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伝説の名勝負▲羽生善治五段(18)-△加藤一二三九段(49)戦、31年の時を経てアンコール放映決定

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 コロナ禍のため、第70回(2020年度)NHK杯将棋トーナメントは1回戦の進行が休止中です。

 現在はアンコール放映がおこなわれています。

 公式ページの表記で「未定」となっていた5月17日の枠は、1998年度NHK杯準々決勝(4回戦)▲羽生善治五段(18歳)-△加藤一二三九段(49歳)戦が放映されることとなりました。(年齢、段位は当時。以下本稿は「羽生五段」で統一)

 これは誰もが納得というセレクトでしょう。収録は1989年1月9日。平成改元後、最初の公式対局は、将棋史に残る名勝負となりました。

「リアルタイムで見て、何度も棋譜を並べ返した」

 そんな方もおられるでしょう。一方で、

「自分が生まれるずいぶん前の対局! どんな手が出て、どっちが勝つんだろう・・・?」

 という若い方もおられるかもしれません。

 改めて、当時の将棋界の状況をたどってみましょう。

スーパールーキー羽生五段

 現在の藤井聡太七段は言うまでもなく、スーパールーキーです。フルシーズン参戦3年目の2019年度(年齢は16歳から17歳)には53勝12敗(勝率0.815)。3年連続勝率8割という、とんでもない記録を打ち立てました。

 一方で同じフルシーズン3年目、1988年度の羽生善治五段(当時17歳から18歳)もまたすさまじい勢いで勝ち続けました。

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 最終成績は64勝16敗(勝率0.800)。勝率、対局数、勝数、連勝(18連勝)と記録4部門をすべて制覇。羽生五段はまだタイトル獲得はありませんでしたが、最優秀棋士賞を受賞しています。タイトルを保持していない棋士が最優秀棋士賞に選出された例は、後にも先にも、この一度だけです。

 昔も今も、NHK杯はファンからの注目を大きく集めます。羽生五段の強さが特に印象づけられたのは、NHK杯での活躍でした。

1回戦、山口英夫七段戦

 若き日の羽生五段のNHK杯の対戦は、AbemaTVでも公開されています。未見の方は、ぜひご覧ください。筆者も今回改めて、フルで見返しました。

 1988年度NHK杯、羽生五段の1回戦の相手は山口英夫七段(後に八段)でした。

 解説の原田泰夫九段は羽生五段のことを「常勝無敵の大天才の少年」「将棋の歴史始まって以来の大棋士になるということも考えられますね」「十段半ぐらいの力がありそう」「17歳の秀才天才少年」と絶賛しています。

 山口英夫七段は1970年の第1回新人王戦優勝者。中飛車に振ってもその先の歩は突かない「英(ひで)ちゃん流中飛車」の使い手として知られていました。

 ▲羽生-△山口戦もまた、山口七段は中飛車にした後、5筋の歩をなかなか突きませんでした。

 対して羽生五段は天守閣美濃に組みます。それは松浦卓造八段(1915-77)が郷里(広島県三原市)の山の岩の上に腰掛けて創案したとされる構えでした。松浦八段は同郷の山口七段(呉市出身)の才能を見出した人でもありました。

 羽生五段が3筋から仕掛け、山口七段が反発して戦いが始まりました。羽生五段は先に駒得をして優位を築きます。

「いかに常勝無敵でも、人間だから誤ることがなきにしもあらず」

 解説の原田九段はそう述べています。しかし羽生五段はノーミスで優位を拡大していきます。最後は自玉近くに相手のと金が迫るものの、馬がよく利いていて詰みません。正確な速度計算で、羽生五段が一手勝ち。77手での快勝でした。

 羽生五段はこれで公式戦16連勝。さらには18連勝にまで伸ばして、この年、最多連勝賞を受賞しています。連勝を止めたのは大山康晴15世名人でした。

2回戦、福崎文吾七段戦

 それまで実績のない新人がNHK杯に出場するには、予選を勝ち抜く必要がありますが、羽生五段は1年目から予選を突破。そこで対戦して勝利をあげたのが、福崎文吾七段(現九段)でした。

 福崎七段は1986年、米長邦雄十段(当時)から十段位を獲得。また後年、谷川浩司王座(当時)から王座を獲得しました。

 1992年、福崎王座からタイトルを奪ったのが羽生棋王(当時)でした。羽生王座はそこから19連覇という空前の大記録を打ち立てました。

 この期のNHK杯▲福崎-△羽生戦は、知る人ぞ知る、大変な名局です。

 福崎七段先手で戦型は相矢倉となりました。福崎七段といえば振り飛車穴熊の使い手としてのイメージが鮮烈ですが、矢倉もまた強い。

 角交換の後、羽生五段は福崎陣に角を打ち込み、馬(成角)を作ります。福崎七段がその馬を捕獲して、駒割は羽生五段が角金交換の駒損。羽生五段はそこから猛攻を続けていきます。

