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なでしこリーグ日体大主将・FW李誠雅が学生ラストシーズンに直面した大きな試練。すべては夢への通過点に

松原渓スポーツジャーナリスト
李誠雅

【主将としての責任】

 東京五輪の中断期間を経て、8月28日になでしこリーグが再開した。9月12日に、女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が開幕するが、アマチュアリーグのトップリーグとなるなでしこリーグは3月に開幕してすでに16試合を終えており、残すところ6試合。9月2日現在、伊賀FCくノ一が首位を快走しており、勝ち点11差で2位の日体大FIELDS横浜が追走する。

 日体大は3節から8節まで6連勝と勢いに乗っていたが、9節以降、思うように勝ち点を伸ばすことができていない。その理由の一つが、背番号10を背負うエースストライカーで、キャプテンのFW李誠雅(リ・ソンア)のケガによる離脱だろう。

 第9節のスフィーダ世田谷FC戦で負傷した李の診断結果は、右膝の前十字靭帯断裂及び半月板損傷だった。一般的に全治までは6カ月〜8カ月以上を要するため、今季のリーグ戦復帰は絶望的だ。チームは、李以外にも主力選手のケガや、教育実習を控えた4年生の離脱などでベストメンバーを組めない状況が続いており、正念場を迎えている。だが、李は逆転優勝を諦めてはいない。

「ピッチには立てないけれど、キャプテンとしてやれることはあると思うし、チームを支えたいです。首位の伊賀を抜いて優勝する可能性は低いと思われているでしょうし、実際に厳しい状況ではありますが、諦めるつもりはないし、『絶対に(優勝)できる』と、チームに伝えています」

 日体大は所属選手数が多く、なでしこリーグを戦う「日体大FIELDS横浜」と、大学リーグや神奈川県リーグを戦う学生のみのチームがある。どちらも学生主体ではあるが、前者は社会人選手もプレーすることができる。だが、昨季終了後に社会人選手たちが引退や移籍などでチームを離れたため、今季は学生のみのチームとなった。特に、昨季まで背番号10をつけ、主将として様々な責任を一手に引き受けてきた大黒柱の嶋田千秋が引退を表明したことは、チームにとって大きな転機であり、試練となった。そして、嶋田からキャプテンマークと背番号を引き継いだのが、4年生になった李だった。今季は、学生として臨むラストシーズンである。

 そのプレッシャーを力に変えた李は、スピードを生かした動き出しや前線でのキープなど、多彩なプレーと得点でチームを牽引。3月28日の開幕ゴールを皮切りに、8節までに5ゴールを決め、チームは7勝1敗と最高の出だしを見せた。ピッチでの立居振る舞いからも、李の新主将としての風格が感じられた。

新主将として頼もしくチームを牽引してきた
新主将として頼もしくチームを牽引してきた

 しかしーー。5月23日、AGFフィールド(東京都調布市)で行われたスフィーダ戦の開始早々に、悲劇は起こった。左サイドで、味方からのスルーパスを受けようと相手DFと並走した際、途中で右足から崩れ落ちるようにして倒れた。心配して近寄った相手選手が、即座に両腕でバツ印を作り、担架を要請。ただならぬ雰囲気に、観客も固唾を飲んで見守る中、李は担架の上で顔をタオルで覆い、医務室へと運ばれていった。

 この時、李の脳裏を占めていたのは、先に待ち受ける長い試練だったという。

「靭帯が切れた音が聞こえて、痛くて膝が動かなかったので、『これは切れたな』と、すぐにわかりました。いろいろなことが頭をよぎりましたが、一つは、『なでしこリーグではもうプレーできないんだな』という悔しさです。ただ、それよりも辛かったのは、自分が与えられたキャプテンとしての立場をピッチの上でまっとうできなくなることでした。(嶋田)千秋さんからキャプテンを受け継いで、決意を持ってプレーしていましたから……交代する時にキャプテンマークを渡す時は、本当に辛かったです」

 李のキャプテンシーには、前キャプテンの嶋田の影響が色濃く感じられる。日体大生として4年、社会人選手として5年間チームを導いた嶋田は、責任感が強くて熱く、だが繊細な面も持ち合わせた闘将だった。年が離れた学生選手たちと真正面から向き合い、監督とのつなぎ役も果たした。

 引退後、東京ヴェルディアカデミーのジュニアチームでコーチをしている嶋田は、李のことをいつも気にかけている。李のことをよく知り、何よりその人間性を信頼して、次のキャプテンに推したのも嶋田だった。

「ソンアは元々、周りが見えるタイプではなく、自分のことで精一杯になってしまう面もありました。ただ、責任感が強く、自分が大事にして欲しいと思っていた、日体大のキャプテンらしさは彼女が一番持っていると思ったし、チームをまとめられるのは彼女しかいないと思い、監督にも伝えました。ソンアに伝えたことは、自分の思いだけではなく、『チームのため』という軸がある上での思いならいずれ伝わるし、必ず味方がつくからどんどん発信した方がいいと言うこと。それから、感じたことをストレートに伝えることが何よりも相手の心に響くから、言葉や文章を考えないで伝えた方がいい、ということです」

