Yahoo!ニュース

「名人候補」渡辺明挑戦者(36)悲願の名人位獲得まであと1勝 熱闘の七番勝負第5局を制す

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 8月7日・8日。東京・将棋会館において第78期名人戦七番勝負第5局▲豊島将之名人(30歳)-△渡辺明二冠(36歳)戦がおこなわれました。

 7日9時に始まった対局は8日20時30分に終局。結果は128手で挑戦者・渡辺二冠の勝ちとなりました。

 幼少期から「名人候補」の呼び声が高かった渡辺挑戦者。悲願の名人位獲得まで、ついにあと1勝と迫りました。

 第6局は8月14日・15日、大阪・関西将棋会館でおこなわれます。

画像

渡辺挑戦者、終盤で一気に抜け出し制勝

 ネット上では再開前、豊島名人が栄養ドリンクを水割りで飲む場面が話題となりました。これには前例があるようです。

(夕休、再開前)豊島は紙袋から栄養ドリンクを取り出し、何十回も振ってからグラスに注ぐ。それを水で薄めて飲んだ。

出典:君島俊介観戦記、A級8回戦▲渡辺明棋王-△豊島将之八段戦「朝日新聞」2018年1月19日朝刊

 2017年度A級▲渡辺-△豊島戦は、渡辺勝ちでした。

 再開後、豊島名人はすぐに飛車を成り込みます。対して渡辺挑戦者はすぐに銀を打って受けます。

 ここで豊島名人の手が止まりました。豊島名人の攻めの駒が渡辺玉に迫っているようでも、さらに金を打たれると、逆に豊島名人の龍が詰まされてしまいます。

 ここですぐに次の手が指せないようでは、名人変調を思わせます。事実、休憩後の2手で、形勢は一気に渡辺挑戦者よしへと傾いたようです。

 休憩もはさんでじっくりと考えた手が疑問手、悪手となる。不思議なことですが、それは将棋界ではよく見られてきた現象でした。

 豊島名人は19分を使って桂を打ち、王手をかけました。渡辺挑戦者はすぐに玉を逃げます。対して豊島名人も終盤の忙しいところで、龍を逃げる手を余儀なくされました。

 一手の余裕を得た渡辺挑戦者。豊島玉近くにと金を作ります。渡辺玉は寄らず、豊島玉は受けが難しい。形勢は一気に渡辺勝勢となりました。

 豊島名人の残り時間は削られていき、やがて渡辺挑戦者よりも少なくなります。それはそのまま、豊島名人の苦境を表しているようです。

 盤面右に目をやると、豊島名人の棒銀がさばけないまま残っています。そちらもまた、名人の非勢を表しているようです。

 109手目。豊島名人はあたりになっている龍を逃げます。残りは30分。

 対して渡辺挑戦者はすぐにと金で、豊島陣の金を取ります。残りは36分。

 豊島名人は頭に左手をやり、ゆっくり手をおろします。そして盤面から顔をあげ、中空を見上げました。

「豊島先生、残り25分です」

 19時39分頃、記録係が声をかけます。

 名人の手はなかなか盤上に伸びません。そして残り18分となったところで、金取りに歩を打ちました。

 形勢でも時間で優位に立った渡辺挑戦者。3分を使って同金と取りました。そして豊島名人の龍を追いながら、優位をキープし続けます。

「豊島先生、残り15分です」

 19時54分頃、記録係が声をかけます。その声にうながされるように、名人は成桂を寄って王手をかけます。渡辺挑戦者は1分で玉を前進させ、広く手厚い上部へと抜けていきました。そして手堅くゴールを目指します。

 20時15分頃、125手目を考慮中に、豊島名人はマスクをつけました。

「豊島先生、残り10分です」

 すぐに記録係から声がかかります。そして四段目の棒銀をじっと三段目に引きました。残りは9分。

 126手目。渡辺挑戦者は銀取りに歩を打ちます。残りは20分。万が一にも負けないという手で、自玉に近い銀を追い、さらに安全を確立させます。

 128手目。渡辺挑戦者は自陣に桂を打ち、さらにまた龍を追います。残りは17分。これもまた、絶対に負けないという手です。

 残り8分の豊島名人。水割りの栄養ドリンクではなく、ジュースを飲みました。記録係の秒読みの声が響く中、刻々と時間はなくなっていきます。正座に戻って、盤面を見つめます。そしてしばらくの間、中空を見つめていました。

 残りは3分。豊島名人はもう一度ジュースを口にしました。そしてグラスを置き、右手を駒台に伸ばします。

「負けました」

 豊島名人が頭を下げたのに対して、渡辺挑戦者も一礼を返しました。そしてマスクをして、対局室に報道陣が駆けつけるのを待ちました。

 小学4年で小学生名人となり「未来の名人候補」と目された渡辺少年。中学生のうちに四段昇段を決め、のちには竜王位11期をはじめ、タイトル獲得25期を誇る超一流棋士へと成長しました。

 しかし不思議なことに、名人戦には縁がありませんでした。A級順位戦では毎期好成績を収めながらも、なかなか挑戦権獲得にまで結びつきません。そしてついにはB級1組陥落という苦杯もなめることにもなりました。

 しかしそこから「名人候補」は劇的な復活を遂げます。B級1組は12戦全勝でA級復帰。そしてA級では9戦全勝で名人挑戦権を獲得しました。

 名人戦七番勝負では3勝2敗。幼き頃から名人候補と呼ばれた渡辺挑戦者。ついに名人位獲得まで、あと1勝と迫りました。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

松本博文の最近の記事