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青函連絡船を歌った石川さゆり「津軽海峡・冬景色」で登場した上野発の夜行列車とは?

小林拓矢フリーライター
青函連絡船に掲げられる国鉄のマーク(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 先日、NHKは「第70回NHK紅白歌合戦」の出場歌手と曲目を発表した。石川さゆりは42回目の出場で、今回は青函連絡船を描いた名曲「津軽海峡・冬景色」を歌うことになった。

 石川は、1977年に紅白歌合戦に初出場し、そのときも「津軽海峡・冬景色」を歌っている。2007年からは「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」を交互に歌っているという状態になっており、近年では石川の熱唱が、一年を締めくくるにあたっての恒例行事のようになっている。

 石川の熱唱が胸にこみ上げるものを感じさせ、まざまざと情景を思い起こさせる。たとえ青函連絡船の記憶がない人でさえもだ。

 では、この「津軽海峡・冬景色」で歌われる上野発の夜行列車とは、どんなものだったのか。

早朝、青森着の列車は?

 上野発青森行の列車にもいろいろある。1977年に発売されたときには、上野を出て青森に向かい、青函連絡船に接続する列車は多くあった。

 夜行・昼行含め格式が高かったのは「はつかり」という上野を午後に発車する特急列車で、深夜の青函連絡船に接続、函館からは釧路行の「おおぞら」に接続する。

 しかし、これは晴れがましく移動する人のための列車であり、決してわけのある人が乗るものではない。もちろん、夜行列車でもない。

「津軽海峡・冬景色」で歌われている状況というのは、恋に破れたか、離婚をしたかという女性が、夜行でふるさとの北海道に帰る、というものだ。

 そして青森駅はまだ薄暗く、夜行列車を降りた人が言葉なく青函連絡船に急いでいる。

 そうなると、青森駅早朝着の列車ということになるだろう。

 その条件を満たすのは、19時台後半~20時ころの「ゆうづる1号・2号」の2本だろう。どちらも583系寝台電車を利用した特急である。なお、当時は東京と北海道の間での夜行需要が多く、平行ダイヤで速達性の高い夜行寝台電車特急が運行されていた。また、現在のように下り列車が奇数、上り列車が偶数ということもなかった。

 この2本の列車は、同じ青函連絡船3便に接続する。「ゆうづる1号」が早く着くため、ゆったりと連絡線に乗りこめるのに対し、「ゆうづる2号」は少し急がなくてはならない。早くから予約する人は連絡船の接続も考えて「ゆうづる1号」を予約するだろう。わけがあり、未練もあり、それを断ち切ろうとして帰る人の場合、直前になって「ゆうづる2号」のきっぷを買うということも考えられる。こういう場合、583系寝台電車の中段の寝台券しか残っていなかった、ということもありうる。もちろん、青函連絡船も普通の船室である。

 そうなるともっと遅い時間の「ゆうづる」や「はくつる」、夜行急行の「八甲田」であってもいいのではないか、という考えもあるのだが、函館についてからの接続というものもある。

青函連絡船「大雪丸」の模型(筆者撮影、「特別展 天空ノ鉄道物語」内覧会にて)
青函連絡船「大雪丸」の模型(筆者撮影、「特別展 天空ノ鉄道物語」内覧会にて)
「津軽海峡・冬景色」の時代よりも前に青函連絡船の寝台室で提供された飾り毛布(筆者撮影、「特別展 天空ノ鉄道物語」内覧会にて)
「津軽海峡・冬景色」の時代よりも前に青函連絡船の寝台室で提供された飾り毛布(筆者撮影、「特別展 天空ノ鉄道物語」内覧会にて)

函館についてからどこに行ったのか

 この歌では、連絡船が函館に着いてから先のことは歌われていない。接続していたのは、釧路行の「おおぞら」。札幌までの旅なら、もっと遅い時間の夜行列車でもよかったはずだ。しかし早朝青森着の列車を選んだとなると、札幌より先まで帰る必要があったということになる。

 当時の北海道のダイヤは、札幌ではなく函館中心のダイヤであり、青函連絡船から接続して道内各地に移動するということが想定されていた。現在は札幌~釧路間を運行している「おおぞら」もこの時代は函館~釧路間をキハ82系により運行し、食堂車も連結されていた。また当時の「おおぞら」では石勝線は開通しておらず、滝川から根室本線に入り、富良野を経由して帯広・釧路へと向かっていた。少なくとも札幌より遠くに帰らなければならない、ということで早朝の青森駅に降り立つという設定になったのだろう。

連絡船はなくなっても「津軽海峡・冬景色」は歌われ続けた

 1988年に青函トンネルが開通し、青函連絡船は廃止になった。このころにはすでに東京と北海道との移動は飛行機が主流になっていた。青函トンネルには特急「はつかり」や快速「海峡」、そして寝台特急「北斗星」が通ることになった。

「北斗星」は上野発の夜行列車として札幌に向かうというものであり、当時は人気のある列車だった。青函トンネルは、深夜に通過した。

 すでにこのころには、「津軽海峡・冬景色」の情景というのは残っていなかった。

 さらに2016年には北海道新幹線が開業。青函トンネルを使って、東京から新函館北斗まで高速で向かうことができるようになった。

 しかしそんな状況になっても、2年に1度は紅白歌合戦で「津軽海峡・冬景色」が歌われるようになっている。

 またこの曲は多くの人によってカバーされ、カラオケの曲としても人気が高い。

 たとえば、アンジェラ・アキによるカバーは有名だ。アンジェラ・アキによるピアノの強い打鍵による印象的なメロディーと、独創的な歌い方が心に沁みる。それゆえ、「津軽海峡・冬景色」という曲自体が、ますます名曲として生き続けることになる。

 青函連絡船がなくなってからもう長い時間が経ち、この連絡船に乗ったことがないという人も多いだろう。

 しかしそれでもなお、名曲として「津軽海峡・冬景色」は多くの人を引きつける。この歌に描かれた列車や連絡船のダイヤは時代的な制約がありながらも、その枠組を超えてこの歌は親しまれてきた。鉄道によるイメージの喚起力は強く、多くの人に訴えかけるものがあり、この曲では十分に発揮されているからだろう。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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