 李は、その言葉を大切にしている。今も、悩んだときには嶋田に連絡をして話をすることがあるという。

「千秋さんのキャプテンとしての振る舞いを3年間、ずっと見てきました。大黒柱としてチームを育ててくれたその想いや、チームの伝統や文化を繋げていかないといけないと思っています。キャプテンになって最初は何から手をつけていいかわからなかったのですが、どんな時でも『チームのため』という軸だけはぶらさずに戦っていこう、と決めました」

 担架で運ばれたわずか10分後、李は両手に松葉杖を抱えて足を引きずり、ベンチに戻ってきた。右膝をテーピングと氷嚢で固定された痛々しい姿だったが、大きな声でピッチに向かって声をかけ、飲水タイムにはピッチ脇まで出て行って明るく仲間を鼓舞していた。

ピッチ脇で声を掛ける李。中央は大槻茂久監督
ピッチ脇で声を掛ける李。中央は大槻茂久監督

 結局、試合は0-1で敗れたが、試合後はスタンドのサポーターに向かって挨拶をし、胸を張って頭を下げた。その後、選手たちがクールダウンを始めると、李はピッチに近づき、芝に語りかけるように優しく撫でた後、誰もいないグラウンドに挨拶をするように頭を下げた。

「今季はもう、なでしこリーグのユニフォームを着てピッチには帰って来られないけど、絶対にこのピッチにサッカー選手として戻ってくるね、とグラウンドに伝えて、自分自身にも言い聞かせていました」

 李の心に張り詰めていたものが溢れ出したように見えたのは、観客席から人が消え、同じ4年のルームメイトで、守備の大黒柱でもあるDF関口真衣と向き合った時だった。関口もケガの深刻さを悟ったかのように肩を落としていたが、辛い時期を共に乗り越えてきた同僚の存在が、李を支えていた。

 李を取材したのは、手術から2カ月半が経った8月末。現在、リハビリは順調で、少しずつ走ったり、ボールを触ったりすることもできるようになってきたという。

【夢を叶えるための決断と、日体大での4シーズン】

 李は、大阪生まれ、大阪育ちの在日朝鮮人3世だ。中学生時代は東大阪朝鮮中級学校のサッカー部で男子に混じってプレーした。この頃に、基礎技術やサッカーとの向き合い方など、選手としての基礎を築いた。

「中学校時代、1、2年生の時の監督が、サッカーの面白さや、努力することの大切さ、自分のサッカー選手としてのパーソナリティの土台となる部分を教えてくださって。その頃から、願いが叶わない時に、自分の努力が足りなかった、と思えるようになりました。絶対に叶えたい夢があったので、『自分の才能では無理だ』と考えるのではなく、『今は足りないけれど努力して、一歩ずつ成長していこう』という思考を培えたと思います」

 今も変わらないその夢は、「朝鮮代表としてワールドカップで優勝する」ことだ。

 高校は大阪朝鮮高級学校に進学し、サッカーは、現なでしこリーグ1部のセレッソ大阪堺レディースで続け、年代別代表候補も多い環境でスキルを磨いた。そして、2016年にはヨルダンで行われたU-17女子W杯で朝鮮民主主義人民共和国代表として優勝し、在日朝鮮人として初の女子代表選手としても歴史に名を刻んだ。同国は同年のU-20女子W杯も制した、アジア屈指の女子サッカー強豪国である。

 そして、高校卒業後は日体大に進学を決めた。

「最初はセレッソに残りたいと思ったのですが、日体大関係者の皆さんが熱心に誘ってくださって、日体大でプレーすることが代表へのアピールにもなると考え直しました。それに、日体大が朝鮮とスポーツ交流を続けていることを知っていたので、自分が入ることでより関心を高めてもらい、日本と朝鮮、韓国をつなぐ橋渡しをしたり、事実と違う誤解があれば、それを解くきっかけにしてもらえたら、と。そういう環境で自分を磨いて、人間的にもサッカー選手としても成長したいと思いました」

 日体大は2012年から、男女サッカー部が朝鮮体育大学と定期的に交流試合を行い、国境を越えたスポーツ交流を続けてきた。スポーツエリートが揃う両校のハイレベルな対戦は、互いの強化に繋がり、平壌のスタジアムで行われる試合には、3万人から5万人もの観客が入るのだという(現在はコロナ禍で一時的に中断されている)。日本と北朝鮮には核やミサイル問題、拉致問題などの政治的問題があり、現在も国交は限られている。だが、日体大では、国際平和への寄与を目指して学術・スポーツ交流を行い、互いの信頼関係を築いてきた経緯があったのだ。

 日体大に入学し、チームに入った1年目の18年に、李は少しずつ出場時間を伸ばし、なでしこリーグ1部残留と全日本大学女子サッカー選手権大会(通称:インカレ)での大学日本一に貢献した。翌19年は、ポジション争いの中で出場時間は限られながら、リーグ戦は12試合で3ゴール。チームは最下位で、2部降格を余儀なくされたが、インカレでは連覇を達成した。3年生の昨季は、左脚の脛骨の疲労骨折で長期離脱を余儀なくされ、結局、シーズンを通してピッチに立つことはなかった。チームは2部で9位と低迷し、インカレもベスト4敗退を余儀なくされた。その3シーズンを、李は「怒涛の日々だった」と言う。

