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安易な「廃線」は地方への責任の押し付けだ 「公助」で鉄道が作ってきたこの国のあり方を未来に残そう

小林拓矢フリーライター
石狩沼田~留萌間の廃止が4月1日に予定されている留萌本線のキハ54(写真:イメージマート)

 昨年も日本各地で相次いだ豪雨災害。報道を目にすると、「あの路線は大丈夫か?」と思うことは常である。

 そのたびに聞かれるのは地方路線の維持への限界論だ。「赤字路線だから廃線もやむなし」「運休しても代替交通機関さえあれば問題はない」――。とくに、昨年末に大雪によって宗谷本線や石北本線が数日間運休した際には、並行する都市間バスが平常通りに運行したことで、「冬こそJR」の神話さえ打ち砕いた。

 昨年8月の豪雨で被災した津軽線の蟹田~三厩間については、ことしから存廃に関して地元と協議することをJR東日本は提案している。

冷たい鉄道ファン

 インターネット上の鉄道ファンの声を見てみると、「採算が合わないのなら廃線もやむなし」「もうJRとなって民間企業なのだから利益にならない事業は切り捨ててもかまわない」という声が意外と多い。たいていの人が、都市部に暮らしているのだろう。

 事実、鉄道ファンは都市部在住者の割合が高く、ふだんの生活では便利な公共交通の恩恵を受けていることが多い。

 ときどきは各種の乗り放題きっぷを使用し、閑散路線へと出かける。その上で利用者の少なさをなげく。通勤通学の時間帯でさえ利用者が少ない現状を見て、そう考えるのは致し方ないのかもしれない。

 しかし、その地域の人にとっては、閑散路線とはいえども貴重な公共交通であり、バスなども含めて、少ないながらも利用している人はいるのも事実である。

昨年の豪雨で被災した米坂線
昨年の豪雨で被災した米坂線写真:イメージマート

 中には、JR西日本の芸備線の一部のようにほとんど人が利用していないケースもあるが、鉄道が不便になりすぎたいっぽうで、地域の道路交通が充実しているため、やむを得ない部分がある。

 自動車交通の発展に加え、東京一極集中による地方の衰退、さらに人口減少といった外的要因から公共交通としての鉄道(あるいはバス)が痛めつけられているのに、鉄道(やバス)に対してだけ、「利用が少ないから」と自己責任論を押し付けているという構造がある。それも鉄道ファンが、である。

 昨年は鉄道150周年の記念すべき年だった。その一年の中で、ローカル線の苦境が多く語られ、「廃線やむなし」の声が目立ったのは残念だった。この国における鉄道の歴史は近代以降の日本の産業発展の歴史と一体となっており、鉄道なくしてこの国の近現代は語れない。この国の鉄道網が衰退してしまうことは、日本社会のあり方そのものにもかかわることであり、安易な廃線論が頻出する事態には懸念を感じざるを得ない。

鉄道を残そうという動きも

 厳しい状況にある鉄道をなんとか存続させようとする動きもある。滋賀県の近江鉄道は、上下分離で生き残りを目指している。県と10市町が構成する一般社団法人の「近江鉄道線管理機構」が鉄道施設を保有し、近江鉄道が運行を担う。

 その近江鉄道では、昨年の10月16日に「全線無料デイ!」を開催し、大人・子どもともに運賃を無料にした。利用者は通常の12倍、当初予定の3.8倍と、想定をはるかに超える乗客が押し寄せ、関連イベントも大盛況だった。

 これをきっかけに、ふだんから鉄道に乗る人が増えることを、同社は期待している。

近江鉄道
近江鉄道写真:イメージマート

 千葉県の銚子電気鉄道では、つねに注目を浴びるような取り組みを経営者自らが企画・実行しており、その成果もあって昨年の決算では若干ながら黒字となった。物販事業だけではなく、鉄道車両でもリクライニングシートを一部に設置するなど、何かと話題をつくった。誘客と収益力強化の能力は非常に高い。

 鳥塚亮社長が率いる新潟県のえちごトキめき鉄道は、中古の鉄道車両を購入し、その車両を活かしたイベント列車などをひんぱんに行うことで、注目度の向上と収益力アップに取り組んでいる。

 鉄道を守る、鉄道を残すという目標をつねに念頭に置いて、地方の事業者が新しい取り組みを始めるケースは、近年多々見られる。

 ただ、鉄道は公共財であり、すでに公金が入っているところも多いかもしれないが、ここまで自助努力を示さないと存続が揺らぐというのも、この国の公共交通に対する認識の現状を示しているようだ。それはつまり、地方の切り捨て、さらには地方への責任転嫁のようにみえてならない。

 誰でも乗れる鉄道を大切にせず、安易にクルマ社会へと移行させることは、「移動する権利」の確保の面から問題があり、こういった権利をお金のことではく奪することははたして許されるのか? ということは多くの人が考えてもいいだろう。自家用車は保有や維持にコストがかかり、免許も必要となっている。そういう意味では、だれもが短距離なら少額で乗れる鉄道(やバス)は、公共財として残さなければいけないのだ。

公共財に「自己責任」論は通用するか?

 多くの鉄道は、民間企業による運営である。しかし「民間だから」といって、線路網の維持が困難という理由で安易に廃線にするのは、公共財としての側面が強い鉄道においては慎重になるべきである。

 鉄道会社は、さまざまなビジネスを行っている。昨年は、JR東日本が「JRE BANK」事業を開始すると発表し、銀行代理業に参入することになった。駅ナカ事業や不動産事業は鉄道会社の屋台骨となっており、新たな稼ぎ頭として決済事業に力を入れる。JR東日本は、Suicaやカード事業など、決済事業を重要な事業と位置付けており、さらにそれを強化していく方向でいる。

 駅ナカなど、駅周辺の立地を活かしたビジネスでは、鉄道会社が地元の商店街などを圧迫するという批判もある。しかし、鉄道以外の事業拡大は、鉄道事業を支えるという大義で大目に見られてきた側面がある。つまり、都市部の非鉄道事業で稼ぎ、地方のローカル線が救われるという構造だ。

駅ナカ事業が鉄道事業を支えるところもある
駅ナカ事業が鉄道事業を支えるところもある写真:イメージマート

 しかしコロナ禍以降、鉄道の利用が減少し、非鉄道事業が鉄道事業を支えるという構造さえも成立しなくなってきた。それゆえに赤字路線の問題が余計にクローズアップされる。

 この国で生きる多くの人、そして鉄道会社の経営陣さえも自己責任論を内面化している以上、廃線もやむなしとの論が強まるのは、ある意味仕方がないのかもしれない。加えて相次ぐ災害である。もう不採算路線は維持できないという状況は確かにある。現下の厳しい財政状況を鑑みると、下手をすれば、政府も公共交通の衰退を後押ししかねないという懸念もある。

 政党で「鉄道をどうするか?」といった課題に真剣に取り組んでいるのは、日本共産党くらいではないか。昨年12月13日には「全国の鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐために」という文書を発表している。その中で、鉄道網を維持するための財政的な基盤確保のための「公共交通基金」の創設や、鉄道の災害復旧に早急に着手できるような制度を作ることを提案した。「自助」ではなく「公助」を提起する考え方は、一考に値するのではないだろうか。

 国鉄分割民営化の前から各地で廃線は進められてきたものの、もう廃止にできるところはほとんどない状態にまで鉄道網はやせ細っている。鉄道網に接続するバス網も衰退している。公共交通がつくってきたこの国のあり方を今後も残していくことの価値を、もう一度考え直してみたい。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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