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「鉄道がなくなると不便……」地方での昔の列車ダイヤは、利用者にとって使いやすかったのか?

小林拓矢フリーライター
地方の路線は本数が少ない(写真:イメージマート)

 最近のローカル線の本数削減や、廃線などの話が出るたびに、「昔の列車ダイヤは、使いやすかったのに。これでは高校生が学校に通えなくなる」といった話が出てくることが多い。

 地方ローカル線の主な利用客として、通学に使用する高校生というのは大きな層を占めており、鉄道をなくしてこの人たちを不便にするわけにはいかない、というのは正しい。

 しかし昔の列車ダイヤは、使いやすかったのか? ということは、近年刊行が相次いでいる『時刻表復刻版』(JTBパブリッシング)を見ると、そうではないということがわかる。

 いくつか『時刻表復刻版』を見てみよう。

1964年10月ダイヤ改正は、通学という面ではどうだったのか?

 東海道新幹線は、1964年10月に開業し、それに合わせて国鉄は白紙ダイヤ改正を行った。ではそのころ、地方の鉄道は使いやすかったのか? ということを考えてみたい。

 筆者は山梨県甲府市出身なので、甲府駅周辺(あるいは甲府市内)の高校に通うとしたら、という視点でまず考えてみる。通学に適当な時間帯では、身延線は甲府駅着7時38分、8時01分しかない。また中央本線は、塩山方面からは7時39分着、8時06分着の2本である。韮崎方面からは、7時33分着、8時16分着となっている。

 駅からバスで甲府第一高校や甲府第二高校(女子高、現在は校名変更して共学化、移転)へ向かい、その他の高校も駅周辺にあったりや駅からバスで通ったりすることになっていた。

 もっとローカルな地域を見てみよう。たとえば北海道稚内市内の高校に通うとしたら、宗谷本線は8時13分稚内着しかなく、天北線は7時31分稚内着しかない。

 そもそも、この時代は高校自体が少なかった。1969年の高校進学率は、まだ69%程度であり、現在のようにほとんどの中学卒業者が高校に行くような時代ではなかった。当然ながら都市部のほうが高校進学率は高く、地方では低かった。

 この時代の鉄道は、列車本数自体は少なかったものの、一回の運行で長編成にすることにして利用者をさばいていた。客車列車も多かった。

 高校に通うのに下宿する人も多かったのだろう。各地の列車ダイヤを見ると、通学に使えそうな列車は1本しかないというところも多かった。また列車自体がないという場合も見られる。

 ただ当時は、国鉄以外の地方私鉄や、バスなどもそれなりにあったため、フォローできたという状況にはある。

「よん・さん・とお」で少しよくなった

 1968年10月のダイヤ改正「よん・さん・とお」では、全国各地の特急列車網を充実させるという、大規模なものだった。そのころの身延線ダイヤを見てみると、甲府7時36分着、7時50分着、8時12分着の3本だった。中央本線塩山方面からは、7時29分着、7時39分着、8時07分着、8時18分着となる。韮崎方面からは、7時52分着、8時13分着となっている。若干よくはなっているものの、という状態だ。ちなみに北海道稚内市だと、稚内着の状況はそれほど変わらない。

 この時代、国鉄は長距離輸送を担当し、東海道本線や山陽本線のような大幹線でも、普通列車の本数はいまよりも少なかった。いっぽう、地域輸送を担う各路線は、通学に使える路線は決して多くなく、便利とはいえる状況ではなかった。正直、みんな無理して学校に通っていたのである。バスなどもそれに応えていた。ただ、高校はしだいに増えていった。

よくなったのはJR化前後から

 各地の列車ダイヤが便利になっていったのは、国鉄末期からJR初期にかけてだと考えられる。おそらく多くの人が語る「昔」は、この時代なのであろう。中高年の人が想定する「昔」というのは、その人たちが若かったころである。青函トンネルが開通した1988年3月ダイヤ改正での身延線の甲府着を見ると、7時37分着、8時06分着、8時22分着である。中央本線塩山方面からは、7時48分着、7時57分着、8時12分着と、かえって減っている。同じく韮崎方面からは、7時40分着、8時00分着、8時22分着である。

 ただ、この時代に便利になっていったのは、大都市を抱える幹線の普通列車で、わがふるさとのような小さな地方都市だと、列車が1本増えるかどうか、といった状況である。このころになると、ほとんどの中学生が高校に進学するようになった。過疎地域にも高校が充実してきた。

広島エリアのJR西日本は高頻度運転で利便性が高い
広島エリアのJR西日本は高頻度運転で利便性が高い写真:イメージマート

当事者としては鉄道は使いにくかった

 筆者は、山梨県甲府市内の公立小学校から、当時山梨県内で唯一男子が受験できる国立の中学校(なお高校はない)に進学している。ここに通うには、列車とバスを乗り継ぐか、自転車しかない。当時の自宅は身延線沿線にあり、通学にちょうどいい時間帯の列車は1本しかなかった。

 帰宅時も不便で、列車だと時間帯によっては甲府駅で長い時間待たされた。

 結局、自転車で通学するしかなかった。

 このとき、東京の人がうらやましいと思った。

 ただあまりにも遠方から通学している人もいるもので、身延線に乗り市川大門方面から通っていた人は、のちに東大に合格している。その人は列車通学の時間を勉強にあてられたから東大に合格した、ということも考えてしまう。

 それでも、地方のローカル鉄道が便利になっていた時代の話である。もっと過酷な通学をしていた人は、甲府駅近くの高校に通っていた際には多く見られた。やはり、こちらでも長距離通学者で東大に合格していた人がいた。ある程度鉄道に乗り続けると勉強に集中できるのだろうか。

 使いにくい鉄道でも、なんとか上手に利用している人でないと、地方から東大に受かるのは難しいのかもしれない。

 もっとも、筆者はこのころかなりひどいいじめを受けていたので、列車通学をしていなかったのではなくいじめられていたから成績が伸び悩んだのかもしれないが……。自転車の空気を、抜かれることも多かった。鉄道は使いにくく自転車でも大変、というのならどうしろというのだろうか?

鉄道の衰退、バスの衰退

 ただこのころから、地方のバス路線は衰退していった。地方鉄道を補完するような地方のバス路線は、少しずつ路線網が減っていった。現在では少子化で高校生になる人も減っている。

 地方の各路線では、車両を減らすという形で対応していることが多い。筆者が中学生の時に乗っていたのは、急行「富士川」に使用される165系急行型電車4両編成の間合い運用の列車だったが、現在この路線では313系の2両から3両編成の車両が普通列車では使用されている。

 どの路線でも短編成化が進み、かつ列車の削減というのはダイヤ改正のたびにどこかの地方で話になる。

 バス業界は鉄道業界よりも運転士不足が激しく、本数削減が必要な状態になっている。しかも地域によってはバス網も壊滅している。

 地方の列車ダイヤは、代替手段がない状態にまで追い込まれているのだ。

JR西日本の芸備線では、通学に使える列車は1本程度だ
JR西日本の芸備線では、通学に使える列車は1本程度だ写真:イメージマート

 列車の本数が減って不便、というよりも、いま2本程度しかないものが減ったりなくなったりで、さらにバスもなくなるというのが現状である。高校の統廃合も進んでいる。

 ある意味、昔に戻ったのだろう。いまの人が「昔」と感じるよりも以前に。そしてそのころよりもひどくなることが予想できる。高校進学時から下宿する時代に戻っていくのでは。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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