「1、2年生の時はFWとして結果を残せず弱気になっていた時期がありましたが、(1年時の)小嶺栄二監督や、(2年の時の)楠瀬直木監督から『お前のポジションはどこだ?』と、練習中に厳しく問われて。当時は怖かったですが、今考えると、愛のある言葉だったと思えますし、それがあったからこそ、失敗から逃げずに自分と向き合ってチャレンジできました。性格的に、うまくいかない時に自分自身に矢印を向けすぎて(自分に責任を求めすぎて)空回りすることもありましたが、先輩たちがチームのために戦っている姿を見たり、苦しい思いをしている同級生たちともいろんな話をしたりする中で、辛くても踏ん張れるようになりました。時には理不尽に思えることもありましたが、4年間で4人の監督の下でプレーしたことも含めて、サッカーを通じていろいろな出会いがあり、選手としての幅を広げることができたと思います。今季、ケガから復帰して少しずつコンディションが上がっていった中で、これまでの経験が一つの線になって、得点に結びついている実感がありました」

 ケガからの再起をかけたラストシーズン。李は、3月末の開幕戦から、再びケガに見舞われる5月末までの2カ月間で、4年間の集大成とも言える輝きを見せた。

【朝鮮代表で世界一になるために】

 現在、21歳の彼女が、人一倍強い責任感や他者への共感を示すことができるのは、多感な10代に、思考を重ねながら様々な試練を乗り越えてきた証でもあると思う。

 昨年7月、李が自身のアイデンティティやルーツについて書いた「祖国と自分」というコラムは印象的だった。そのコラムの中で、李は小さい頃に受けた差別的な体験についても言及しており、自身が受けた教育や、その中で培った揺るぎない軸や祖国への想いを、豊かな言葉で紡いでいる。

「日本社会で生きていく中で、いつも聞かれることがあって、特に大学に来てからは、もう一度、自分のルーツやアイデンティティを強く意識していかなければいけない、と思っていました。書くことに怖さもありましたが、ありのままの自分を見てほしいという思いや、自分の代表への思いを書き残したいと思いましたし、何より、祖国の朝鮮を知るきっかけになってもらえたら一番いいなと思い、『祖国と自分』を書きました」

 インタビュー中にこちらが投げかけた問いはどれも、過去に一度は聞かれたものだったと思う。それでも、李は初めて答えるかのように、丁寧に言葉を選び、その一つひとつに魂を込めるように話した。ただ一度だけ、軽やかに言葉を放った場面があった。「朝鮮代表として世界一になる」という夢について確かめたときだ。

「もちろん、その夢は変わっていません」

 8月20日に発表された最新のFIFAランキングで、北朝鮮は13位の日本、11位のオーストラリアよりもさらに上の9位に上昇し、アジア最高位となった。同国では女子サッカーが人気スポーツの一つで、男子と同等の競技人口を誇っていることが、強さを維持してきた要因の一つだろう。李にその強さの秘訣を聞くと、自身が見てきた代表について、こう教えてくれた。

「日本の社会では『朝鮮は怖い』という感じで、代表も怖いイメージを持っている人がいると思います。たしかに、トレーニングはハードで厳しいですが、その中にも楽観的なマインドがあって、人やチームを思いやる気持ちや、一人ひとりの個性を発揮することを大切にしています。サッカーが好きでうまくなりたい、という思いが強い選手が多く、U-17の時は全員の信頼関係が凄まじかったですよ」

 リハビリを終え、インカレが始まる12月ごろには本格復帰が期待される。試練はまだ続きそうだが、李は、これも夢を叶えるために乗り越えるべき通過点と捉えているのだろう。卒業後の進路を聞くと、大きな目を輝かせて言った。

「プロサッカー選手になることが一つの目標なので、まずはケガをしっかり治して、卒業後はチームを探すことから始めないといけません。WEリーグや、海外でもプレーしてみたいし、チャンピオンズリーグにも出てみたいです。そのためにも、一つずつステップアップしていきたいと思っています」

 李は、「祖国と日本」のなかで、長く辛いリハビリに向き合いながらも揺らぐことのない思いを、最後にこう綴っている。

私は今、咲く準備をしています。

下へ下へと根を伸ばしています。

深く深く根を張っています。

咲くべき時が来たら、力強く咲けるように。

私の咲く場所―

それは、朝鮮代表として国を背負い闘う時です。

(「祖国と自分」より)

 大好きなサッカーと共に幾多の試練を乗り越えてきた李が、夢に向かってどんな道を切り開いていくのか、その道をしっかりと追っていきたいと思う。

日体大の巻き返しを、主将としてサポートしていく
日体大の巻き返しを、主将としてサポートしていく

※写真はすべて筆者撮影

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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