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「俺はストーカーじゃねえぞ」 新宿タワマン女性刺殺事件、今後の捜査の焦点は

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:アフロ)

 新宿タワマン女性刺殺事件で現行犯逮捕された男の勾留が認められた。腹部や首など数十か所もの負傷状況や臓器に達する深さだったこと、ナイフ2本を持参して待ち伏せており、犯行後、うち1本の刃が折れていることなどからすると、強固な殺意や計画性は明らかだ。今後の捜査の焦点になるのは、むしろ殺害に至った経緯や動機にほかならない。

「俺はストーカーじゃねえぞ」

 ここで思い返されるのが、殺害当日の付近住民による目撃証言だ。男が「俺はストーカーじゃねえぞ」と叫びながら女性に蹴りを入れていたという。

 男は2022年に被害者の女性に対するストーカー行為で警視庁に逮捕されており、当初の報道では正真正銘のストーカーによる典型的な「ストーカー殺人」ではないかとみられていた。しかし、その後の報道を踏まえると、単純な「ストーカー殺人」という捉え方をしたら、事件の本質を見誤る可能性が出てきている。

 すなわち、殺害の経緯や動機を解明する上で最も重要となるのは、男が女性に大金を渡したという話は事実なのか、事実であればその回数や金額、なぜ客が店の女性に大金を渡すことになったのか、このお金は何に使われ、精算や返済はどうなっているのかという点だ。

 というのも、弁護側が裁判で「『ストーカー殺人』ではなく、男は詐欺の被害者という側面があった」と主張することも考えられるからである。例えば、女性から結婚する気があるならお金をもってきてと言われ、わが子のように大切にしていたバイクや車を売り、借金までして次々と大金を渡したが、約束に反して冷たくされ、返済を求めたら警察に通報されてストーカー扱いされたもので、警察が女性にもきちんと対処してくれていれば男が追い詰められることはなく、殺人にも発展しなかったといった主張だ。

店の料金の「前払金」?

 とはいえ、もはや警察が女性から話を聞くことはできない。それでも、この事件では、これまで次のような段階を踏み、複数の場面で警察や検察が関わっている。

(1) 女性が警視庁にストーカー被害を相談
(2) 警視庁が男に口頭注意、次いで書面による警告
(3) 男が地元の神奈川県警に自分のほうこそ詐欺の被害者なのに、警視庁にストーカー扱いされたと相談
(4) 警視庁がストーカー規制法違反で男を逮捕
(5) 20日間の勾留後、検察が男を不起訴
(6) 警視庁が1年間の接触禁止命令を出したが、2023年6月で期限切れ

 これらの捜査の際、警察や検察は女性からも事情聴取し、供述調書や捜査報告書、相談メモなどを作成している。それらが今回の殺人事件でも証拠になるから、どのような内容だったのかが重要となる。

 報道によると、女性は警察に相談した際、男から受け取っていたお金について、店の料金の「前払金」だったと説明していたという。厳密に言うと受け取った側なので「前受金」であり、受け取った段階で負債となり、サービス提供のたびに売上に振り替える必要があるお金だ。

 当然ながら受け取った側は前受金に見合ったサービスを提供し続ける法的義務が生じるし、店側が「出禁」にしたことで提供されなくなれば、残りを返金しなければならない。男は貸金、女性は前受金と双方の説明や認識に食い違いがあるとしても、男が返金を求めること自体は法的に当然の権利行使ということになる。

 かなりの大金だから、きちんと経理処理されていたのか、警察が店の帳簿や入出金明細を確認するなどの捜査を尽くしていたか否かが問われる事件だ。

「ストーカー」認定の是非も問題に

 警視庁による2022年の逮捕の経緯も裁判で問題になるだろう。「ストーカー」として認定したこと自体の是非だ。というのも、ストーカー規制法違反で処罰するには、単に待ち伏せなどがあったというだけでは足らず、それが次のような目的に基づくものであることを要するからである。

「恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」

 男には後者の目的があったとみられる一方で、女性に渡した大金を取り返すため、直談判しようという目的だったとも考えられる。弁護側が「この男からすると、詐欺被害に加え、えん罪被害まで受けたことになるわけで、司法制度に絶望し、もはや頼ることなどできないという思いから、究極の自力救済へと追い詰められていった」などと主張することも想定されるわけだ。

 そこで、ストーカー事件での逮捕当時、男と女性との間の金銭問題について警察がどこまで真摯に捜査を尽くしていたのか、男が神奈川県警に被害を訴えていた件は結局どうなったのかも重要となる。もし警視庁が逮捕までしたのに十分に解明しないままで終わっていたのであれば、手抜き捜査のそしりを免れない。

 警視庁の禁止命令から2年にわたって特にトラブルなどがなかったのに、ここにきて殺人事件にまで発展したのはなぜなのか、直近で2人に何があったのかについても謎のままであり、解明を急がなければならない。

 殺人自体は論外で、到底許されない犯罪であり、何ら正当化できない。しかし、裁判では間違いなく情状、特に事件の経緯や動機が問題となる。捜査段階でその真相を解明し尽くしておく必要があるだろう。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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