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横断歩道の女子中学生を時速84キロではねて死亡させるも「無罪」に…なぜか?

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:イメージマート)

 札幌市内で車を運転し、時速50キロ制限の交差点に時速約84キロで進入した際、横断歩道の女子中学生をはねて死亡させたとされる72歳の男性に対し、札幌地裁が無罪判決を言い渡した。注目されるのは、その理由である。

どのような事案?

 事故は2022年7月に発生した。男性は22年12月に自動車運転処罰法違反(過失致死)で略式起訴され、札幌簡裁で罰金20万円の略式命令を受けたものの、これを不服として正式裁判を申し立てた。

 青信号で進行していたところ、赤信号の中学生が反対車線の横断歩道で立ち止まったあと、車の方に走って飛び出してきたという。現場付近の防犯カメラにも、その様子が撮影されていた。

 それでも検察は、前方や左右を十分に注視せず、鑑定の結果から時速約84キロから92キロとみられる高速度で進行したことで発見が遅れた過失による事故であり、制限速度を遵守していれば避けられたとして、罰金50万円を求刑した。

 一方、弁護側は、自殺目的の意図的な飛び出しとみられ、男性にはこれを予見・回避することなどできなかったし、男性の運転と中学生の死亡との間には因果関係がないと主張して争った。

無罪の理由は?

 判決は24年1月23日に言い渡された。報道によれば、無罪の理由は次のようなものだった。

・車は遅くとも時速約84キロで走行していた
・男性が中学生を視認できたのは衝突地点から約60・1メートル手前だった
・中学生が自殺を図った疑いを否定できない
・車両側の信号機は青で、被害者が車の接近を認識していたことなどから、被害者が中央線手前で立ち止まるはずであると判断するのが合理的
・前方を注視していても車線上に飛び出してくることを予見できなかった疑いを排斥できない
・被害者に衝突する可能性を予見して急制動を講じたとしても、衝突を回避できなかった疑いが残る
毎日新聞・2024年1月23日

 自殺を図った可能性の点だが、裁判所は防犯カメラの映像のほか、中学生が通っていた精神科医への聴き取りなどの証拠に基づいて認定した。

「信頼の原則」がある

 道路交通法は、横断歩道に近づいたドライバーに対し、横断する歩行者がいないか確認のうえで、現に横断し、あるいは横断しようとしているときは、横断歩道の手前で一時停止しなければならないとしている。一方で、事故防止のため、歩行者にも信号機の信号表示に従う義務を負わせている。

 また、交通事故におけるドライバーの過失の有無や程度は、「信頼の原則」に基づいて検討される。事故の相手方が交通ルールに従った適切な行動をとるであろうと信頼してよい場合には、その者の不適切な行動によって生じた事故の責任を負わないといった考え方だ。

 もっとも、歩行者は交通弱者だから、一般に歩行者相手の事故には「信頼の原則」は適用されないとされている。それでも、赤信号で道路を横断することが許されないということは誰でも知っている話だし、高速度で走行している車の前方に突然、それも意図的に飛び出す歩行者の存在まで想定しろというのはドライバーにとってあまりにも酷である。

 民事では、横断歩道上の「自動車vs歩行者」の事故の場合、ドライバーが青信号で直進、歩行者が赤信号で横断という状況であれば、基本過失割合は「ドライバー3割:歩行者7割」と歩行者に不利なものとなっている。歩行者の飛び出しだと、さらにその過失割合が大きくなる。

 刑事事件に目を向けても、赤信号を無視して道路を横断し、青信号で直進してきたバイクと接触して転倒させ、運転していた人に重傷を負わせたり死亡させたりした歩行者が重過失傷害罪や重過失致死罪で書類送検された例もある。

客観証拠が決め手に

 このように、事故の状況によっては、むしろ歩行者の方が刑事責任を問われることもあり得る。今回のケースも、運転していた男性には事故を予見できず、回避できなかった可能性が高いということで無罪となった。

 重要なのは、現場付近に防犯カメラが設置されていたことから、この客観証拠が決め手となり、男性の主張が裏付けられた点だ。歩行者を死亡、負傷させる事故を起こした場合、刑事・民事ともにドライバーに不利に進み、一方的に非難されるのが通常である。自らに落ち度がなかったことやその程度が低かったことを明らかにするためにも、車にはドライブレコーダーを搭載しておくことが望ましい。

 裁判所は、男性を無罪としつつも、制限速度を超えて走行した点については「非難に値する」と述べている。ただ、死亡事故であるのに求刑が罰金50万円だったことからも、検察ですら過失が認められるか否かの限界事例だと認識していたことがわかる。控訴するか微妙な事件ではなかろうか。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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