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苦労人・今泉健司四段(46)五段昇段の一番を「二手指し」の反則負けで落とす

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 6月1日。今泉健司四段(46歳)はヒューリック杯棋聖戦一次予選に臨みました。10時からおこなわれた1回戦では星野良生四段に勝利。四段昇段後99勝目をあげ、通算100勝達成、および五段昇段まであと1勝と迫りました。

 続く2回戦。今泉四段は中盤で「二手指し」の反則をしてしまいました。

 今泉四段に電話で少し話を聞いたところ、中盤でのことだったそうです。次に指す手を決めていて、バシッと指したら、相手がまだ指してなくて二手指しだった。

「お恥ずかしいです」

 今泉四段は何度かその言葉を繰り返していました。

 二手指しはプロの公式戦でもしばしば起こる反則です。先を読んでのことなので、ある意味では、上級者らしい反則と言えるかもしれません。

 反則が即負けとなってしまうのは、厳しいようですが、現代将棋界の鉄則です。今泉四段の師匠である桐谷広人七段は以前、次のように語っています。

桐谷「うっかり2手続けて指してしまう人を気の毒だな、と思うことはあります。しかし、ほとんどの棋士にとって、公式戦で反則をしてしまうというのは一生のうちに1回か2回、あるかないかでしょう。1回も反則をしない人の方が多いはずです。『反則は負けで当然だ』と考えている棋士がほとんどでしょう」

 今泉四段が棋士となってからの初の反則負けが五段昇段の一番だった。それは七転び八起きの今泉さんの将棋人生を象徴する出来事かもしれません。

 今泉さんはこれまでの人生で4回、反則負けがあるそうです。奨励会在籍時に二手指しと二歩。アマチュア時、全国大会出場がかかった予選決勝で二歩。そして今回の二手指し、というわけです。

 今泉さんは奨励会での反則負けを、次のように記しています。

たとえば3級のころ、ぼくは「二手指し」の反則を犯してる。盤上を眺めていてやけにうまい手が見えて、バシッとその手を指すと、対戦相手が満面の笑みを浮かべ、「ありがとう」と言って去っていった。チェスクロックをみると相手の時間が進んでいる。ぼくは相手の手番なのに指してしまったのだ。これは反則負けとなる。負の流れは止まらず、ぼくは一気に10連敗を喫した。

出典:今泉健司『介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました』62p

 以上の記述のあるページには、奨励会時代の今泉さんの写真が掲載されています。今泉さんの横顔の上には、壁に中原誠16世名人揮毫の色紙が二つ飾られています。

 一つには「無心」と書かれています。無心であること。それは生身の人間には、なかなか難しい。将棋を指していればなおさら、誰もが痛切に感じることでしょう。

 もう一つには「人間万事塞翁ヶ馬」。にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま。これは中原16世名人の座右の銘です。

塞翁が馬(さいおうがうま)

[淮南子[人間訓]]塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命長らえたという故事。人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ。塞翁失馬。「人間万事―」

出典:『広辞苑』第7版

 人生は何が幸運につながるか、不運につながるかはわかりません。今泉四段が奨励会で二度挫折して、苦労の末に棋士となったからこそ、今泉四段の不屈の生き方に共感するファンは多く存在します。

 加藤一二三九段や藤井聡太七段という桁違いの早熟の天才は、14歳で四段、15歳で五段に昇段しました。一方で遅咲きの今泉さんは41歳で四段昇段。現在は46歳で、ようやく五段に昇段しようとしています。加藤九段や藤井七段の年少記録が将棋史に必ず残るように、今泉さんの年長記録もまた、必ず残ります。

 今泉四段の昇段の一局がネットで中継されていなかったのは残念でした。いや、もしかしたらそれも「塞翁が馬」かもしれません。いずれ多くのファンが対局を見つめる中で勝利を収め、五段昇段を勝ち取ることでしょう。

 今泉四段と同い年の筆者もまた、今泉四段のファンの一人です。次戦以降に期待します。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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