7月21日、明石花火大会の歩道橋事故から20年を迎える。群衆雪崩で11名が死亡し、183名が負傷した大惨事だ。あの日の夜、何をしており、事故を伝えるニュース報道に何を思っただろうか。

久しぶりの休日

 筆者は、その年の4月に大阪地検特捜部から神戸地検姫路支部に異動し、支部長に次ぐ捜査担当の筆頭検事として多忙を極めていた。

 その日は久しぶりの休日であり、子どもに浴衣を着せ、JRで明石の花火大会に向かい、夕方前には会場の大蔵海岸に到着することができた。

 明石海峡大橋が見渡せる砂浜にレジャーシートを敷き、屋台で買った焼きトウモロコシを食べ、蒸し暑さの中、家族で夜空を彩る大輪の花火を満喫した。

 ただ、JRの最寄り駅である朝霧駅と会場とを結ぶ筒状の歩道橋や、そこからL字型に折れた階段は、膨大な観客数に比べて狭いものだった。夕方こそ余裕があったが、続々と会場入りを目指す人、人、人…。

 他方、海岸の地形を利用した会場は横長で狭いばかりか、数多くの屋台が立ち並び、道を塞いでいた。しかも、歩道橋や階段、通路は、会場入りできず、立ったまま夜空の花火を見上げる人々で埋め尽くされていた。