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SNSの中傷投稿に法的措置「宣言」で賠償金減額 反論しなければ満額だった?

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:イメージマート)

 タレントの水道橋博士氏によるSNS投稿で名誉を毀損されたとして、松井一郎・前大阪市長が550万円の損害賠償を求めていた裁判で、大阪地裁は水道橋氏に110万円の支払いを命じた。興味深いのは減額の理由だ。

どのような裁判だった?

 報道によれば、問題の投稿や判決の内容は次のようなものだ。民事裁判の通例からすると、裁判所が水道橋氏に支払いを命じた110万円のうち10万円は、松井氏が要した弁護士費用分ということだろう。

「水道橋氏は2022年2月、自身のツイッターで第三者が作った松井氏に関するユーチューブ動画を紹介」「動画の内容を要約したサムネイル画像には、松井氏について…『パワハラ』、『裏口入学』、『強姦事件』」「水道橋氏はこれを引用リツイートする形で、『下調べが凄い。知らなかったことが多い』というコメント」

「水道橋氏の投稿は削除されないまま残されていて、16日までに4000件以上のリツイート」

「判決では『投稿を見た人はサムネイル画像だけを見て、動画を視聴するとは限らない。水道橋氏の投稿によって、松井氏がパワハラなどをしたことが事実であるかのように認識した読者が一定数おり、松井氏の社会的評価を低下させたことは明らかで名誉棄損に当たる』と指摘」

「『投稿の直後に松井氏自身が誹謗中傷やデマに対しては法的手続きを取ると返信ツイートをしていることから、被害の程度は一定程度防止されている。投稿を見た人の中には、松井氏の疑惑について、裏付ける根拠がないと認識した者もいると考えられる』として、賠償額は110万円」(読売テレビ

 確かに裁判所が指摘するとおり、松井氏は、水道橋氏による投稿の直後、ツイッター上で次のように返信し、水道橋氏だけでなくその投稿をリツイートしたユーザーに対しても法的措置を「宣言」している。

「水道橋さん、これらの誹謗中傷デマは名誉毀損の判決が出ています。言い訳理屈つけてのツイートもダメ、法的手続きします」

「水道橋さんは有名人で影響力があるのでリツイートされた方も同様に対応致します」

 松井氏はユーチューブ動画を含めて「誹謗中傷デマ」だと断言しており、松井氏による「反論」ととらえることができる。そうすると、松井氏が法的措置「宣言」などせず、いきなり水道橋氏を提訴したほうが、賠償金も満額の550万円だったのではないかという疑問を抱く人もいるだろう。

写真:ロイター/アフロ

「対抗言論の法理」とは?

 この点については「対抗言論の法理」という考え方が参考になる。名誉とともに表現の自由も重要であり、「言論による名誉侵害には言論で対抗すべき」というものだ。反論が十分な効果をあげていれば、社会的評価が低下する危険性もないから、名誉毀損にはあたらないという。

 テレビや新聞、雑誌といった一方通行型のメディアではなく、もっぱらインターネット掲示板やSNSなど、情報発信が誰でも容易にできる空間において、お互い対等に言論を交わせる立場である場合に用いられる。現にネット中傷を巡る民事裁判や刑事裁判の中でこうした考え方を採用したり、一定の理解を示したりし、名誉毀損の成立を認めなかった裁判例もある。

 しかし、2010年に最高裁が次のような見解を示したことで、「対抗言論の法理」に基づいて名誉毀損の成立を否定することは困難となった。

「インターネット上に載せた情報は、不特定多数のインターネット利用者が瞬時に閲覧可能であり、これによる名誉毀損の被害は時として深刻なものとなり得ること、一度損なわれた名誉の回復は容易ではなく、インターネット上での反論によって十分にその回復が図られる保証があるわけでもない」

 これは、フランチャイズのラーメン店に対して経営指導を行っていた会社について、個人ブログに「飲食代の一部がカルト集団の収入になる」などと書き込み、名誉毀損罪で起訴され、罰金30万円の有罪判決が確定した男の裁判における判例だ。控訴審も次のような理由を挙げ、「対抗言論の法理」を採用しなかった。

・名誉毀損の投稿が存在すると知らない被害者には反論を要求できず、反論するまでインターネット上に放置された状態が続く。

・反論の際に何らかの形で名誉毀損の投稿内容を示す必要があるが、もとの投稿を知らなかった第三者にまで知らせる義務を負わせるとなると、更なる社会的評価の低下を恐れ、反論を差し控える被害者も生じる。

・名誉毀損の投稿を閲覧した第三者が被害者の反論まで閲覧するとは限らないし、被害者の反論に対して加害者が再反論を加えることで、被害者の名誉が一層毀損され、エスカレートしていくことも予想される。

写真:イメージマート

賠償額や情状には影響?

 ただ、最高裁の判例を前提としても、そこで問題となった個人ブログではなく、SNSのように即時双方向型の情報伝達ツールが舞台であれば、違ったとらえ方ができるのではないかという見解も有力だ。

 被害者が公人であるか否かやフォロワーの数など、その発信力や発言の影響力の大きさなどを踏まえ、的確な反論が可能な状況にあり、その反論によって社会的評価の低下を十分に防ぎ、回復が図られているのであれば、名誉毀損の成立範囲が縮減されるとか、民事裁判の損害賠償額や刑事裁判の情状に一定の影響を与えるといったものである。

 今回の判決も、こうした考え方を踏まえているのではないか。名誉毀損の場合、精神面に対する慰謝料だけでなく、社会的評価の低下に伴う経済的損失などをも加味して賠償額が決められるからだ。

 もっとも、水道橋氏が引用した動画には具体的な内容がないから、名誉毀損の程度も高くないと判断され、賠償額が減らされたという面もあるだろう。また、被告側が争っている民事裁判で原告側の請求額がそのまま賠償額として認められることはまずないし、過去の同種裁判を踏まえた「相場」のようなものもある。

 その意味で、松井氏が反論しなければ満額の請求が認められたとはいえないし、むしろ「裁判は水物」であり、提訴したから必ず勝てるという保証もなかった。反論できる状況であれば放置せずに直ちに反論し、被害の拡大を防ぐというのも一つのやり方だろう。

 この判決に対する松井氏の対応は不明だが、水道橋氏は控訴するという。最大の争点である名誉毀損の成否に加え、「対抗言論の法理」と賠償額との関係について高裁がどのような判断を示すのか、今後の推移が注目される。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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