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将棋盤の上にカップラーメンを乗せても、村山聖九段は偉大な棋士だった

松本博文将棋ライター
(写真撮影:筆者)

 白水社さんの公式アカウントのツイートが批判されているようです。

 カップラーメンの上に置かれているのは、白水社さんから2006年に出版された『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー著、村上春樹訳)です。

 カップラーメンにお湯を注いだ後、蓋が開かないように、本で重しを乗せる。そうしたことを版元の出版社がおこない、それを撮影してSNSにアップするのはいかがなものか。そうした趣旨の批判が向けられているようです。

 ツイートのハッシュタグにもある通り、これは現在公開されているアニメ映画「天気の子」に登場するシーンを踏まえているようです。

 筆者はまだ劇場で観ていないのですが、公式の予告動画でも、そのシーンを見つけることができます。(下の動画の3分13秒あたり)

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が置かれているのは、アニメではカップヌードルではなくて、どん兵衛ですが。

 正直なところ、筆者の感想としては、映画の一シーンを踏まえているのであれば、そうした批判はどうなのかな、と思いました。白水社さんのツイートからは、本を雑に扱っているというよりは、作り手、送り手の愛情が感じられたからでもあります。

 もちろん、「映画で取り上げられているという事情は抜きにして、出版社がそういうことをおこなうべきではない」と言われれば、それは正しいでしょうし、返す言葉がないので、そこで黙ることになります。

 これが本ではなく、何か他の平たい物、たとえば木の板などであれば、批判を受けるようなことはなかったのでしょう。そこにはやはり、多くの人にとっては、本はモノ以上の何かである、という意識が存在するからのようにも思われます。

 さて、筆者がこの件で連想したのは、将棋愛好者と棋具(盤駒などの将棋の道具)との関係です。将棋愛好者は棋具が粗略に扱われているのを見ると、それだけで不快な思いがするようです。筆者もまた、その中の一人です。

 ドラマなどで駒を投げつけるシーンなどを目にすると、どうにも悲しい思いがします。シチュエーションにもよりますが、たいていの場合は、そこには将棋に対する愛があまり感じられないからでしょう。

 もし子供が将棋盤を足で踏んづけて、その上にあがって遊んでいるとしたら、多くの親は、そういうことはしないようにと注意するでしょう。

 宮中行事に由来する「碁盤の儀」を七五三などでおこなう神社があります。子を碁盤の上に立たせて、そこから飛び降りるというもので、これは古くからある儀式のようです。しかし、そうではあっても、囲碁の愛好者から見れば、子を盤の上に立たせるのは、どうにも気がとがめる、という人もいるでしょう。

 では、将棋盤を食卓代わりにするのはどうでしょうか。これは実際にそうしたシーンが、あるドラマで放映されたことがありました。案の定というか、将棋クラスタの間ではやはり、いかがなものか、という声が多く上がりました。

 一方で、愛情が深いことの反映として、そういうことがされる場合もまたあるでしょう。若くして亡くなった天才・村山聖九段(1969-98)のエピソードは、その一例かもしれません。

 現在は観戦記者である加藤昌彦さんは、かつては棋士を目指す奨励会員でした。同じ将棋を伝える側の一人として、筆者は加藤さんに大変お世話になりました。余談ですが、加藤さんの棋士のモノマネは絶品で、筆者はそれを見せてもらうたびに爆笑させられます。

 加藤さんは、年齢的には村山さんの少し先輩にあたりました。大崎善生さんのノンフィクション『聖の青春』では、加藤さんは重要な登場人物の一人として登場します。

 奨励会員の加藤さんが、先に棋士になった村山さんのアパートに泊まり込み、将棋を指し続ける。そして夜明けにおなかが空いたので、カップラーメンを作ろうとした時のこと。村山さんは将棋盤の上にカップラーメンを置いて、お湯を注ぎはじめた。加藤さんは驚いて、そんなことをしたら将棋の神様に嫌われる、バチが当たる、という。対して村山さんはこう答えたそうです。

「僕は将棋の盤に親しみをこめて、生活の一部としているんです。だからこうして使うんであって、僕が将棋の神様に嫌われるということはないでしょう」

出典:大崎善生『聖の青春』

 これをなるほどと思うか。それともやっぱり「神聖」な将棋盤をそんなことに使ってはいけないと思うか。それは人それぞれでしょう。

 筆者はその話を聞いて、笑える話でもあり、また、泣ける話のようにも思われました。それはもちろん、村山九段が病魔と戦いながら、誰よりも真摯に、その人生を将棋に捧げたことを知っていればこそでしょう。

 カップラーメンの上に本を乗せることと同様に、将棋盤の上にカップラーメンを乗せるのも、それはもしかしたら、よくないことなのかもしれません。しかし、誰かの青春時代の貴重なエピソードをもし知る機会があれば、どこかでさりげなく、うまく紹介できるようでいたいとは、一人のライターとして思います。

 村山聖九段は今から21年前の1998年、29歳の若さで亡くなられました。明日8月8日は、その命日にあたります。謹んで、心より哀悼の意を表します。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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