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C級1組で藤井聡太七段(16)と対戦する堀口一史座七段(44)の歴史的長考記録

松本博文将棋ライター
(写真撮影・画像作成:筆者)

 2019年7月2日。関西将棋会館においてC級1組順位戦2回戦・堀口一史座(かずしざ)七段(44歳)-藤井聡太七段(16歳)戦がおこなわれます。両者にとっては、これが初めての対戦となります。

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 6月18日の1回戦では、藤井七段は村田顕弘六段と対戦。難解と思われた最終盤において、目をみはるような鮮やかな勝ちへの手順を示し、118手で熱戦を制しました。

 順位戦の対局は午前中の10時に始まります。持ち時間はそれぞれ6時間あるため、終局はおおむね夜遅くになります。藤井七段-村田六段戦は、22時44分の終局でした。

 一方で堀口七段は阪口悟六段と対戦。結果は66手で阪口六段の勝ち。堀口七段の消費時間は、わずかに11分。終了時刻は11時47分と、順位戦にしてはあまりに早い終局でした。

 堀口一史座七段は順位戦では、過去にB級1組に在籍し、A級昇級まであと一歩と迫った実力者です。

 2002年には第1回朝日オープン将棋選手権で優勝し、初代選手権者となりました。ちなみにその時、決勝五番勝負で優勝を争ったのが、藤井七段の師匠である杉本昌隆現八段です。

 そして堀口七段は、将棋史に残る歴史的な大長考をしたことでも知られています。筆者は当時、その模様を一部始終、目の当たりにしていました。本稿ではその一局を振り返ってみたいと思います。

5時間24分 堀口一史座七段の歴史的大長考

 2005年9月2日。B級1組順位戦で、堀口一史座七段(当時30歳)は元A級の青野照市九段(当時52歳)と対戦しました。

堀口一史座七段
堀口一史座七段

 午前10時。青野九段の初手▲7六歩で対局は始まりました。席次上位の青野九段が特別対局室の最上席に座り、その対局の模様は東京・将棋会館の館内モニターに映されていました。

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 当時の堀口七段は、序盤から中盤にかけて、事前に研究・準備してあるところまではほぼノータイム。そして勝負どころで惜しみなく時間を使う。そうした戦略で臨むことが多かったように思われます。

 青野九段の慎重な時間の使い方は長丁場の順位戦らしいペース。対して堀口七段は、すぐに指す。1分(60秒)未満の消費時間は切り捨てのため、堀口七段の消費時間はゼロのまま進行していきます。

 11時半頃、55手目▲3四歩の局面まで進みました。

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 持ち時間6時間のうち、ここまでの消費時間は青野九段が1時間5分。対して堀口七段は、3手前の△6三金に5分を使っただけで、総計も5分でした。

 ここでぴたりと堀口七段の手が止まります。38分を使って、そのまま昼食休憩に入りました。当時の昼食休憩は12時10分からの50分(現在は12時0分からの40分)。対局は13時に再開となります。

 休憩中、対局者が頭の中で次の手を考えるのは、当然自由です。よって休憩の後、手番の側がすぐに指すことは多い。

 しかし堀口七段はこんこんと考え続けます。局面はまったく動きません。角換わり腰掛銀という戦形はその激しさが特徴で、一気に終盤戦となることもあり、中盤の一手がすぐに勝敗に直結するということもあります。

「アマは悪くなってから考える。プロは悪くなる前に考える」

 とはしばしば耳にするフレーズですが、中盤でいくらでも考える材料があるのが、棋士の棋士たるゆえんでしょう。

 そうであっても堀口七段の長考は、次第に異例とも思われる長さになっていきました。対局相手の青野九段は席をはずし、控え室で指し手を待っています。それでもまだ次の手は指されない。

 この時、中継する側が意識していたのは、近年の1日制での長考記録です。それが2001年6月におこなわれた王位戦リーグ▲金沢孝史四段-△屋敷伸之七段戦(段位はいずれも当時)でした。

 戦形は横歩取りで、当時の流行形。40手目の局面で金沢四段は長考に沈みます。そして持ち時間5時間のうちに実に金沢四段は41手目▲4六角に4時間46分を使いました。

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 持ち時間300分のうちの286分と換算して計算すると、この一手に全持ち時間の95パーセント以上をかけたことになります。

 残念ながら、金沢四段の長考は実ることはありませんでした。その後は次第に屋敷七段がリードを広げ、122手で屋敷七段の勝ちとなりました。

 将棋界では、長考は必ずしも結果に結びつかない、という現実があります。苦しい形勢で次の手を指すのに困り、迷い、悩んでの長考という場合も多いでしょう。

 しかし、この時の堀口七段の長考は、そういうわけではありません。形勢に差がついていない段階で先の先まで読み切ろうとする気力、そして体力が充実していないと、できなかったものでしょう。

 堀口七段の長考は、ついに金沢四段の記録を抜きました。そして17時46分頃。ようやく堀口七段の手が盤上に伸びました。

 堀口七段の次の一手は、銀取りに歩を突き出す△7六歩でした。

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 消費時間は実に5時間24分――。これが現在にまで残る1日制の対局での最長考記録です。

堀口七段が324分考えたことを示す棋譜用紙
堀口七段が324分考えたことを示す棋譜用紙

 堀口七段はそれだけの時間、何を考えていたのか。当時の流行形ですので、堀口七段も研究会では経験があった。いざ実戦で指されてみると、自信がなくなってきた。どうも、そうした理由だったようです。

 この後は、一気に終盤戦となりました。一転して、堀口七段はほとんど時間を使いません。

 大長考の一手から20手ほど進みました。青野九段はそこで25分を使いました。そして攻防ともに見込みなしと考え、次の手を指さず、投了しています。

終局後の特別対局室
終局後の特別対局室

 終了時刻は21時52分。持ち時間6時間のうち、消費時間は青野3時間45分、堀口5時間53分。歴史的な大長考がありながらも、終わってみれば堀口七段の方は、最後は時間を残しています。

 長考が結果に結びついたという点でも、堀口七段にとってはこの1勝は大きかったことでしょう。

会心の勝利で笑みを浮かべる堀口七段
会心の勝利で笑みを浮かべる堀口七段

 B級1組での星取りでは、勝った堀口七段は4勝1敗。負けた青野九段は5連敗となりました。

 この後、堀口七段は6勝1敗にまで星を伸ばします。A級昇級が大いに期待されましたが、その後に失速。最終的には6勝6敗で、昇級には届きませんでした。

 2013年。堀口七段は病気療養のため、公式戦を休場することになりました。そうした事情があるためか、復帰後は、やや精彩を欠いた対局が見られるようになりました。

 かつての堀口七段の充実を知るファンや関係者であれば、近年、堀口七段が残している棋譜を見るたびに、歯噛みをしたくなるような悔しさ、残念さがあることと思います。堀口七段の今後の巻き返しを祈らずにはいられません。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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