持ち駒には金2枚、銀2枚。小駒だけで、はたして久保玉は寄るのかどうか。実にきわどい形勢になってきました。

 大駒4枚を手にした久保九段。両手のひらを座布団につけ、上半身を傾けて読みふけります。そして125手目、駒台から1枚の角を手にして、攻防の位置に据えました。残り時間は久保9分、永瀬13分。時間も切迫してきて、もう何が起こってもおかしくはない最終盤かもしれません。

 永瀬王座にとってはいやな流れにも見えました。しかし永瀬王座も崩れず、態勢を立て直します。

 持ち時間はチェスクロック方式(切り捨てなし)で各5時間。双方がほぼ同じぐらいに時間を使い切ると、20時半前に両者一手60秒未満で指す「一分将棋」となります。

 永瀬王座は132手目、久保九段は135手目からは一分将棋です。

 久保玉近くでの攻防が続き、永瀬王座は大駒の角1枚を取り戻しました。対して135手目、久保九段は歩頭に龍を移動させる鬼手を放ちました。はっとするような勝負手です。この龍は歩で取ることはできない。そして角との交換になりました。

 永瀬王座は手にした飛車を久保陣に打ち込む。攻めが厚くなり、再び永瀬よしがはっきりしてきたのか。

久保「負けにした局面もあったかなと思いました」

 久保ファンも、そして久保九段自身も非勢を認識する中、久保九段は懸命にしのぎ続けます。

永瀬「途中はわからなかったんですけど、終盤は勝ちになった局面があったような気がしたんですけど。ただちょっと(154手目)△1七歩成から端をいじったのが・・・」

 時間に追われて読みきれぬまま、永瀬王座も最善を続けることはできません。そして久保九段もまた粘れる形に。

「何が起きても全然おかしくない」

 今泉五段は力をこめて、そうつぶやきました。

「わかっちゃいたけど、久保さんの粘りはすさまじいですね」

 田村康介七段もそう感嘆の声をあげました。

 昨日の王将戦リーグ・豊島将之竜王-藤井聡太二冠戦は総手数171手。終盤で大変なドラマが起きました。

「将棋は逆転のゲーム」と言われます。力が拮抗した人間同士が指せば、わずか一手の誤りで大逆転が起こります。

 永瀬王座、久保九段ともに一分将棋での死闘が続く中、ついには千日手の筋まで生じました。久保九段とすれば、千日手に逃げられれば窮地を脱したことになるでしょう。

 普段から千日手はいとはないスタイルで知られる永瀬王座。しかし本局では千日手にしませんでした。そして玉を盤面右隅に追い込みます。これは正解な寄せ手順に見えました。しかし永瀬王座も読み切れてはいませんでした。

 手数が170手を過ぎる頃、ようやくはっきりと、永瀬王座勝勢になったかとも思われました。しかしやっぱり、何が起きるのかわからない――。それが人間同士、一分将棋での最終盤です。

永瀬「(175手目)▲2八金と打たれた形が(相手玉が)見えなくなってしまったので・・・。問題があったかもしれないです。ただちょっと(170手目△3九飛成で)3九の香は取れるのでやってしまったんですけど。決定打に欠けていたのかもしれないです」

 176手目。秒を読まれる中、永瀬王座は自陣に手を戻しました。この瞬間、モニターを見つめていた世界中の観戦者がどよめいたことでしょう。コンピュータ将棋ソフトが示す評価値は、一気に逆転しました。ここで受けるようでは、流れはおかしい。

永瀬「一分将棋だったのでわからなかったんですけど(179手目)▲1五歩と伸ばされてちょっと忙しい局面になったので。うーん。そこでちょっと、手が出なかったですね」

 ついに久保九段の長い辛抱が実る時が来ました。そして久保九段はもう誤りませんでした。反撃に転じ、着実に永瀬玉を追いつめていきます。

 187手目。久保九段は香を打って永瀬王座の端玉に王手をかけます。対して永瀬王座は桂を跳ねて移動させての合駒。この瞬間、1筋に縦9枚駒が並ぶ「駒柱」が生じました。

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 厳しい王手で追われる中、永瀬王座はペットボトルの水を飲みながら、中空を見上げます。

 

 201手目。久保九段は永瀬玉の頭に銀を打って王手をかけます。穴熊の位置に収まった久保玉は詰まず、永瀬玉は受けが効かない形です。

 永瀬王座は黒いマスクをつけました。そして中空を見上げながら、ネクタイを直します。

「マスクしたってことは、そういうことなんでしょうね」(田村七段)

 記録係の冨田誠也四段が秒を読み上げます。

「50秒」

 その声を待っていたかのように、永瀬王座は「負けました」と頭を下げました。

 久保九段も一礼。ついに大熱戦に終止符が打たれました。

 劇的な大逆転の末、王座戦五番勝負は最終第5局へと進むことになりました。

久保「またしっかりと準備して当日を迎えたいなと思います」

永瀬「ベストを尽くしてがんばりたいと思います」

 ここまで4局はすべて先手番の勝利となりました。第5局は対局が始まる前、改めて振り駒によって先後が決められます。

 息つく間もなくドラマが起こり続ける将棋界。王座戦五番勝負ははたして、どのような結末を迎えるのでしょうか。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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