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「緊急事態宣言」しても感染拡大なら治安崩壊の危機 捜査や裁判への深刻な影響は

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:アフロ)

 拡大する一途の新型コロナウイルス感染。「緊急事態宣言」が出されても、沈静化しない限り、犯罪捜査や刑事裁判に深刻な影響を与え、治安崩壊の危機を招く事態となりかねない。

警察にも続々と感染者が

 ウイルスは人を選ばないから、今やどこで誰が感染していても不思議ではない。屈強な警察官であっても同様だ。

 愛知県警では、県の武道館で剣道の稽古をしていた警察官18人が集団感染し、彼らと接触した111人の警察官も自宅待機を命ぜられている状況だ。

 警視庁でも、鮫洲運転免許試験場の免許課長らが感染したことで試験場の閉鎖に至っているし、4月4日には赤坂署刑事課の巡査、5日にも武蔵野署刑事組織犯罪対策課の巡査長の感染が判明した。署内の消毒を経て、捜査員ら合計約140人が自宅待機となっている。

 警視庁本部の機動隊員ら100人超の応援捜査員が投入され、なんとか通常業務を回しているが、警察内に軽症・無症状の感染者が多数伏在している可能性も高く、全国の警察署に拡大するのも時間の問題ではないか。

 というのも、交通違反の取り締まりや職務質問、現場周辺での聞き込み、警察署における相談業務や被害届の受理、被害者や目撃者、事件関係者、被疑者らの取調べなど、警察官は犯罪捜査の過程で必然的に不特定・多数の者と「濃厚接触」せざるを得ないからだ。

 それこそ、流行りの「テレワーク」など到底不可能な職種だ。

 特に警察の取調べ室は狭いし、相当の時間、至近距離で向かい合わせに座り、やり取りを行う。顔につばが飛ぶことすらあり得るが、マスクだけで感染が防ぎきれるとは思えない。取調べのたびに取調べ室を消毒するとなると大変だ。マスク姿だと、顔色や表情の変化も読み取りにくくなる。

 また、警察署では、決して広くはない事務室内に多くの捜査員がひしめいている。捜査情報を共有し、共同で捜査を進めていくうえでは、捜査会議や同僚・上司らへの口頭報告、幹部決裁なども不可欠だ。

 取調べの対象者が感染をおそれ、警察署への出頭に難色を示すことになると、捜査も難航する。「緊急事態宣言」で外出自粛が大義名分になると、ますます取調べが困難になるだろう。時間が経てば経つほど証拠の散逸や記憶の減退が起こりうるし、時効間近の事件で時効が完成してしまえば起訴できなくなる。

 感染の疑いがある被疑者を逮捕し、警察の留置施設に収容したら、換気不足や衛生状態の悪さ、収容中の免疫力の低下などから、ほかの被疑者らにまで感染が広がるおそれが高い。

検察庁や裁判所に「飛び火」する可能性も

 検察庁や裁判所も他人事ではなく、いつ感染者が出て事態が「飛び火」するか分からない。

 検察官や検察事務官、裁判官、書記官、裁判所事務官らも、警察官と同じく、日々、事件関係者や弁護士、傍聴人、一般の来庁者など、不特定・多数の関係者と接触しているからだ。「テレワーク」など不可能な職種だという点も共通している。

 また、検察庁や裁判所の執務室は手狭だし、東京地検のような大規模庁だと、公判部はもちろん、刑事部でも複数の検察官や検察事務官が相部屋で執務している場合がある。

 裁判所も、各部ごとに裁判長、右陪席、左陪席が同じ部屋で執務しているし、書記官や裁判所事務官らがいる大部屋も、扉一つ挟んだ隣という場合が多い。

 もし感染者が一人でも出たら、警察同様、広い範囲の職員に自宅待機が命ぜられ、捜査や起訴、裁判どころではなくなる。

 それこそ、特捜部が全国から多数の応援検察官を集めて行うようなスケールの大きい事件の強制捜査も、しばらくは自粛ムードになるだろう。もし捜査の過程で捜査員の感染が判明すれば、捜査主任検事を含め、捜査班全体が自宅待機となり、その時点で捜査がとん挫してしまうからだ。

 全国の裁判所も、最高裁の通知に基づき、傍聴席の数を通常の3分の1程度まで減らしたり、裁判員の選任手続や裁判員裁判の期日を延期したり、感染のおそれなどを理由とした裁判員の辞退を容認しているところだ。

 中には初公判が8ヶ月も先送りされたケースまである。憲法が要請する「迅速な裁判」の趣旨に反するし、無罪推定の下、被告人の勾留が不当に長引く結果にもなる。

優先順位に従う

 それでも、一向に沈静化の様相が見られない以上、検察庁も裁判所も、救急医療現場における「トリアージ」と同じく、優先順位に基づく執務の取捨選択を迫られることだろう。

 すでに彼らは、新型インフルエンザの流行を想定した業務継続の基本計画を策定済みだ。新型コロナについても、この計画が参考にされるはずだ。

 例えば、裁判所のプランでは、次のような優先順位が付けられている。

(1) 感染症に関する情報の収集や分析、関係機関との連絡調整、庁舎の感染防止、 人員体制や指揮・命令系統の維持などが最優先

(2) 刑事事件だと逮捕状や勾留状、捜索差押許可状の発付に関する事務や保釈許否の判断、民事事件だと緊急性の高い仮差押や仮処分、DV事件に関する事務などが次点

(3) 刑事事件だと被告人が勾留されている事件の裁判や略式罰金の手続、民事事件だと緊急性の高い執行や倒産に関する事務などが3位

(4) 刑事事件だと在宅事件の裁判、民事事件だと通常の民事裁判や調停に関する事務などが4位

 このうち、(3)(4)は、一定期間、業務を大幅に縮小したり中断することも想定されている。

 同様に、警察や検察庁も、現在進行形の身柄拘束事件に対する捜査を最優先とし、急いで着手する必要のない強制捜査事件や、時効が切迫していない在宅事件などを大幅に後回しとするはずだ。

 警察に被害相談に行っても、「今はそれどころではない」と難色を示され、迅速な司法的救済が図られなくなるおそれもある。

拘置所や刑務所で感染が広がったら…

 最も懸念されるのは、拘置所や刑務所で爆発的に感染が広がることだ。衛生環境の悪い閉鎖空間の中で濃密な集団生活が行われており、インフルエンザの集団感染や集団食中毒が年中行事になっているほどだ。

 新たに入所した陽性の被告人や受刑者のほか、刑務官から感染する可能性が高い。

 現に5日、約1000人を収容する大阪拘置所で男性刑務官の感染が判明し、同僚らにも発熱や体調不良の症状が出ている。拘置所内の消毒が行われ、全職員の5分の1にあたる119人が自宅待機となったほか、40人の受刑者らも単独室に隔離されている状況だ。

 感染拡大の一途をたどっているアメリカでは、カリフォルニア州やニューヨーク州、テキサス州などの刑務所で、比較的軽微な犯罪者らに絞り、数百人から数千人規模の釈放が進められている。

 わが国の場合、地震や火災といった「災害」の際に限って刑務所長らが受刑者らを一時的に解放できるだけで、感染症については医療上の措置や隔離といった手段によるとされている。法改正を行わない限り、アメリカのような大量釈放はあり得ない。

 それでも、全国の拘置所や刑務所にまで感染が広がっていけば、職員不足で管理機能が低下し、施設の維持が困難になりかねない。

 まずは、私たち一人ひとりが危機意識を持って行動し、防犯に努め、犯罪の発生件数を減らすことで、警察や検察庁、裁判所などの負担を減らすことが重要となる。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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