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「ジャーナリストだと叫ぶと銃撃は激しくなり、死を確信した」ウクライナで被弾した英記者が証言

木村正人在英国際ジャーナリスト
記者会見するスカイニュースの首席特派員スチュアート・ラムジー氏(筆者撮影)

■「ロシア軍ヘリが地上に向けて銃撃しているのが遠くに見えた」

[ロンドン発]「ジャーナリストだと叫ぶと逆に銃撃が激しくなりました。間違いなく死ぬと確信しました」――世界報道自由デーの3日、ウクライナの首都キーウ周辺でロシア軍に待ち伏せされ、被弾した24時間ニュース専門チャンネル、スカイニュースの首席特派員スチュアート・ラムジー氏がロンドンの外国人特派員協会(FPA)で記者会見した。

「表現の自由」を守るためのジャーナリストの非政府組織(NGO)「国境なき記者団」によると、今年に入って報道関係者の29人が亡くなり、現在482人が投獄されている。このうちウクライナ戦争での死者・行方不明者はすでに8人にのぼっている。銃弾や砲弾が飛び交う危険にもかかわらず、ジャーナリストはなぜ最前線で取材を続けるのか。

ラムジー氏は何を伝えたかったのかを記者会見やこれまでのスカイニュースなどの報道から振り返った。ロシア軍によるウクライナ侵攻5日目の2月28日、ラムジー氏のクルー5人は首都キーウ中心部から郊外の住宅街ブチャに向かっていた。前日、ウクライナ軍にロシア軍の車列が破壊されたブチャの現場を取材するためだった。

ラムジー氏は昨年のクリスマス前にウクライナに短期間入り、今年1月に再び取材に戻っていた。「ウクライナ政府はロシア軍が潜入してテロ工作を行うのを恐れて、あらゆるところに検問所を設けていました。ジャーナリストも車から降ろされ、銃口を向けられました。2月24日に侵攻が始まると、ロックダウン(都市封鎖)のような状態になりました」

■「これ以上進めない」

キーウからブチャまで30キロメートルほどしか離れていないが、多くの検問所が設けられ、道路は閉鎖されていた。キーウ防衛のためボランティアが高速道路や幹線道路で塹壕を掘り、ウクライナ軍は榴弾砲を配置していた。機関銃の射撃音や大砲、迫撃砲の音が遠方に聞こえる。「ロシア軍のヘリが地上に向けて銃撃しているのが遠くに見えました」

通常なら40分ほどで到着する距離だが何度も迂回させられたため、何時間もかかった。最後の検問所でウクライナ軍はラムジー氏のクルーを乗せた車に銃を向け、「これ以上進めない」と押し返した。そのため取材をあきらめて引き返すことにした。しかし来た道はすでに戦場と化していた。

検問所でどうすればキーウに戻れるかと尋ねると、警察官が車まで来て窓越しにアイスクリームをくれ、「左折すれば戻れる」と指差した。キーウに向かう高速道路は兵士の姿もなく、恐ろしく静かだった。何かが車にぶつかったと思うと、タイヤが破裂し、車が停止した。銃弾でフロントガラスにヒビが入った。一斉射撃が始まり、車全体に銃弾が撃ち込まれた。

車内に閃光が走る。弾丸が床に転がる。フロントガラス、ハンドル、ダッシュボード、プラスチックシートが粉々に吹っ飛んだ。運転をしていたプロデューサーが車から降り、現地プロデューサーも後に続いた。ラムジー氏とカメラマンのリッチー・モックラー氏、スカイニュースの女性プロデューサー、ドミニク・ファン・ヘールデン氏は車内に身を隠した。

■「弾丸が飛び交う洗濯機の中にいるような感じ」

スチュアート・ラムジー氏(筆者撮影)
スチュアート・ラムジー氏(筆者撮影)

ウクライナ軍の検問所が発砲してきたと思い、銃撃が止んだ時「ジャーナリストだ」と叫ぶと、逆に銃撃は激しくなった。「弾丸が飛び交う洗濯機の中にいるような感じでした」とファン・ヘールデン氏は米CNNに振り返っている。「私たちの車は装甲車ではなく普通車でした。ウクライナ当局は取材車用の“報道”マークを与えていませんでした」(ラムジー氏)

「死を確信しました。車内に入ってくる弾丸が外れ続けるとはとても思えませんでした。妻と3人の子供のことを考えました。危険な状況には慣れていますが、この状況から抜け出せるとは思えませんでした。もうダメだ。これから死ぬんだ。痛いかなと思いました」。弾丸が足を貫通し、腰に抜けた。しかしアドレナリンが全身を駆け巡り、それほど痛くなかった。

モックラー氏もボディーアーマーに2発被弾した。「ドミニクは車に残れば死に、車から飛び出せば死なないかもしれないと覚悟したそうです」(ラムジー氏)。クルー全員が高速道路のガードレールを乗り越え、6~9メートルも下に飛び降りた。最後のモックラー氏が飛び降りてくるまで30秒か1分以上しかかからなかったが、とても長く感じた。

ラムジー氏は頭を打ち、脳震盪を起こした。5人は柵が開いている工場に入って隠れる場所を探した。作業場の中で息を潜めた。プロデューサーがスカイニュースの報道局と連絡を取った。4時間後、足音が近づいてきた。もうダメだと観念した瞬間、「ウクライナ警察だ。早く来い」という声が聞こえた。ホッと胸をなで下ろした。

■「これはまさに普通の人々に毎日、起こっていることだ」

生き残って安全が確保されたのに、ラムジー氏は逆に疲れ果てた。アドレナリンも出なくなり、落ち込んで打ちのめされたような気分になる。こうしたリスクを伴う取材はジェットコースターのようなアップダウンの繰り返しだ。ラムジー氏はボスに「これはクルーに起きた特別な出来事ではありません。ウクライナでいま起きている日常なのです」と伝えた。

ラムジー氏のクルーは犠牲者を出さないよう適切な訓練を受け、チームワークを養った。取材時には「報道」と書かれたボディーアーマーとヘルメットを着用していたので、ラムジー氏もモックラー氏も間一髪のところで助かった。「ブチャで何が起きていたのか。虐殺が行われていたことをロシア軍が撤退した今ようやく私たちは知ることができました」

「私たちのクルーが撮影したのは私たちのことではない、ウクライナで暮らす普通の人々にいま起こっている日常なのです。これはまさに普通の人々に毎日、起こっていることなのです。ただ私たちのクルーは訓練を受け、正しい装備を身につけていた。ウクライナでは訓練も受けず、ボディーアーマーも着ていない多くの一般人が撃たれているのです」

ジャーナリストが戦争のフロントラインに一歩でも近づこうとするのは冒険譚を書くためではない。そこで暮らす普通の人々に何が起きているのかを正確に伝えるためだとラムジー氏は語る。適切な装備と訓練、地元ジャーナリストの協力なしでは戦争報道は成り立たない。しかしジャーナリストと「報道の自由」を狙った銃弾とソーシャルメディアの攻撃は激しさを増している。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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