将棋界で祝福される81歳「盤寿」の節目に加藤一二三九段と内藤國雄九段の「盤寿対決」は実現するか?
将棋盤は縦が9列、横が9段あります。ます目の数は9×9で、81となります。将棋界では「81」とは吉数、縁起のいい数です。
そこで昭和の頃から、81歳を迎えた人物を「盤寿」として祝うようになりました。
「盤寿」という言葉は1980年頃に加藤治郎名誉九段(1910-96)が作ったようです。
碁盤には縦19×横19の線が引かれ、黒白の石を置く361の交点があります。361歳まで生きるのは、確かにちょっと大変そうです。
「盤寿」という言葉は、代表的な中型辞書の一つである『大辞林』には第3版(2006年刊)から掲載されています。
判じ物のようですが「半寿」もまた、81歳を祝うものです。その意味をもしご存知ない方は、クイズとして少しお考えください。
「半寿」という言葉もそう古い言葉ではなさそうですが、まず「半寿」があって、次に将棋界で「盤寿」ができたというわけです。
代表的な中型辞書である『広辞苑』には「半寿」は第5版(1998年刊)から、「盤寿」は第6版(2008年刊)から掲載されています。最新の第7版(2018年刊)には次のように記されています。
将棋界では1984年、木村義雄14世名人(1905-86)が盤寿を迎える前年に、その祝いをしたことがよく知られています。木村名人は85年に数え年で、翌86年には満年齢でも81歳を迎えました。
木村名人が亡くなったのは1986年11月17日。奇しくも御城将棋の日、1975年からは「将棋の日」として定められた日でした。
ちょうどこの日、東京・将棋会館の隣りの鳩森神社に作られた「将棋堂」の完工・奉納式がおこなわれていた際に、木村名人の訃報がもたらされたそうです。81歳の盤寿をまっとうして、御城将棋の日、それも新築の将棋堂のセレモニーがおこなわれる日が命日とは、何とも大名人らしいことと言えるでしょう。
木村14世名人以後も、将棋界では盤寿を迎える棋士は何人も現れました。
将棋連盟では、数え年で81歳になった棋士を盤寿として表彰しています。最近では満年齢81歳をもって一門や関係者で祝いの席を設ける例も多いようです。
二上達也九段(1932-2016)は、棋聖4期、王将1期、A級通算27期などの実績を誇る名棋士です。将棋連盟会長を長く務め、羽生善治九段の師匠としても知られています。
二上九段は2004年に刊行した著書の結びに、次のように記しています。
現役名人の佐藤天彦名人がコンピュータ将棋ソフトPONANZA(ポナンザ)と対戦したのは、2017年のことでした。その少し前に、二上九段は84歳で亡くなっています。
二上九段の生前の2007年には渡辺明竜王、12年には元名人の米長邦雄永世棋聖が対戦し、2013年以後の電王戦ではコンピュータが人間に勝ち越すほどに強くなっています。二上九段の夢は、ほぼかなったと言えるのではないでしょうか。
今年2019年には、満年齢で80歳、数え年で81歳の内藤國雄九段と若松政和八段が盤寿の表彰を受けています。
若松八段は谷川浩司九段、井上慶太九段、藤原直哉七段の師匠です。
内藤九段は棋聖2期、王位2期、A級通算17期などの実績を誇る名棋士です。
その内藤九段は2018年、NHKの番組に出演した際に次のように語っています。
加藤一二三九段は名人位獲得など数々の実績を誇る、やはり将棋史に残る名棋士です。
現役時には内藤九段、二上九段らと数々の激闘を繰り広げました。
加藤九段も盤寿対決の実現を願っています。
内藤九段は75歳、加藤九段は77歳で現役を引退しました。両者が久々に一戦を交えるとすれば、大いに注目を集めることでしょう。