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広瀬章人竜王(32)さすがの終盤力でカド番をしのぎ1勝を返す 竜王戦七番勝負第4局

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 11月21日・22日、山梨県甲府市・常磐ホテルにおいて、竜王戦七番勝負第4局▲広瀬章人竜王(32歳)-△豊島将之名人(29歳)戦がおこなわれました。21日9時に始まった対局は22日18時56分に終局。結果は135手で広瀬竜王の勝ちとなりました。

 広瀬竜王は3連敗から1勝。まずは1度「カド番」をしのいで、逆転防衛に望みをつなぎました。

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 第5局は12月6日・7日、島根県津和野町の藩校養老館でおこなわれます。

広瀬竜王、正確で安定の終盤力

 広瀬竜王といえば、つい先日、19日におこなわれた王将戦挑戦者決定戦での激闘が記憶に新しいところです。

【前記事】

藤井聡太七段(17)劇的な頓死で広瀬章人竜王(32)に逆転負け 史上最年少タイトル挑戦を逸す

 広瀬竜王は歴史的な一戦を制し、王将挑戦権を得た翌日が、竜王戦第4局の移動日。トップ棋士は常にハードスケジュールとも戦い続けることになります。

 竜王戦七番勝負はここまで、挑戦者の豊島名人が3連勝。広瀬竜王は「カド番」に追い込まれていました。

【参考記事】

将棋用語の「カド番」

 将棋タイトル戦の七番勝負において、3連敗からの4連勝は、過去に2回。2008年の竜王戦七番勝負において、渡辺明竜王が羽生善治名人を相手に、史上初めてそれを達成しています。

 豊島現名人は今年度春の名人戦七番勝負においては挑戦者の立場で、佐藤天彦名人を4連勝のストレートで破っています。このまま一気に「竜王・名人」の同時制覇なるか、というところでした。

 第4局の先手は広瀬竜王。作戦は矢倉でした。最近の将棋界ではどちらかといえば珍しい戦法ですが、先日の▲藤井聡太-△広瀬戦でも、矢倉の戦いとなっています。

 かつてと比べると、最近の矢倉はずいぶんと様変わりをしています。

 かつては先手は飛車先の歩を突かず、保留して駒組を進めることが多かった。しかし後手が足早に攻める手法が見られるようになってから、すぐに突き越す方が主流となりました。その点だけを見れば、時代がまた、昭和の半ば頃に戻ったようです。

 広瀬竜王は飛車先の歩を伸ばした上で、まずは急戦の構えを見せました。これは米長邦雄永世棋聖が1980年代に見せた「米長流急戦矢倉」に通じる形です。

 本局では急戦には進みませんでした。後手の豊島名人が従来の堅さ重視の金矢倉に組んだのに対して、広瀬竜王は左側の金を中央に上がる、最近よく見られるようになった、バランス重視の構えにしました。

 中盤で水面下の駆け引きがあった後、まずは豊島名人が端の歩をぶつけて仕掛けていきました。

 広瀬竜王はここで封じ手とし、1日目が終わりました。

 2日目に入って、広瀬竜王も反撃。広瀬竜王は角香交換の駒損ながら豊島玉の近くから攻め入って、豊島玉を盤面隅に追い込みます。

 形勢は均衡したまま、終盤戦を迎えました。厳密には、まずは広瀬竜王がリードを奪っていたようです。ただし局面は難解。どちらが勝っているのかは、はっきりとはわかりませんでした。

 最終盤、あるいは豊島名人にもチャンスがあったのかもしれません。

 しかし本局では、広瀬竜王の正確で安定した終盤力が終始光りました。

 豊島名人も手段を尽くして攻防の順を探りましたが、広瀬竜王は崩れませんでした。

 最後は広瀬竜王が豊島玉の長手順の詰みを読み切りました。豊島名人は、逃げようと思えば最長で二十手近く逃げられます。しかしその前に潔く投了しました。

「なかなか厳しい戦いでしたが、一つ勝ててほっとしています」

 局後に広瀬竜王はそうコメントしていました。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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