 今度は福崎七段が羽生陣に角を打ち込み、馬を作ります。難しい中盤戦が続きましたが、福崎七段の馬が攻防によく利く展開となり、形勢は福崎よしとなりました。

 終盤、手番を握った福崎七段は、馬、角を切って羽生玉に迫ります。羽生玉は端に追い込まれ、絶体絶命のピンチに陥ったかと思われました。

 今度は羽生五段が福崎玉を追いかける番です。羽生五段の駒台には飛角角と大駒3枚が乗っています。しかし福崎陣の上部は手厚い。

 はたしてどちらが勝ちなのか。早指しのNHK杯らしい、スリリングな最終盤が続いてきます。

 羽生五段は手を戻して、銀を引いて自玉の詰めろを受けました。

「へえー」

 とうなる解説の加藤治郎名誉九段。あの手この手で、容易に相手を楽にさせません。

 福崎七段が詰めろを続けようと駒を渡せば、自玉が詰んでしまいます。追い込まれたかに見えた端玉が深く、一手の余裕が生じる。実に現代将棋らしい終盤術と言えるかもしれません。

 恐るべき終盤力を誇る羽生五段も、あわただしい秒読みの中、最善手を続けられたわけではありません。最後は正確に指せば、福崎七段勝勢の局面を迎えました。

 羽生五段は王手で歩を打ちます。この歩を取るか。それともどこかにかわすか。あまりに難しい終盤で、時間があればもちろん考えたいところです。秒を読まれた福崎七段は左上にかわす順を選びました。それが敗着で、羽生五段に攻防の鮮やかな決め手が生じました。

 最後は福崎玉が羽生陣手前の中段で詰み上がって終局。「羽生マジック」と称される羽生五段の終盤術がきわだった一局となりました。

 スター棋士が過密日程に追われるのは昔も今も変わりません。本局が収録された翌日、羽生五段はC級1組順位戦に臨みました。対戦相手は泉正樹五段(現八段)。決着がついたのは日付が変わった深夜。羽生玉が絶体絶命の受けなしに見えたところから、まさかという攻防の手順があり、きわどくしのいで羽生五段の勝ちとなりました。その一局も「羽生マジック」が出た代表例の一つです。

3回戦、大山康晴15世名人戦

 大山康晴15世名人(1923-92)は言うまでもなく、将棋史上に燦然と名を残す大棋士です。通算勝数1433勝。タイトル獲得総数80期。NHK杯優勝8回。これらはみな、羽生現九段に抜かれるまで、史上1位の成績でした。

 大山-羽生の初手合は1988年度の王将戦二次予選。大山15世名人が羽生五段の連勝を18で止めました。この時、大山15世名人は65歳。羽生五段は17歳。現在17歳の藤井七段がもし六十代の棋士に敗れたら、おそらくは大ニュースになるでしょう。

 NHK杯の大山-羽生戦が収録された時、羽生五段は18歳に。直前におこなわれた新人王戦決勝三番勝負では森内俊之四段(現九段)を2連勝で降して優勝を飾っています。

 NHK杯の解説を務めたのは森けい二王位。対局開始前に、次のように語っています。

森「なんといっても大山15世名人はおじさん族の代表ですしね。羽生五段の方も今の若い新人類の筆頭みたいな感じですから。心情的に言えば、おじさんにがんばっていただきたいんですが(笑)」

 ▲羽生-△大山戦は羽生五段先手。後手番の大山15世名人は中飛車の作戦で臨みました。対して羽生五段は急戦の構えから棒銀の形にして攻めていきます。

 大山15世名人は美濃囲いの玉のそばに飛車を寄せ、舟囲いの羽生玉の上部から攻める「袖飛車」で反撃します。これは大山15世名人が得意とした指し方です。

 玉頭の怖いところを羽生五段は的確に対応し、逆に厚みを築くことに成功します。棒銀も中段に進め、まずは羽生五段が優位に立ちました。

 そして今度は羽生五段が大山玉の上部から動いていきます。銀を打ち込み、桂を跳ね出し、受けの達人の大山15世名人を相手に次々とハードパンチを浴びせていきます。

 大山15世名人も反撃し、互いの玉が危ない形となった最終盤。羽生五段が王手で打った角が攻防の名手でした。合駒に歩を打たせることによって、後に自玉が追われた時に「二歩」の反則で歩を打たれることがなく、詰みが消えています。

「負けですね」

 手数は95手。大山15世名人は駒台に手を置いて、投了の意思を示しました。

「いやあ、たいしたもんですねえ・・・」

 聞き手の永井英明さんが、そうつぶやきます。無敵の大山時代を知る多くの将棋ファンもまた、テレビの前でそんなつぶやきをしたことでしょう。

準々決勝、伝説の加藤一二三九段戦へ

 改めて、トーナメント表を見てみましょう。

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 Bブロックで勝ち残っているのは元名人でベテランの加藤九段。当時トップの谷川名人。そして十代の羽生五段、先崎四段。平成はじめの将棋界の状況を端的に示しているようでもあります。

 長考派の加藤九段は、序中盤で惜しみなく時間を使うスタイルで知られています。そして時間がなくなって一手60秒以内に指す「一分将棋」の状況になっても誤らないことから「一分将棋の神様」とも呼ばれました。

 一手30秒以内に指すNHK杯では、この時までに優勝は6回。後には1993年度、さらに優勝を重ねて通算7回に。これは大山康晴15世名人の8回に次ぐ記録でした。

 ▲加藤-△羽生戦が収録されたのは、平成はじめの1989年1月9日。それから31年の長い時を経て、再びNHKで放映されます。令和の将棋ファンも必見の名勝負です。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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